神童は一流ピアニストへ――浜松国際ピアノコンクールで2位を受賞した牛田智大、10代最後のレコーディング
2018年浜松国際ピアノコンクールで2位を受賞した、19歳のピアニスト、牛田智大さん。その約3週間後にレコーディングされたショパン《24の前奏曲》が、2019年3月にリリースされました。
ロシアの作曲家を得意とする彼が、「難しい作曲家」と評するショパン。一曲一曲は短いながらもさまざまな感情が見え隠れする難曲揃いのプレリュードに、どうアプローチしたのでしょうか。10代最後に挑戦した録音にぜひ耳を傾けてみて下さい。
ショパンを聴いているときは静かにしているという、牛田さんの愛猫の話もちょっぴり伺いました。
岩手県出身。地元の大学で美術を学び、23歳で上京。雑誌『ロッキング・オン』で2年間編集をつとめたあとフリーに。ロック、ポップス、演劇、映画、ミュージカル、ダンス、バレ...
10代で精力的な演奏活動を行なうピアニスト、新たなステージへ
2018年はピアニスト牛田智大が新しい顔を見せてくれた年だった。浜松国際ピアノコンクールに参加し、2位を受賞。デビュー以来、まだ10代とはいえ精力的なプロの演奏家として活動してきた彼が、他のコンテスタントとともに一次予選から真剣な表情で取り組む様子は新鮮で、ファイナルまですべての過程がライブ映像でも配信された。
ブレハッチやガヴリリュク、チョ・ソンジンを輩出した「浜コン」は、参加者自身が演奏曲のほとんどを選曲できるという特徴があるが、課題曲には現代曲や室内楽もあり、ここでは牛田の新鮮な表情を見ることができた。セミファイナル、ファイナルと進むにつれ安定感を増し、堂々たるラフマニノフのコンチェルトを聴かせて2位を獲得してくれたのはファンにとっても嬉しいことだった。
コンクールから約3週間後に軽井沢の大賀ホールでレコーディングされた新作『ショパン:バラード第1番/24の前奏曲』は、19歳のピアニストが早くも到達した深遠な境地を思わせる充実作。ローティーン時代の彼を「天才子役」のように見ていたリスナーも、ここでいよいよ認識を改めるときがきた。ロシア音楽のレパートリーで鍛えられた強い指と精緻なテクニック、内側に情熱を秘めた抒情性は、一流ピアニストに成長した牛田智大の現在を証明している。真摯で謙虚な人柄はそのままに、大人の落ち着きを加えた彼に近況を聞いた。
浜松国際ピアノコンクールで2位を受賞
――どこへ行っても聞かれたと思うのですが、なぜ浜コンに参加しようと思ったのですか?
牛田 18歳になったので、コンクールに挑戦してみるのもいいじゃないかと思ったんです。学生がコンクールからいろいろ学ぶような気持ちで参加しました。とはいえ、準備期間がほとんどなかったので「すみません、こんなすごいところに出てきて……」みたいな感じでした。結果を気にする余裕はまったくなかったし、コンクールを経験するということが自分にとっては重要だったんです。浜コンはとてもアットホームで、コンテスタントへのケアもちゃんとしているので、なんのストレスもありませんでした。純粋に演奏だけに集中することができました。
――牛田さんのエントリーナンバーは79番で。今でも79という数字を聞くと勝手にドキドキしています。
牛田 僕も今でもドキッとします。違う意味で(笑)。僕は演奏順もラッキーでした。21番目だったんですが、要は最終日に弾く順番だと、次のラウンドまでの期間が一番短くなるんですよ。僕は曲が仕上がっていなかったので、日程が後ろのほうだと間に合わなかったと思います。一次と二次はほとんど間に合っていなかったし。ファイナルまで残していただいて、正直すごくびっくりしました。
――コンクールが進むにつれて、リラックスしていったようにも見えましたが。
牛田 一次と二次は一人の学生として受けていたところが大きかったんですけど、三次から本選にかけてはプロの音楽家の方との共演が増えてきて、最後にいくにつれて仕事に戻ってきた感じで、ファイナルのコンチェルトは「さあいつも通り仕事だ」みたいな(笑)。小さい頃から憧れていたピアニストの方の演奏を生で聴けたのも感動でしたし……務川さんとか今田さんとか。一次や二次で聴いた方々にも憧れるような演奏がたくさんありました。1位を取られたジャン・チャクムルさんはジェントルマンで人間的にも素敵な方で、演奏には魅力的な歌やイントネーションがたくさんありました。持っているものを魅力的な形で提示できる素晴らしいピアニストです。
――他のピアニストを褒めるときの牛田さんはご自分のことを語るときより生き生きしているような(笑)。コンクールを経験したことで、その後の演奏に影響はありましたか?
牛田 前と後で何かが変わったということはないです。何か特別なことがあるというわけではないし、また新しく作品に向かうだけです。新しいレパートリーを開拓するときは、いつもゼロからのスタートですし……。
ただ美しいだけの演奏では物足りない《24の前奏曲》
――新作のレコーディングは、コンクールが終わって結構すぐだったのですよね。
牛田 コンクールが11月で、レコーディングが12月の中旬でした。いろいろ話しあって、ショパンがいいだろうということになりました。ショパンは素晴らしい作曲家だし、演奏家にとってもやりがいがあるし、つねにお客さんに求められるマストな存在ですから。そしてその一方で演奏家に多彩な技術を求める作曲家でもあるので、成長するうえで必要不可欠な作曲家でもあります。ショパンを学ぶことでフレージングであったりテクニックであったり、いろいろなものを得られるんです。
――《24の前奏曲》は、特にショパンの特徴がもっとも鮮烈に出た作品ですよね。
牛田 プレリュードは一曲一曲が短くて、激しい感情を切り取ったものや、中にはグロテスクなものあります。人間的な部分も見えるし、共感できますよね。大きな作品になると「きれいにまとめられて整えられている」と感じるものもありますが、ここではショパンの素の部分が表れていると思います。24曲をひとつのドラマとしてとらえるのはすごく難しい。大きなひとつの流れを最後までつなげて、その中で多彩な弾き分けもしなければならない。色彩のパレットが豊かでないと表せないし、ある意味毒のようなものもあるので、ただ美しいだけの演奏では物足りないんです。
――とても多くのものが求められる……。
ショパンのテクニックは音楽的な表現に直結している
牛田 ショパンを演奏していて思うのは……ショパンの音楽には矛盾した2つの要素が存在するということなんです。彼の音楽には哀しみをともなった明るさがあるとよく言われますが、それと同じことが演奏スタイルにも言えて、理知的でありながら即興性も必要で、この2つのバランスをとらなければならない。演奏家にとって悩まされる難しい作曲家ですよ。スタイルの面でも感情的な面でも。単純に激しいから力強く、静かだから優しくというのではない……音楽というものは根本的にそういうものですが、ショパンは特に考えさせられる作曲家です。
――ピアニストにとって王道の作曲と思いきや、難解な部分がとても多いのですね。
牛田 コンチェルトでも、後ろに向かおうとするオーケストラと前に進もうとするピアノの葛藤や矛盾を感じることがあります。ショパンは大袈裟に表現することはできないんです。ラフマニノフは最大限にやるのがよしとされます。音色が変わるときもドラマティックなコントラストをつけて魅力的に音を作ることが許される。ショパンは決してコントラストが激しい作曲家ではないのでラフマニノフのようなフォルテシモは必要ないし、ドビュッシーのような柔らかすぎるピアニシモも必要ない。限られた中でどれだけ複雑さを表現できるか……。古典派の流れを汲んでいるし、バッハに通じるところもある。作曲家としては革新的ですが、演奏家としてのショパンのスタイルは、たぶん古典派的なものだったんだろうなと思います。
――ほぼ同時に生まれたリストともまったく違うのですね。
牛田 リストは後の時代につながっていく作曲家ですし、ひとつのはっきりした輪郭があって、テクニックはそれを装飾するものでしかない。ショパンのテクニックは、リストやラフマニノフと違って音楽的なものと直結しているので、そこが難しいんです。テクニカルに弾きすぎるわけにもいかず、正しいフレージングも求められます。リストのように粒を揃えてバリバリ弾けばいいものではないんです。
――24曲は曲の順番通りレコーディングしたのですか?
牛田 6曲ずつに分けて録りました。曲間は長めにしましたね。
――アルフレッド・コルトーが全部の曲に彼の解釈したサブタイトルをつけていますが……。
牛田 共感できるものもあれば、共感できないものもありましたね。聴き手のイメージ作りを助けるうえではとてもいいアイデアだと思います。
――この曲は小さい頃から好きでしたか?
牛田 子どもの頃はプレリュードは聴いていなかったんです。大人になってから知りました。デビューしてからロシア作品に時間を費やしてきたので、あまりショパンを勉強してこなかった。数年前からそろそろショパンも本格的に勉強しなければと思うようになったんです。好きな作曲家であると同時に、苦手な作曲家。強く共感できるけれど、それを表現するためにはもっと人生経験が必要だし、テクニックだけではないいろいろな要素が求められる。たくさんのものが求められるんです。
――毒もあり古典的な要素もあって、グロテスクで美しい……本当に魔性の作曲家ですよね。以前、1日10時間練習をするというお話を聞きましたが、最近ではリラックスできる時間もありますか?
「去年の4月から猫を飼い始めました。ペットの名前占いというのを読んで一日中調べまして、牛田という名字をつけると、すぐに運勢が悪くなるんです(笑)。これはいかん、と思っていたところ『りお』という名前だけは運勢が悪くならなかったので命名しました。ペルシャ猫で、チンチラシルバーです。インコを見にいったペットショップで偶然見つけて、家に連れて帰りました。でも、なぜが気づいたら僕は嫌われていて……母親にはなつくんですが、僕が抱っこすると逃げようとするんです。ショパンを聴いているときは静かに寝ていて、ロマンティックな曲が好きみたいですね。ハノンや指練習の曲ではすごく暴れます。猫が来てから落ち着ける時間ができたし、嫌でも気分転換できるようになりました。もっと僕になついてくれるといいんだけど……(笑)」
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