納涼クラシック ~不安、戦慄、苦悶、そして呪い。さまざまな「恐怖」を描く音楽たち~
「恐怖」はどこから来るのだろう。映画や舞台では、聴覚に訴える要素――音や音楽が大きな役割を果たしていることは言うまでもない。
音楽における「怖さ」とは何か? 音楽で表現し得る「恐怖」とは? 恐怖音楽(?)の宝庫、クラシックの世界を覗いてみよう。今年の夏は恐怖感を掻き立ててくれるクラシックで納涼!
東京音楽大学の作曲専攻を卒業後、同大学院の音楽学研究領域を修了(研究テーマは、マイルス・デイヴィス)。これまでに作曲を池辺晋一郎氏などに師事している。現在は、和洋女子...
怪談や肝試しといえば夏――と相場は決まっているが、その理由には諸説あるようだ。例えば「背筋が凍る」「背筋が寒くなる」「鳥肌が立つ」「血の気が引く」といった慣用句からもわかるように恐怖に対して、涼しさを感じたり、寒さと同じ反応が身体に表れたりする。一説によれば、夏の肝試しは平安時代から行なわれていたというから、その歴史は想像以上に長いのだ。
今回のテーマは「納涼クラシック」――つまり平たくいえば、肝試しを行なうときや怪談を語る際に流れていたら怖くて背筋がぞっとする音楽を特集してみようというものだが、ただプレイリストにまとめるだけでは芸がない。そこで、ある種の音楽を聴くと人は怖さを感じる理由はどこにあるのか。少しばかり考えてみたい。
『サイコ』と『ジョーズ』に見る「恐怖心を煽る音楽」
そもそも、人はどんなときに恐怖を感じるのか。まずはわかりやすい例として、映画史におけるあまりにも有名な事例をふたつ挙げてみよう。
映画『サイコ』(1960)より「シャワーシーン」(音楽:バーナード・ハーマン/監督:アルフレッド・ヒッチコック)
映画『ジョーズ』(1975)より「最初の犠牲者」(音楽:ジョン・ウィリアムズ/監督:スティーヴン・スピルバーグ)
どちらも登場人物が命を落とすシーンなのだが、もっとも重要なポイントは「この時点で犯人が不明」という点にある。得体が知れないからこそ、恐怖が際立っているのだ。そして『ジョーズ』のほうでは、襲われる前と後で傾向の異なる音楽が鳴っていることに気づかされるだろう。
つまり怖い音楽といっても、その有りさまは一様ではない。
Type1「何が起こるか分からない」状態を表現する、不穏な響きをもつ静かな音楽
Type2「眼の前で何かが起きた」状態を表現する、鋭い響きをもつ抽象度の高い音楽
傾向の異なる音楽をうまく組み合わせることで、恐怖感が強まっているのだ。
キューブリック作品で使われている現代音楽たち
これらを理解した上で既存のクラシックや現代音楽を巧みに用い、緊張感と恐怖を描いた映画監督といえば、何といっても名匠スタンリー・キューブリックを挙げないわけにはいかない。『2001年宇宙の旅』では作曲家ジェルジュ・リゲティの音楽を、『シャイニング』ではリゲティに加え、ベラ・バルトーク、クシシュトフ・ペンデレツキの音楽を用いて恐怖を演出している。
『2001年宇宙の旅』(1968) 予告篇
※冒頭30秒ほどだけリゲティの音楽
『シャイニング』(1980)より「Come and play with us」
ここまではホラー的な演出としては常套的な手法であろう。ところが遺作となった『アイズ・ワイド・シャット』(1999)では少し毛色が異なっている。
リゲティ(1923-2006):《ムジカ・リチェルカータ》より第2曲〈Mesto, rigido e cerimoniale〉
この通り雰囲気が大きく異なっているとはいえ、最初は「ファ(譜面上はミ#)」と「ファ#」が静かに繰り返され、曲の半ばで初めて「ソ」の音が突如乱入してくる――つまり曲調は違っていても、前述したType1とType2を対比させているという意味では、構造は同じなのだ。だから劇中で充分に恐怖を演出できているのだろう。
キューブリック作品に用いられた怖いクラシック音楽&現代音楽のプレイリスト
クラシック音楽ではないのだが、もうひとつ忘れ難いのはベトナム戦争を描いた『フルメタル・ジャケット』(1985)のラストシーンで歌われる《ミッキーマウス・マーチ》だ。こちらは前述した[Type1]とも[Type2]とも異なる、ミスマッチ感やアイロニー(皮肉)によって表現される恐怖であろう。詳細はネタバレになるため避けるが、身の毛もよだつ《ミッキーマウス・マーチ》が気になる方はぜひとも映画本編をご覧いただきたい。
さて、映画の事例を踏まえた上で、クラシック音楽における恐怖表現の事例を体験してみよう。
クラシック音楽における「声」が演出する恐怖
最初に紹介するのはシェーンベルクのオペラなのだが、オペラはオペラでも登場人物がひとりしかいない「モノドラマ」と呼ばれる形態による《期待》という作品だ。行方不明の恋人を探して女性がひとり森に分け入っていくと、無残な姿となった彼氏の遺体を発見する……というあまりに惨たらしい物語である(※下記の映像には、グロテスクな映像はないためご安心を!)。
アーノルト・シェーンベルク(1874-1951):モノドラマ《期待》(1909)
8分ぐらいから再生していただくのが良いだろう。8分30秒頃までくると遺体を発見し、女性が「彼よ! Das ist er!」と絶叫。ここで[Type2]的な激しい音楽が鳴り響いている。その前の部分を[Type1]のような静かな音楽と捉えることもできるが、緊張感が切れ目なく続くわけではないため、恐怖感は思ったほどでもない(一応、シェーンベルクの代わりに弁明しておくと、彼は女性の心理描写に主眼をおいており、恐怖を煽ることを主な目的としていない)。
マラン・マレ(1656-1728):《ヴィオール曲集第5巻》(1725)より〈膀胱結石手術図〉
これまた全然傾向の違う音楽も紹介したい。珍曲としても知られる本作は、手術を受ける前後の心境をフランス語のナレーションで語り(どんな内容か気になる方は「膀胱結石手術図」で検索を!)、そこにキリキリするようなヴィオラ・ダ・ガンバの演奏が重なってくる(しかしながら、これは厳密にいえば恐怖というよりも痛みや苦しみの描写とみなすべきかもしれない)。
アルテュール・オネゲル(1892-1955):交響的詩篇《ダヴィデ王》(1923)より〈呪文:預言者〉
歌ではない声の表現としては、こちらも忘れ難い。フランス6人組のひとりとして、20世紀前半に活躍したオネゲル。彼にとっての出世作にあたるのが古代イスラエルの王ダヴィデ王を題材にした本作なのだ。お聴きいただいているのは預言者サムエルの霊が巫女に憑依し、ダヴィデの先代にあたるサウル王の死を預言するシーン。預言というよりも呪術的なのろいを施すかのように聴こえるだろう。
ジャチント・シェルシ(1905-1988):《山羊座の歌》(1962-1972)より第4番
ある種の声がもつ声に恐怖を感じる例としては、シェルシの《山羊座の歌》も印象深い。決して呪術的な内容ではないのだが、声のもつ表現力を追求した結果、おどろおどろしい印象を受ける音楽になってしまっているのだ。なお上記動画で歌う日本人歌手の平山美智子(1923-2018)は、シェルシに大きな影響を与えた人物。平山の歌う日本歌曲から西洋とは異なる声の可能性を感じ取ったのだという。
電子音響が作り出す異空間
クセナキス(1922-2001):ペルセポリス(1971)
最後に取り上げるのは、もはや人間を介在しない電子音響によるクセナキスの1時間近い大作《ペルセポリス》だ。イラン最後の皇帝パフラヴィー2世からの依頼で作曲され、「イラン建国2500年祭典」としてペルシア帝国の遺跡ペルセポリスで600名もの国賓クラスの招待客の前で初演されたという。上演の際には派手な照明やレーザー光線、松明をもった子どもたちが伴った上で、8チャンネルに分かれた59のスピーカーからこの音響が鳴り響いたというから想像を絶するものがある。
ここまで紹介してきて何なのだが、こうした音楽を聴くとヒヤッとして体温が下がるというよりは、心拍数が上がり、かえって体内温度も上昇してしまうような気がしてきた(!?)。音楽だけで涼を取りたいなら、もっと普通にハープやヴィブラフォン(鉄琴)など涼やかな音色の楽器をお薦めしたい。
……というわけで、あくまで肝試しに使えるBGM候補として参考にしていただければ幸いだ!
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