草彅剛が演じる狂気の独裁者――二次大戦の時代を生きたブレヒトが現代社会に投げかけるメッセージとは?
先日、2月2日に幕を閉じたKAAT 神奈川芸術劇場プロデュース『アルトゥロ・ウイの興隆』。ドイツの劇作家、ブレヒトが、ヒトラーとアル・カポネを下敷きに創作した人物、アルトゥロ・ウイを草彅剛が演じた。ヒトラーがプロパガンダにワーグナーを用いたように、ファンクの帝王、ジェームズ・ブラウンの楽曲を民衆を高揚させるための音楽として用いた大胆な演出。その模様をレポートします。
レコード&CDショップ「六本木WAVE」勤務を経て、雑誌「BAR-F-OUT!」編集部、「マーブルブックス」編集部に在籍。以後、フリーランスに。現在は、バンドからシン...
ヒトラーとアル・カポネを下敷きに創作された人物を、草彅剛が演じる
クルト・ヴァイルとの共作『三文オペラ』を始め、『イエスマンとノーマン』、『肝っ玉お母とその子供たち』などで知られるドイツの劇作家、ベルトルト・ブレヒト。そのブレヒトの原作をKAAT 神奈川芸術劇場の芸術監督を務める白井晃が大胆な演出で舞台化した『アルトゥロ・ウイの興隆』を見た。
主人公のアルトゥロ・ルイを演じるのは、“新しい地図”の草彅剛。草彅と白井とのタッグは、’18年の『バリーターク』以来、今回で2度目となる。草彅が演じるアルトゥロ・ルイは、シカゴのギャング団を率いるボスだ。
アルトゥロは、シカゴに暮らす人々から絶大な信頼を集める政治家・ドッグスパロー(古谷一行)の不正を嗅ぎつけたことをきっかけに、彼と彼を取り巻く人々を時にはその強面で脅し、時には言葉巧みに懐柔し、時には仲間さえも裏切りながら、やがて街を恐怖で支配する強大な力を手に入れる。
その狂気に満ちた過程を、9人組ファンクバンド、オーサカ=モノレールの生演奏を織り交ぜながら描いていくのが、『アルトゥロ・ウイの興隆』だ。
劇中の演奏を務めたオーサカ=モノレール
アルトゥロの強烈なキャラクターの下敷きになっているのは、歴史にその名を刻む2人の人物である。
1人は、第二次世界大戦下でナチスを率いた独裁者、アドルフ・ヒトラー。そのため、今作の劇中には、大戦下のナチスが犯した苛烈な行状になぞらえたエピソードが随所で展開される。
もう1人は、禁酒法時代のアメリカで密造酒の製造と販売、売春、賭博などを組織化して権勢を誇った、アル・カポネ。原作者のブレヒトは、ナチスに追われてドイツからアメリカに亡命した際、ヒトラーとカポネの間に独裁者としての共通点を見つけ、本作を執筆したのである。
ヒトラーがプロパガンダに用いたワーグナーを、ジェームズ・ブラウンになぞらえる
本作の大きな特徴は、まるで舞台上で展開していく物語を突如として切り裂くように爆音で演奏される、オーサカ=モノレールの骨太なファンクミュージック。そして、そのファンクミュージックに合わせて、舞台狭しと出演者たちが踊り狂うダンスパフォーマンスだ。ここでは草彅も、狂気じみた表情で歌い、踊る。歌うのは、「セックス・マシーン」など、ジェームス・ブラウンのヒットナンバーである。劇中では、「パパのニューバッグ」や「マンズ・マンズ・ワールド」なども披露されるが、不穏な空気が漂う物語の中で半ば唐突にインサートされる熱く激しいファンクは、舞台上に強烈な異化作用をもたらす。
劇中ではさまざまなジェームズ・ブラウンの曲が演奏される
白井は、「ヒトラーがワーグナーの曲を人々の気持ちを持ち上げるために利用したように、今回はジェームズ・ブラウンの楽曲を盛り込んでみた」と語っているが、果たしてその効果はてき面で、オーサカ=モノレールによるファンクミュージックの圧倒的な狂騒に見る者はある種の理性を削がれ、アルトゥロ・ウイという稀代の独裁者が誕生していく様に引き込まれ、やがては彼に抗いがたい魅力を感じていくことになる。
1935年9月10日~16日にかけてニュルンベルクでナチス党大会が開かれたが、その直前の8日に、フルトヴェングラーの指揮で《ニュルンベルクのマイスタージンガー》が演奏された。録音は1943年のもの。
そこにはもちろん、草彅剛という「稀有な才能」(白井)が持つ演技者としての力、そして彼がこれまで歩んできた紆余曲折の人生の中で纏った(あるいは纏ってしまった)人間としての凄みや色気も大きく寄与しているはずだが、そこに大音量で生演奏されるファンクミュージックがプラスされることで、彼が放つ凄みや色気が理屈抜きで増幅されるのだ。
さらには、赤を基調とした衣装に身を包んだ出演者たちがファンクミュージックに乗って狂喜乱舞する様が、観る者の視覚をも刺激し、独裁者が誕生していく狂おしい喧騒の中に誘う。
やがて、我々は本来は悪であるはずの独裁者=アルトゥロ・ウイに魅せられ、惹かれ、そのみなぎる欲望に胸をざわつかせられながら、心を奪われる。そして、こうした心の動きが、かつてヒトラーやアル・カポネに民衆が支配されていった心理状態と同質の根っこを持つものなのではないかと、ふと気づく。
そうなのだ。それこそが、『アルトゥロ・ウイの興隆』が狂騒と緊迫の中で観客に伝えたかったメッセージなのである。我々人間は、かくなるように心を刺激され、奪われ、自らが望もうとも望まざるとも、予期せぬあらぬ方向へも知らず知らずのうちに流されていく生きものなのだ。
草彅は、「1941年に書かれた作品ですが、人間なら誰しもが持っている感情がたくさんある作品なので、今見ても共感してもらえる部分が多くあると思います」と語り、白井は「今、世の中にちょっと危ない空気がある中で、この作品が時代を映す鏡として意味のあるものになれば」と話す。
史実を織り交ぜながら、圧巻の熱量を放つファンクミュージックと狂騒的なダンスパフォーマンス、そしてケレン味のある演技が織り成す舞台『アルトゥロ・ウイの興隆』は、音楽劇の新たな可能性の一端を提示する作品だった。また、草彅剛と白井晃のタッグで別の音楽劇が見てみたい。そう思わせてくれる、濃密な体験だった。
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