小川加恵×落合陽一 古楽とデジタルの出会いによって模索される新しい人間性とは
フォルテピアノ奏者・小川加恵とメディアアーティスト・落合陽一、作曲家の藤倉大、パフォーマンスアーティスト・ステラークのコラボレーションという大型企画、〈ヒューマン・コード・アンサンブル〉が11月に実現する。人間性の象徴としてフォルテピアノをメインに据え、新しいヒューマニティを描く公演ということで、そこにテクノロジーがどう関わっていくのか、小川加恵と落合陽一によるリハーサルの模様を取材した。
武蔵野音楽大学音楽学学科卒業、同大大学院修了。現在、武蔵野音楽大学非常勤講師。『音楽芸術』、『ムジカノーヴァ』、NHK交響楽団『フィルハーモニー』の編集に携わる。『最...
変わらぬ人間性の象徴としてのフォルテピアノ
小川加恵は今回、藤倉大への委嘱作とともに、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンからロマン派までを選曲し、「シュトゥルム・ウント・ドラングStrum und Drang」の作品も意識的に選んでいる。
席巻していた啓蒙主義への反動として文学界から起こった運動「シュトゥルム・ウント・ドラング」は、美しさも醜さも併せ持つ人間の本質に迫ろうとする潮流であり、「ポスト・コロナ、そして現在の世界の状況の中で、人間と人間のあり方を考え、またクラシック音楽にできることを考えた時、人の感情を伝えられる作品」(小川)として、喜怒哀楽に溢れる作品を選んでいる。
「人間性の象徴としてフォルテピアノをメインに据え、新しいヒューマニティを描きたい」と模索する小川は、フォルテピアノという人類の偉大な財産を駆使しつつ、それを現在に、そして未来へと息づかせる試みとして、落合とコラボレーションしたいと思った。そのきっかけは、落合の写真作品展だった。
デジタルの自然に近づく世界において人間性の営みとは
落合陽一はオールドレンズも愛用しており、たとえば『情念との反芻』展の写真作品の1つ「光を纏う枯れ木」は、流木にLEDを巻いたインスタレーションを1966年ライカ社製のレンズで撮影し、プラチナプリントという古典的だが500年は残るという技法でプリントされたもの。手触り感まで感じさせる陰影や質感があり、写真家としての落合の才にも圧倒される。
「個展『情念との反芻』の際にオールドレンズで滲むように撮影したいくつかのイメージ。それを自分はデジタル解像度で取りこぼしたものを拾い集める試みと述べたが、デジタルの自然に近づくこの世界にとって人間性の営みとは何かという問いを、自分は表現の中に常に込め続けている」と落合陽一は語る。
その作品群に、小川加恵は、「人間の中で時代を経ても変わらない喜怒哀楽の感情――自分も見たことがあるという感覚に陥ったのです。その感覚――記憶――を得られた方と、共演したいと思いました」。
音楽とメディアアートの「セッション」が実現
11月に向けて、実演テストやリハーサルを重ねて本公演は創り上げられていく。5月に行なわれたリハーサルを取材した。会場は、アートスペースとしても注目の、東向島の北條工務店となり。ガランとしたコンクリートのスペースに、ライティングのサスペンションが設えられ、アントン・シュヴァルトリンクの1835年製フォルテピアノ、映像を映し出すスクリーン3つ、コンピューターの操作台がセッティングされている。
小川加恵は、ショパンの遺作の嬰ハ短調のノクターンや、《雨だれ》を弾き、落合陽一が制作した映像が共にスクリーンに映し出される。《雨だれ》の曲想が変ニ長調から嬰ハ短調に変わると、映像も変化していく。その短調中間部でも、ffになると、さらに映像は変容。
遺作のノクターンに関して小川が「死がテーマで、最後に天使が梯子を作ってくれて、天に上るイメージ」と伝えると、先ほどとは異なる映像が紡ぎ出され、演奏と映像とライティングを模索するリハーサルに何時間もが費やされた。
「古楽器の複雑性に連動したものが、コンピューターの映像装置から出せることが面白い」
リハーサル後に行なわれた対談では、先述の小川加恵の落合観と共に、落合からは音へのイメージなども語られて興味深い。
小川 今回あえて、古楽器と、LEDパネルを使ってのコラボレーションですが。
落合 LEDに関しては、LEDパネルだと(画像の)コントラストが高いので、面白いと思っています。
フォルテピアノは1台で多様な響きを出せる、複雑性のある楽器ですが、コンピューターのいまの演算能力なら――2000年代から2010年代、処理の速度や解像度などがさらに上がり、音楽やインスタレーション等の分野において即興性を上げています――今まではアンサンブルにはならなかったもの、今までリアルタイムでできなかった映像と音とを連動させた演出映像を、リアルタイムで反応させられるようになりました。そのおかげで、古楽器の複雑性に連動したものがコンピューターのような映像装置から出せることが面白いです。
解像度の上がった世界で古楽器の「雑味」がもたらすもの
小川 人間性の象徴として、フォルテピアノをメインに据え、新しいヒューマニティを描きたいと思っています。落合さんは、どのようなヒューマニティを描こうと思われていますか?
落合 フォルテピアノにはパーカッシヴな要素がある一方で、倍音豊かなハーモニーも醸し出す複雑な楽器です。複雑であるがゆえに、他のパフォーミングアーツと組み合わせがしやすいなと思います。
聴いていて時々、倍音がビビッとはじけるような音が耳につき、ピアノのしっとりとして丸く滑らかな音とはまた違って活気と雑味がある感じ。そういう所が他のものと相性が良く、人間もそういう所があるのが面白いのだと思います。また楽器の響きや演奏には偶発性があり、それは作家として、とても大事なものだと思っています。
いま、3億以上の画素数の映像が可能です。ところがプラチナプリントだと、解像度の低い方は消え、高い方は飛んでしまうので、中間の所しかカメラには残りません。
カメラが解像度で取りこぼしたものを、音源で考えると、ハイレゾの音源にはなかなかないもの――レコードの針のポツっていうような音や、パッシブ型のスピーカーから出てくる音――、それらには人間性が感じられ、70年代にはふつうのものとして受け取られていた音です。
解像度がとても上がった今、解像度がとりこぼした心地の良いものの中になにがあるのか。それは全世界の皆が知りたいことで、「質量」と呼んでいるものです。その「メディウム」の特性を考えています。
*
自然とデジタルとを境界などなく行き来して実践し、人間基準の解像度を乗り越えた世界で新しい感動をもたらそうとしている落合陽一が、古楽とどのようなアンサンブルを展開するのだろうか。
「20年以上フォルテピアノ奏者としてやってきましたが、落合さんは新しい時代の着想で、古の楽器をこの時代に再び鼓動を始める楽器にどう変えてくださるのか」(小川)。LEDの光量もリハーサルの4倍にはなるとのこと。公演への期待は高い。
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