ポーランドとチェコへのクラシック音楽鑑賞旅行を、10歳の子どもと。
ご夫婦で音楽評論家である山田治生さんが、10歳の息子さんを連れて、ヨーロッパ音楽鑑賞旅行を決行。単に旅行というだけでも、国内外問わず、子ども連れのハードルは高いけれど、果たして「クラシック音楽の鑑賞旅行」は楽しめたのでしょうか。
1964年京都市生まれ。1987年、慶應義塾大学経済学部卒業。1990年から音楽に関する執筆活動を行う。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人 -ある日本人指揮者の...
それほどクラシック好きではないけれど
今年の夏、家族3人(妻と息子と)で、ポーランドとチェコを旅行した。これまでは、息子が幼かったため、ヨーロッパへ家族で音楽鑑賞旅行に出かけるのは無理だと考えていたが、息子が10歳になったのを機にトライしてみることにした。
息子はそんなにクラシック音楽が好きというわけではない。といって、毛嫌いしているわけでもない。「ボレロ」や「木星」や「新世界」などは好きらしいし、小さい頃から、幼児から聴けるオーケストラ・コンサートにはよく連れて行った。
幼い頃は、オーケストラが知っているメロディを奏でだすと一緒に口ずさんでしまったりしていたが、そのうち、家ではないのだからコンサートでは黙って聴かなければならないことくらいは覚えた。
日本でのトラウマを胸に
2年ほど前に、普通のクラシック・コンサート(プログラム的にちょっとマニアックだったかもしれない)に連れて行ったことがある。息子はそのとき小学校3年生だったから、コンサートで静かにしてないといけないくらいはわかっていたし、実際、そうしていた。すると休憩時間に隣のオジサンから、子どもが動くから演奏に集中できなかったとクレームをつけられた。
もちろん、オジサンの言い分もわからないではない。でも、小1時間、子どもは(大人だって)じっとしているのが無理だから、身体を動かす。それなのに、そんなことも演奏会では許されないのかと、愕然とした。
個人的には、日本の聴衆は、神経質過ぎるし、子どもに対して不寛容過ぎると思う。それがトラウマとなって、息子を普通の演奏会に連れて行くことを避けていた(演奏会場に託児があれば、それを利用した)。
ワルシャワにて
今回訪れたワルシャワの「ショパンと彼のヨーロッパ」国際音楽祭は、2005年に創設され、ショパンの作品だけでなく、オペラやシンフォニーも上演する大規模なフェスティバル。15回目の今年は、8月14日から9月1日まで開催され、国際的なアーティストたちが集った。今年は日本ポーランド国交樹立100周年にあたり、日本から広島交響楽団やバッハ・コレギウム・ジャパンが招かれた。
同業の妻(道下京子)も聴くので、息子を連れて行く限りは、息子もコンサートを聴かないわけにはいかなかった。
ホールは、ショパン・コンクールの会場としても知られる、フィルハーモニー。
8月17日は、広島交響楽団とシンフォニア・ヴァルソヴィア(ワルシャワが本拠地。メニューインが設立し、現在はペンデレツキが芸術監督)の合同演奏会。秋山和慶指揮、マルタ・アルゲリッチの独奏で、リストのピアノ協奏曲第1番とベートーヴェンの交響曲第9番《合唱付き》が演奏された。
夏の音楽祭ゆえか、ポーランド人の性格か、ぴりぴりした雰囲気もなく、息子は静かに聴いていた。息子は、これまでにソニー音楽財団の「小・中・高校生のための『第九』チャリティ・コンサート」に2度行っていたし、「第九」の歓喜の歌のメロディも知っていたので、それなりに楽しんだのだと思う。アルゲリッチの名前も憶えたようだった。
8月18日も広島交響楽団とシンフォニア・ヴァルソヴィアの合同演奏会。この日は、下野竜也の指揮で、モニューシュコ、パヌフニク、ペンデレツキ、藤倉大、ショパンという、ポーランドと日本の作曲家の作品が並べられた。
息子には、初めて聴く曲ばかりで、少々きつかったかもしれない。でもなんとか頑張った。前衛的で不協和音連続のペンデレツキの『広島の犠牲者に捧げる哀歌』の感想をきいたら、「聴いてなかった」と応えた。心の耳を閉じていたんだな。よく耐えた(笑)。
ペンデレツキ『広島の犠牲者に捧げる哀歌』
8月19日は、同じフィルハーモニーで、鈴木雅明&バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会を聴いた。モーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》序曲、ショパンのピアノ協奏曲第1番(独奏:トマシュ・リッテル)、メンデルスゾーンの交響曲第4番《イタリア》というプログラム。
3階席で聴いたが、ヨーロッパの古いホールによくある、天井桟敷のような席。まさに庶民席なので、こちらもリラックスして聴くことができた。
2つの劇場でのオペラ
それに先立つ、8月16日は、ポーランド国立歌劇場で、今年生誕200周年を迎えた、ポーランドを代表する作曲家の一人であるモニューシュコ(1819-1872)のオペラ《Flis(いかだ乗り)》の演奏会形式を、ファビオ・ビオンディ指揮、エウローパ・ガランテ(ビオンディが創設した古楽オーケストラ)の演奏で聴いた。
オペラだが1時間くらいの作品。これも音楽祭のプログラムの一つで、歌劇場の広い舞台の上に特設のスタンド席が組まれての上演だった。息子は、スタンド席の最後列端の席で、なんとか1時間座っていてくれた。
それらの公演は、すべて開演が午後8時からだったので、子どもには辛かったかもしれない。それでも、地元の子どもたち(結構、オシャレしている)も聴きに来ていた。たぶん、日本でのコンサートより子どもの比率が高いだろう。
ワルシャワのあと、古都クラクフに寄り、最終的にプラハを訪れた。
プラハでは、当初、音楽を聴く予定はなかった(オーケストラはオフ・シーズン)。だが、国民劇場のボックスオフィスに寄ったら、帰国の前夜にスタヴォフスケー劇場(エステート劇場)で《ドン・ジョヴァンニ》があるではないか! 家族にお願いして、予定を変更して観に行くことにした。
スタヴォフスケー劇場は、1787年にまさに《ドン・ジョヴァンニ》が世界初演された場所。ヨーロッパの大都市のなかでは奇跡的に第二次世界大戦での破壊を免れたプラハに建つ、18世紀の雰囲気をそのまま残すオペラハウスである。
個人的には、1990年にプラハを旅行したときに行ったことがあったが、改修中で中にさえ入れなかった。今回、スタヴォフスケー劇場でオペラを観ることができ、私の長年の念願がかなった。しかも演目が《ドン・ジョヴァンニ》!
息子にとって、オペラを観るのは初めてだった。上演前に、ストーリーを説明したら、とりわけ「地獄落ち」に興味を持ってくれたようであった。今回もまわりの迷惑にならないように最上階の天井桟敷のような席を買った。
オペラは、上演中に舞台でもドタンバタンやっているので、客席もコンサートほど神経質ではない。それに夏のスタヴォフスケー劇場での《ドン・ジョヴァンニ》の聴衆のほとんどが観光客で、客席も適当に空いている。息子は珍しいものを見るかのように舞台を眺めていた。そして、ときどき「今、どんな場面?」と説明を求めた。客席の雰囲気が緩かったので、小声で息子に場面の説明をしてやった。
彼はコンサートよりもオペラの方が気に入ったのかもしれない。オペラ初体験として、18世紀に実際にモーツァルトが指揮を執ったその劇場で《ドン・ジョヴァンニ》を観るということ以上のシチュエーションはほとんどないと思う。
日本に帰ってから、録画しておいた《オテロ》を見ていたら、息子に「それ、《ドン・ジョヴァンニ》?」ときかれた。《ドン・ジョヴァンニ》の名前は憶えているようだ。それだけでもプラハで見せた甲斐があるというものだ。
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