「被災地に音楽を」シンポジウムレポート

東日本大震災から8年、変化する被災地のニーズに応え続ける日本フィルの支援活動

レポート
2019.03.13

2011年3月11日に発生した東日本大震災から8年が経ち、ハード面での復興が進んできた今、心のケアが問題となっている。
震災発生後1か月足らずの2011年4月6日より、200回以上に渡って被災地支援活動を行なっている日本フィルハーモニー交響楽団。その活動を振り返るシンポジウムが3月1日に慶應義塾大学三田キャンパスで行なわれ、岩手県宮古市、福島県三春町、宮城県石巻市から、それぞれ日本フィルとの復興活動に従事する担当者が登壇し、活動への想いを語った。
復興が新たなステージに入った今、音楽は何ができるのだろうか。

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写真:宮城県気仙沼市の避難所での演奏 © 日本フィルハーモニー交響楽団
取材・文
小島綾野 音楽ライター
小島綾野
取材・文
小島綾野 音楽ライター
専門は学校音楽教育(音楽科授業、音楽系部活動など)。月刊誌『教育音楽』『バンドジャーナル』などで取材・執筆多数。近著に『音楽の授業で大切なこと』(共著・東洋館出版社)...
石巻市鮎川小での演奏 © 山口敦

音楽に何ができるというのか。音楽は無力か——8年前の3月11日、想像を絶する大災害を前にして、多くの音楽家・音楽関係者が自問自答し、唇を噛んだ。

だがその中で、自分たちにできることを模索した音楽家たちもいた。その中には日本を代表するオーケストラの1つ、日本フィルハーモニー交響楽団の足跡もある。

誰もがあの日に思いを馳せる早春の季節、その取り組みを振り返るシンポジウムが開催された。

福島県二本松市の避難所での初の演奏。© 日本フィルハーモニー交響楽団

会の冒頭、聴こえてきたのはドヴォルザーク《新世界より》第2楽章。『家路』という愛称をもつこの曲にのせて紹介されるのは、日本フィルの被災地支援の映像だ。

避難所になった体育館での演奏、荒地と化した屋外での慰霊祭における演奏……日本フィルが初めて避難所での演奏を行なったのは、震災から1か月足らずの4月6日。以後、被災地域で様々な形のコンサートを続け、その数は200回を超えた。

シンポジウムの様子。© 日本フィルハーモニー交響楽団
© 平舘平

ばらばらになった地域コミュニティを再生する文化芸術活動——岩手県宮古市

今回のシンポジウムでは、岩手・宮城・福島の3県で続いている日本フィルとの交流を「住民側から」紹介。

そこで改めて明らかになったのは、地震と津波の影響がもたらした課題は、地域によりまったく違うということだ。

まず登壇したのは、岩手県宮古市の教育委員会で、文化復興事業を担ってきた伊藤哲さん。津波は太平洋に面した宮古市に押し寄せ、市の文化会館も被災し、大ホールの客席は津波の汚泥にまみれた。もちろん住民の多くが家や家族を失った。避難所での生活を、伊藤さんは「毎日を生きるのが精一杯。個々が1人の人間として一生懸命生きている」という状況だったと語る。

岩手県宮古市教育委員会 伊藤哲さん。© 平舘平

日本フィルが宮古市を訪れたのは2014年。仮設住宅もだいぶ整備され、ハード面での復興は見通しが立っていたが。だからこそ「心の復興」が求められていた。

仮設住宅への転居で既存のコミュニティがばらばらになり、「地域コミュニティの再生」が喫緊の課題になった。「閉じこもりや孤独死は、災害発生から5年後に増えると言われています」と伊藤さん。

日本フィルは仮設住宅の集会場や三陸鉄道の電車内で行なったコンサートを通じて、開き、住民が集うきっかけを作ったほか、演奏体験のワークショップとミニコンサートを組み合わせたイベントは、子どもたちの音楽への主体性を促した。

2014年冬には、先の文化会館が修復を終えて再オープンした。こけら落とし公演は「市民による舞台芸術発表」。以後、市民が関わり合うプロジェクトは続き、キャスト・スタッフ・演奏もすべて市民が担う『みやこ市民劇』は毎回超満員の大成功を修めている。実はこれらの「市民参加型の文化芸術」は、震災前の宮古市にはなかったものだった。

伊藤さんは「文化芸術の力は、人の生きる力だと思っています。心の復興はこれからが本番。息の長い支援を」と訴える。

被災した子どもたちの心に寄り添う音楽——福島県三春町

続いては、福島県三春町で小学校の校長を担う遠藤俊一さん。県の中央に位置する三春町は地震の影響自体は少なかったが、「原発事故での避難者の受け入れ」が課題となった。福島第一原子力発電所近くの富岡町や葛尾村から、地域単位でやってきた人々を受け入れ、やがて三春町の中に「富岡第一・第二小学校 三春校」という分校もできた。

福島県三春町立岩江小学校校長の遠藤俊一さん。© 平舘平

当時、三春小学校の教頭だった遠藤さんらが直面したのは「受け入れている私たちができることは何だろう」という問い。「普段通りの教育活動を行うことが使命」と考えたが、「避難所から、泣きながら登校してくる子に成すすべもありませんでした」と悔しげに語る。

そこにやってきたのが日本フィルだった。三春町はチェロのメンバー・山田智樹さんの故郷でもある縁から、アンサンブルでコンサートを行なうことに。当時は放射能の影響で屋外での活動が著しく制限され、外を駆け回れない子どもたちのストレスもピークだった。コンサートのひとときはそれを和らげる助けにもなった。

さらに、遠藤さんが依頼したのが「4曲の校歌を演奏してほしい」ということ。三春小と、富岡第一小・富岡第二小・葛尾小……子どもたち全員の母校の校歌を、日本フィルは快く奏でてくれた。

「本来通うべき学校から離れなければいけなかった子どもたちは、『いつ前の学校に戻れるのだろう』と思いながら、避難先の校歌を歌わなければならないのだから」

避難指示が徐々に解除され、故郷に戻る家庭がある一方で、避難先で生活の基盤を築き、永住することにした人々もいる。いずれの選択をとったにせよ「大きな迷いの末に決められたのだろう。忘れたい部分と、決して忘れてはいけない部分を混在させて、今を生きている」と遠藤さん。

今も日本フィルのコンサートは三春町で継続的に行なわれ、必ず演奏されるのが子どもたちの愛唱歌『ビリーブ』だ。「演奏者と聴く人が一体になれる瞬間です」と、遠藤さんは優しい目で語る。

住民自らの手で創り出した新たな交流の場――宮城県石巻市

宮城からは、石巻市で住民主体のコミュニティ団体「川の上プロジェクト」を主宰する三浦秀之さんが登壇。海に面した石巻市の名は、津波で大多数の児童が犠牲となった大川小学校の件などでも聞き覚えがあるかもしれない。

石巻市には沿岸の地域だけでなく、高台の農村地帯もある。「川の上地区」は後者の集落だった。元の住民400世帯に対し、沿岸地区の住民400世帯が集団移転した。畑でじっくり作物を育ててきた川の上の人々と、漁業で身を立ててきた沿岸の人々とでは生き方もまるっきり違う。さらに、地震の被害はほとんどない川の上地区に対して、沿岸の人々は家や大切な人などかけがえのないものを失った状態だった。

そんな両者が一緒に暮らしていくために「新たなコミュニティの構築」が川の上地区の課題となり、三浦さんら川の上出身の若者たちがその旗を振ることになった。

石巻・川の上プロジェクト理事の三浦秀之さん。© 平舘平

まず、かつての農協の建物をリノベーションし、集会所や図書館・カフェの機能を持つ「百俵館」という施設を開いた。週末には毎週イベントがあり、多くの人々が集う。

自習スペースは、仮設住宅で集中できる空間がない子どもたちの大きな支えになり、定年退職した教員が講師を務める塾「寺子屋」は、震災の混乱で学力レベルも危機に陥った子どもたちの将来の可能性をつないだ。カフェには高齢世代が集って会話に花を咲かせ、生活の知恵を若い世代に継承する場にも。

そして、今は三浦さんらスタッフからではなく、集った住民自身が新たなイベントを発案するようにもなった。「場」ができたことが、人々に交流のきっかけをもたらしたのだ。

© 日本フィルハーモニー交響楽団

日本フィルもこの「百俵館」で弦楽四重奏のコンサートを開催。百俵館は超満員となり、新旧住民がともに音楽に聴き入った。

再度行なわれたコンサートでは、先述した大川小学校の児童2名を含む子どもたちが日本フィルとコラボレーションした。地元の山や緑を織り込んだ、子どもたち作の「春の詩」を朗読してもらい、その後でヴィヴァルディの『春』を演奏するというプログラム。

たくさんの友だちを失い、この先自分たちはどう生きていくべきかという迷いの中にいる子どもたちにとって、日本フィルとの共演は、社会における自分の存在や役割について見つめ直す機会になったようだ。

日々変化する現場のニーズを汲み取り、音楽家だからこその支援をつづける日本フィル

もちろん、日本フィルではこれらの事例以外にも数えきれないほどの支援事業が行なわれている。地域ごとに異なる課題、また時々刻々と変化する状況やニーズにぴったりと寄り添って「音楽家だからこその支援」を続けてきた日本フィル。

その取り組みは慶應義塾大学SFC研究所によって分析され、特に「ニーズを汲み取ること」などについて高い評価がされた。

「日本フィルさんとは、長時間の打ち合わせや食事会でいつも話が盛り上がりました」と伊藤さんは笑い、「困ったときに日本フィルの担当者に電話をすると、いつも応えてくれた」と遠藤さんも喜ぶ。

© 平舘平

日本フィルが被災地の支援で欠かさなかったことは、地元の話をとことん聞き、相手が真に必要とする支援の形を追求したこと。日本フィルが関わる形には「大きく分けて『アウトリーチ型』『ワークショップ型』『コンサート共演型』の3タイプがあります」と、楽団で支援事業の運営を担う及川ひろかさん。当地の現状や日本フィルとの信頼関係などに応じて、ただ身を任せて聴いてもらうコンサートから、市民との協演まで、もっともふさわしい支援をし続けてきたのだった。

震災から8年。支援を「まだやるの?」「いつまで続けるの?」という声が聞かれることもあるという。「それは『なぜやめるの?』という問いにつながりました」(日本フィルが発行する活動記録冊子より抜粋)。

日本フィルは来年度もさらにパワーアップした事業を計画している。その名も『東北プロジェクト2019』(仮称)。日本フィルのコンサートを軸に、東北各地の伝統芸能や吹奏楽などが一堂に会して共演し、縦横のつながりと新たな文化芸術のフェスティバルを生み出そうという試みだ(2019年8月11日、岩手県民会館大ホール)。

未曽有の悲しみからの復興だけでなく、さらなる新しい文化をも生み出し、震災前よりも豊かな未来につなげていく。それが、日本フィルが描く「復興支援」の形なのだ。

2018年 岩手県大船渡市。© 平舘平
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