——クルピンスキ、エルスネル、オギンスキ、シマノフスキの作品が入っていますが、それぞれどのような作曲家なのでしょうか? ショパンとの関係は?

レシュチンスキ あまり知られてはいませんが、ポーランドの初期ロマン派の作曲家による作品は、文化的な遺産だと思います。もっと演奏される機会が増えて、世界中に広まってほしいと思っています。「ショパンと彼のヨーロッパ」音楽祭のプログラムやCDの内容を考えるときにも念頭においていることです。

19世紀前半の「知られざるポーランドの名作曲家たち」をリストアップすると、けっこう長くなります。彼らの音楽は、古典的なスタイルや華麗なスタイルも持ち合わせていて、ロマン主義の時代を開く門のような存在です。まだショパンやリスト、シューマンの作品ほどの深みや多層的な構造はないかもしれませんが、その兆しははっきりと感じられます。そこまで複雑ではないけれど、ノーブルなメロディとセンチメンタルな雰囲気はたしかにあります。また、民謡が引用されている点も共通しています。

若きピアニストたちにとっても彼らが選んだピリオド・ピアノにとっても、感受性、フレーズを形作る技量、雰囲気に合った感情、音楽に内在するポーランドらしさを表現するのに、とてもいい作品です。

クルピンスキは、ロッシーニやウェーバー、メンデルスゾーンといった同世代の偉大な作曲家たちと親交が深かったことで知られています。ショパンのピアノ協奏曲第2番の初演で指揮をした人物でもあります。

課題曲よりクルピンスキ:ポロネーズ ニ短調、ト短調

レシュチンスキ フランス・ブリュッヘン(リコーダー、フルート、フラウト・トラヴェルソ奏者、および指揮者)もクルピンスキの音楽に注目し、彼が生前最後に18世紀オーケストラと録音したのは、クルピンスキの《モジャイスクの戦い》でした。またショパンは、《ポーランド民謡による大幻想曲》に、クルピンスキの有名な歌曲「ローラとフィロン」を引用しています。

クルピンスキ《モジャイスクの戦い》

レシュチンスキ ショパンの師だったエルスネルは、素晴らしい音楽教育を受けた作曲家で、ショパンだけでなく、ノバコフスキやクログルスキなど、同世代の作曲家たちに、技術や知識を伝授しました。また、オギンスキのポロネーズから、ショパンは音楽様式を学びました。

課題曲よりエルスネル:ポロネーズ 変ホ長調、オギンスキ:ポロネーズ「祖国への別れ」イ短調

レシュチンスキ マリア・シマノフスカが作曲した大変美しいノクターンもありますね。世界的なピアニストで、ジョン・フィールドに似た作風の曲を残しただけでなく、エチュードをはじめ、ショパンのモデルになったとも言える作曲家です。

ポーランドのロマン主義を形作った一人でもあり、その影響はポーランド以外にも広まりました。シマノフスカはゲーテにとって理想の美の化身でした。また、彼女の娘はショパンが敬愛していた詩人のアダム・ミツキェヴィチと結婚しました。

マリア・シマノフスカ:ノクターン 変ロ長調

ゲーテとシマノフスカは1823年にマリーエンバート(チェコの保養地)で知り合い、ゲーテは「融和」という詩を彼女に贈っている。1831年12月1日に書かれたエッカーマンへの手紙には、「私ははじめ、ご存知の通り、完結した詩作品としてエレジーを書こうとしていた。そこへシマノフスカ夫人がやってきた。彼女は私と同じ夏にマリーエンバートにいた。そして、彼女の非常に刺激的なメロディによって、かの若々しく輝かしい日々の残響が私の中に引き起こされた」と記している。