この《小犬のワルツ》はサンドと恒例の夏のノアンで、1846年に作曲されました。
豊かな農村地帯の中にある館の周辺は夜ともなると真っ暗です。狼の遠吠えも聞こえ、そのあたりには、魔女が夜中に洗濯をしているという沼も、火の玉が見えると村人が怖がるうっそうとした森もあって、番犬がどの屋敷でも飼われていました。狩りのための犬ももちろんいました。
ショパンは気分が良ければ作曲の気晴らしにとピアノの前を離れて、果樹園、花々が色どり豊かに植えられた花壇、大きな木々が涼しげな陰を作る屋敷の小道を、訪れた友人たちと歩くこともありました。そのあとを屋敷の犬たちが、喜んでついてまわりました。
犬で賑やかな屋敷の生活に、1846年の夏、1匹の小犬が加わることになったのです。
《小犬のワルツ》が作られたころ、サンドからこんなに充実した日々を与えられていたのに、ショパンの体調の悪化、そしてサンドの子どもたちの成長とともに、ショパンとサンドの関係に暗雲が垂れ込め始めています。
ショパンは体調が悪いと何をする気分にもなれずに、親しい友人や、弟子たちのいる華やかな社交界が待ち受けるパリに早く帰りたいとふさぎ込んでいました。ノアンにいると刺激も変化も感じられないとでも言いたいかのように部屋にこもってしまうショパンの様子に、サンドまで気分が滅入りそうでした。
そこでサンドは館の雰囲気を明るくしたいと、可愛い小犬をパリから呼び寄せることにしました。パリの友人に手配を頼んでおくと望み通りの小犬が、1846年7月半ば過ぎに館に到着しました。
顔がおどけた様子の犬はマルキと名付けられ、ショパンのお気に入りとなりました。白いコウノトリの羽飾りのように光沢のある毛並みの小犬が尻尾を追いかけまわす様子から作られたというエピソードのあるワルツは、日本語で円舞曲と訳される通りに、くるくると回転する音型がとても軽やかです。
この頃のショパンとサンドはやがて別れを迎えることになる日が来ることを予想させるように、重苦しい雰囲気になることもありましたが、サンドは母のようにショパンの健康に常に心遣いを忘れることはありませんでした。
自然に恵まれ風も心地よいノアンの館で夏を過ごすことが、ショパンの体調によいことは明らかで、そこにお気に入りの小犬がいるのですから、ショパンは久しぶりに心楽しくなってピアノの前に座ったのでしょう。その膝の上に元気で白く愛らしい小犬を抱いていたと、想像するのもなかなか素敵ですね。
この名曲は長年の友人でショパンの臨終に際し、その最後の望みを叶え、美しい歌声を聴かせた絶世の美女デルフィナ・ポトツカ伯爵夫人に献呈されました。