《未完成》交響曲はなぜ完成しなかったのか

この曲は、これで終わりではない。2つの楽章が続く。第3楽章は、中間部で翳りをふっと帯びるものの、明るく快活なスケルツォだ。第4楽章も軽快な主題によるソナタ形式。前の2つの楽章に漂っていた深遠な雰囲気はなく、古典派のセオリーに則った、健康的といいたくなるほどの音楽である。この明るく快活な音楽のなかに、のっぴきならない落とし穴が待ち受けているのではいかと、ひやひやしながら聴き進めていくが、そういったことは起こらない。世界観が前半と後半で違いすぎるのである。

シューベルト「ピアノ・ソナタ第21番」第3、4楽章

シューベルトはベートーヴェンを尊敬していた。このピアノ・ソナタも、暗から明へと転じるごとく、キチンとしたカタチでまとめなければならないという気持ちが強かったのではないか。前半2楽章は、彼独自の世界を展開したが、後半は形式重視、きっちりまとめにかかったというわけだ。

そう考えると、《未完成》交響曲が最初の2つの楽章しか残されていない理由もなんとなくわかる。これら2つの楽章が、あまりにも当時の常識を打ち破る表現力をもっていたため、それらが収束するに価する残りの楽章を書けなかったのではないだろうか。いやあ、ちょっと無理っぽい、とか言って、引き出しのなかにしまい込んでしまったとか。

ガンダムでいえば、ジオングに相当しよう。上半身だけの最強モビルスーツだ。最近は、この交響曲の残りの楽章を補作して演奏するというケースもあるが、どうもぴんとこない。やはり、あんなものは飾りだね。偉い人にはそれがわからんのですよ。

鈴木淳史
鈴木淳史

1970年山形県寒河江市生まれ。もともと体育と音楽が大嫌いなガキだったが、11歳のとき初めて買ったレコード(YMOの「テクノデリック」)に妙なハマり方をして以来、音楽...