この曲は今でも危険物扱いされているか

実験音楽の代名詞にもなった《4分33秒》は、音楽の枠組を再考させる一つの記号になった。とくに、現代音楽の愛好家にとって、それは聖域のようなもの。彼らはカップラーメンにお湯を入れると、わざわざタイマーを4分33秒にセットしてしまうほどである。現代音楽好きの食べるカップラーメンはいつも伸びきっている。

1980年代から90年代にかけては、この曲を演奏会で聴くことは稀だった。ケージをテーマにした演奏会であったかなかったか。ツィメルマンがリサイタルのアンコールでこの曲を取り上げたという話もきいたことがある。

この曲の意味が機能していたから、逆に取り上げにくかったのかもしれない。この作品のもつ危険性をみな認識していたからだ。だって、ベートーヴェンのあとに《4分33秒》を演奏すれば、ベートーヴェン作品の意味を考え直せ、我々は古くさいコードに縛られていないか?それでええんか? などといった問いかけになってしまう。楽聖が血と情熱で書いた名曲が台無しだぜ。

これまでの価値観が壊されるショック。それ抜きには、《4分33秒》は味わえない。もちろん、そこにはこれまで自分を縛ってきたものが破壊され、自由さが生まれる喜びを伴うのだが。

ここ15年くらいは、演奏会でこの曲が披露されることも増えてきたように思う。ケージの音楽思想が浸透してきた、と考えれば頼もしくもなるが、実際はもっとカジュアルな扱いになったのではないか。下手すると「癒し」のひとときとして、「ちょっと沈黙を味わって和みましょう」みたいな雰囲気で演奏されているケースもあるのかもしれない。場合によっちゃ、「黙祷はじめ!」みたいな押しつけがましささえ感じられてしまうことも。

危険物の扱いには注意したいものである。

鈴木淳史
鈴木淳史

1970年山形県寒河江市生まれ。もともと体育と音楽が大嫌いなガキだったが、11歳のとき初めて買ったレコード(YMOの「テクノデリック」)に妙なハマり方をして以来、音楽...