次は、爆弾ではなく、爆弾発言のようなもの。1939年10月5日オランダのアムステルダムでの録音だ。この1か月前に、ドイツはポーランドに侵攻。オランダはドイツにも英仏側にも立たず、中立を保とうとしていた時期である(その1年後、ドイツによって占領されることになる)。
この日、コンセルトヘボウで、カール・シューリヒトはコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して、マーラーの《大地の歌》を演奏した。曲の最後の楽章、「告別」の後半で、演奏の途中で女性らしき声が入っている。「Deutchland über alles, Herr Schuricht ?」(シューリヒトさん、世界に冠たるドイツよね?)
客席は一瞬、ざわつき、シーッという静寂を求める音、口笛、咳払いも聞こえる。
▼マーラー:大地の歌より第6楽章「告別」前半
▼マーラー:大地の歌より第6楽章「告別」後半(このトラックの出だしが例の声で始まっている)
いわゆる演奏中の不規則発言というやつだ。客席にいた誰かが、演奏中に喋ったのだが、なぜ、こんな発言が行なわれたのか。当時の状況を考えると、色々と憶測は可能だ。
ドイツでは演奏ができなくなったユダヤ人作曲家マーラーによる作品の演奏中であること。オランダでも、ヒトラーに共鳴した極右政党が勢力を伸ばしていたこと。政治的な立場で演奏を妨害しようとしたのか、それとも「ドイツ人」シューリヒトの音楽を讃えようとしたのか。発言は最弱音を狙ったタイミングなので、計画的に行なわれたのであろう。
その後、演奏は止まることもなければ、ぎこちなくなることもなく(急に音質が悪くなるけれど)、メゾ・ソプラノのケルステン・トルボルイも変わらぬ気高い歌唱を聴かせる。
おそらく、プロの演奏家にとっては、そげん事故は日常茶飯事。楽屋では「なんか、客席で喋ってたやつおったな、あれなんなん?」くらいで終わってしまったのではないかと思われる。
ただ、客席にいると完全に周りは凍りつくはずだし、しかも時局柄、不穏な内容だ。急にきなくさい現実に戻って、音楽どころじゃないと胸騒ぎに襲われた人もいるだろう。逆に、だからこそその音楽の内容にぐんと入る人だっていたかもしれない。今聴いても、そんな客席の空気感がぐんと蘇ってしまうのだ。