亀井さんの前に演奏したイ・ヒョクさんも、プロコフィエフ作曲「ピアノ協奏曲第2番」で聴衆を圧倒した。この壮大なモニュメントに挑んで一糸乱れず、スリリングに疾走し、一方で歌も絶望も情感も冴え冴えと描き出す様は、実に見事であった。
まったく異なるタイプの芸術性を備えた亀井さんとイ・ヒョクさん。二人の「第1位」という結果も、このコンクールが非常に高いレベルで競われた証明である。今一度、ファイナル審査を振り返ってみたい。
1943年の創設時にならい、今年から「ロン=ティボー」の名称に回帰した本コンクール。2年のキャンセル(ヴァイオリン部門、声楽部門)を経て、今年のピアノ部門には世界43か国から112人が応募した。パリ開催の本予選(11月7~9日)に向けて、32人がビデオ審査を通過した。
セミファイナル(10日)に進んだのは男性のみ10人、彼らの最年長が弱冠25歳と、年齢層の若さも目立つ。ファイナリストの6人の方々が、芸術的才能に加えて、強靭なメンタルの持ち主であったことも特筆したい。
ファイナルのライブ配信のアーカイブ
さて、ファイナル審査のトップバッターが、第4位を獲得した重森光太郎さん。
セミファイナルで、深みのある音創りも見せた彼は、チャイコフスキー作曲「ピアノ協奏曲第1番」でも、弾力に富んだふくよかな音色で、ロシアのロマンティシズムの陰影を見事に描き出した。オーケストラとの本格的な協演は初めてだったと聞いたが、それを微塵も感じさせない集中力で、管弦楽と親和する多彩な音色を駆使し、豊穣な響きの中に聴衆を惹き込んだ。
続く中国のGUO Yimingさんは第6位に。セミファイナルでは、楽曲の内面を見据えた知的なアプローチと、典雅で調和のとれた表現が印象的だった。ラフマニノフ作曲「ピアノ協奏曲第3番」では、もう少し熱く燃え上がっても……というもどかしさもあったが、一貫して格調高く、洗練されたタッチが美しいピアニストだ。
第3位のDAVIDMAN Michaelさんはアメリカ人、独特の奏法で、粒立ちのよい音と華やかなピアニズムが特長。セミファイナルでは、各作曲家の作品の間で、音色の描き分けが物足りなく感じられたものの、協奏曲では奔放に挑みかけ、オーケストラを牽引する様子が秀逸であった。彼はオーケストラ賞も重ねて受賞した。
イ・ヒョクさんと亀井さんが会場を熱狂させた午後の部、最後のコンテスタントとして、韓国のNOH Heeseongさんが登場。同日3人目のチャイコフスキー作曲「ピアノ協奏曲第1番」である。 第5位を獲得したNOH さんは、セミファイナルのスクリャービンの「ピアノ・ソナタ第2番」で、硬質のきらめきと内に秘めた歌心を交錯させ、心に染み入る演奏を披露した。協奏曲でも、彼の洗練されたタッチ、キレ味と弾力性のバランスが生かされていた。
決勝進出が叶わなかったセミファイナリストについても少し触れた
パリ国立高等音楽院に入学したばかりという17歳のPaul Lecocqさんは、まだ不安定さはあるものの、
最後に、一風変わった形式の結果発表と受賞者コンサートについて。
今回よりコンクール総裁を務めるのは、AFER(仏大手の保険会社)総裁、経済学者のジェラール・ベッケルマン氏。熱心なアマチュアピアニストで、
マイクを取った彼は、コンクールに参加できなかったウクライナのピアニストへの思いを述べ、ギャルド・レピュブリケーヌ管弦楽団よりフォーレ「ラシーヌの雅歌」が演奏された。
また、女性の参加者が少数であったことにも言及し、BONYUSHKINA Ekaterinaさんをはじめ、セミファイナルに進まなかったコンテスタントが、予選の曲を演奏する場面も。「7番目の男」となり、惜しくもファイナル進出を逃したWEI Zijianさんは、ラヴェル《ラ・ヴァルス》を披露して聴衆を湧かせた。
驚いたのは、〈プレス賞〉〈聴衆賞〉を授与され、ステージに上がった亀井さんが、ベッケルマン氏から出し抜けに、予選とセミファイナルの難曲(ラヴェルの「トッカータ」、ショパンの「プレリュード」第16番)の演奏をリクエストされたこと。聴衆を唖然とさせるようなこんな要求にも、亀井さんは余裕で応じ、改めて彼の超人的なメンタルと体力にも瞠目する思いであった。
結果発表の後は、亀井さんとイ・ヒョクさんが、再度それぞれの協奏曲を演奏。続く受賞者パーティでは、報道陣に囲まれ、多くの人々に祝福される受賞者の表情に胸が熱くなった。
皆さん、おめでとうございます!