そんな順調に思えた日常が一変したのは、小学校5年生のとき。左足の股関節が悪くなり、「大腿骨頭すべり症」と診断されて、1年間歩けなくなってしまった。最初の半年間は胸からつま先まで石膏ギプスで全身固められて、完全寝たきり生活。さらに後半の半年間は松葉杖生活に。最終的には免れましたが、当初は左足切断の診断をされ、義足か一生車椅子生活の選択も迫られ、当時でいう養護学校の見学まで母と行きました。ちゃんと座ることもできないので、ピアノもヴァイオリンも弾けず、学校にも通えなくなって、ひたすら家で読書をしたり、図書館で借りてきてもらったクラシックのレコードやCDを片っ端から聴いたりして過ごしていました。
そしてその頃、僕は当時習っていたピアノの恩師を失ってしまいます。より本格的にピアノを習うために、当時は東京音楽大学の三宅民規先生にピアノを習っていたのですが、その先生が闘病の末、残念ながらガンで亡くなられたのです。三宅先生は、僕の名前の由来にもなっているマリオ・デル・モナコと並んで元祖三大テノールとも言われる、ジュゼッペ・ディ・ステファノなどの歴史的名テノール歌手の伴奏も務めた、日本を代表する有名なコレペティトール(オペラ専門のピアニスト)のスペシャリストでした。
足の病気で立つこともできず、音楽もできず、大尊敬していたピアノの先生も失って、「もういいや」と思った時期もありました。ただ、その後中学校に入学すると、思いもかけない運命から、僕の音楽の新たなステージが始まるんです。