シュトラウス2世が生きていた時代のウィーンは、名門貴族ハプスブルク家の治める巨大帝国の都として、数世紀にわたる伝統と格式を保ち続けていた。と同時に、産業革命や科学革命がおきつつあった社会に相応しい近代都市へと変貌も遂げつつあった。ウィーンの誇るいわばポップスターだったシュトラウス2世自身、そうしたウィーンの世相を採り入れた作品を数多く残している。
今回の演奏会でも、そんなシュトラウス2世や「同時代性」を反映した作品も光る。ポルカ《取り壊し屋》はその典型で、古い市壁が取り壊され、現在のウィーンの中心街を成す豪華な環状道路や真新しい建物が姿を現しつつあったウィーンの姿を如実に伝えてくれる1曲だ。
かと思えば、都市改造の一方でウィーンの森やドナウ河を中心に美しい自然が保たれ、今や世界を代表するエコシティになっているウィーンを象徴するかのように、ワルツ《オーストリアの村燕》が取り上げられるのもミソである。つまりここには、「過去」のウィーンを振り返りつつ、その遺産が「現在」にも受け継がれているウィーンならではの姿が浮き彫りになっている。
そんな「過去」と「現在」の往還を、世界でも唯一無二の響きを通じて鮮やかに示してくれるオーケストラこそが、ウィーン・フィルに他ならない。
ポルカ《取り壊し屋》、ワルツ《オーストリアの村燕》
もちろん、同じオーケストラであっても、年月とともに団員は変わってゆく。とくに近年のウィーン・フィルは、女性を含め若い団員が増えており、昔の音が変わったと指摘する声も少なくない。
たしかにかつての録音と、近年の録音を聴き比べてみると、この老舗オーケストラの音色も変化している。とくにニューイヤーコンサート草創期の指揮者クレメンス・クラウス(1893~1954)が指揮した1940・50年代の録音、さらに彼の指揮の下でコンサートマスターを務めていたウィリー・ボスフコフスキー(1909~91)の1960・70年代の録音に聴かれた「鄙びた味わい」は、後退している。
ただし、ワルツを奏でるときの三拍子のリズムの崩し方、メロディの艶やかな歌わせ方を聴いていると、オーケストラのDNAは若い世代の団員にも脈々と受け継がれていることがよくわかる。それもこれも、録音技術が存在しているおかげであって、それを通じて私たちは過去と現在のウィーン・フィルの「差異」と「共通性」を同時に知ることができる。
ムーティも今年で84歳。彼自身、その伝統形成の一翼を担ってきたウィーン・フィルのニューイヤーコンサートが、いよいよ幕をあける。