ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート誕生の歴史〜戦後の精神的危機を癒す新春の調べ
1月1日といえば、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサート!
ウィーン楽友協会で開催されるこの華やかな一大イベントは、どのような起源と歴史をもつのでしょうか。鑑賞の前後にぜひおさらいしてみましょう!
神戸市外国語大学教授。オーストリア、ウィーン社会文化史を研究、著書に『ウィーン–ブルジョアの時代から世紀末へ』(講談社)、『啓蒙都市ウィーン』(山川出版社)、『ハプス...
新しい年が明け、元旦の昼間の行事をほぼ終えてしまうと、なんとなく落ち着かない気分になってくる。19時を過ぎると、クラシック音楽の殿堂、ウィーン楽友協会・金のホールから、現地時間11時15分開演の「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート」の生中継が開始されるからだ。
数あるクラシック音楽のイベントコンサートの中でも、群を抜く知名度を誇り、オーストリア国営放送およびユーロヴィジョンネットワークを通じて、日本だけでなく、世界約90ヶ国に生中継される、ニューイヤーコンサート。テレビかラジオさえあれば、まさにいまウィーンで奏でられる優雅なワルツの調べを、現地の人々と同時に堪能することができるのだ。
これはいわば、音楽のもっとも平等かつ民主的なあり方であり、このコンサートがこれほどまでに世界中で愛されてやまない理由のひとつでもあるだろう。
ニューイヤーコンサートの起源
国立歌劇場管弦楽団の精鋭による、いわば「エリートオーケストラ」として1842年に活動をスタートさせたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。その180年におよぶ歴史の中で、ニューイヤーコンサートはいったいどのような位置を占めてきたのだろうか。
現代のあまりに華やかで祝祭的な様相とは裏腹に、第1回のニューイヤーコンサートは、第二次世界大戦とナチスドイツによるオーストリア併合の最中、1939年に開催された。この演奏会は、正確には「ニューイヤーコンサート」ではなく、大晦日の夜に行なわれたジルヴェスターコンサートであったという。
ドイツ語を母語とし、基本はドイツ民族によって構成されたオーストリアを「同胞国家」と見なし、1938年に体良く併合したナチスドイツは、従来の社会制度や文化施設を巧みに私物化し、ウィーン・フィルもまた、併合後まもなく、ユダヤ系や反ナチスの団員が徹底弾圧されて、ほぼナチス御用達のオーケストラへと姿を変えていた。自由を矜持とするこのオーケストラにとってまさに「死の時代」である。
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