欠陥だらけの「下手な詩」

「歓喜に寄せて」を書いてから15年後、シラーは友人ケルナーに次のような手紙を書いている。

「歓喜に寄せて」は僕の今の気持ちでは欠陥だらけです。たしかに一種の感情の火によって好まれているものの、これはやはり下手な詩です。それが表しているのは、ある教養の一段階、僕が何かまともなものを作り出すために捨て去らねばならなかったものです。ですが、「歓喜に寄せて」は、時代の欠陥だらけの趣味に迎えられました。(中略)君がこの詩に寄せる愛着は、成立した時期に基づいています。あの時期だけが、この詩に価値を与えているのです。それは、私たちにとっての価値にすぎず、世界や詩芸術にとっての価値ではありません。

若い頃の窮状を救ってくれたケルナーに対し、シラーは感謝の気持ちを忘れなかった。手紙に書いている通り、「歓喜に寄せて」は2人の友情の結晶であり、特別な作品であることに変わりなかった。しかし、シラーはそれを欠陥だらけの「下手な詩」と呼んでいる。なぜ、このように消極的な評価を下したのだろう。

そこには、シラー自身の変化が関わっている。若い頃のシラーは「疾風怒濤(Sturm und Drang)」という運動の代表人物だった。この運動は、それまで文学を縛っていた規則を打破し、人間の感情や自然の美しさをありのまま表現しようというものだ。だが、シラーはそうした文学から次第に離れていった。感情を思うがままに表現することよりも、調和した人格の形成を重んじるようになったのだ。

新たな作風を志すきっかけになったのは、ゲーテとの親交である。この時期に彼らが書いた作品は、「ワイマール古典主義」といわれ、ドイツ文学の黄金期を成している。

ワイマールの劇場前に立つゲーテとシラーの像。ドイツ文化を象徴する場所にもなっている。

こうした作風の変化を踏まえると、シラーが「歓喜に寄せて」を「教養の一段階」と呼んだ理由も見えてくる。新しい文学を模索していた時期のシラーにとっては、同作が時代遅れの産物にしか思えなかったのだろう。一体、どの部分が問題だったのだろうか。それを理解するには、18世紀末から19世紀初頭のヨーロッパ社会に目を向けねばならない。

フランス革命への嫌悪感

処女作『群盗』に代表される通り、若い頃のシラーは政治的なメッセージの強い作品を書いていた。そうした姿勢は「歓喜に寄せて」にも表れている。「時流という刃が分け隔てたものを/物乞いらも君主の同胞となる」という文言は、暴力による統治を批判し、身分を超えた兄弟愛を訴えるものだ。

1803年、シラーはこの部分を書き直した。新たな版では「時流が強く分け隔てたものを/すべての人は同胞となる」に変わっている。「刃」という暴力的な表現、「物乞い」や「君主」という封建社会を暗示する表現が、詩から削除されたのだ。なぜ、シラーは完成していた作品を修正したのだろうか。

そこには、1789年から始まったフランス革命が関係している。当時、シラーの名はフランスでも広く知られていた。『群盗』が国家権力に対する告訴として注目され、シラーは革命政府から名誉市民の称号を贈られていたからだ。

パリのコンコルド広場で行われたルイ16世の処刑。熱狂する大勢の人々が描かれている。

しかし、シラーはフランス革命に対して懐疑的であった。その実態がひじょうに暴力的だったからだ。1793年の2月、ルイ16世が処刑されたというニュースに接した際、シラーはケルナーに次のように書き送っている。

フランスのことをきみはどう思っているでしょうか。実のところ、国王のために、僕はすでに一筆書き始めていたんだ。でも、うまくいかなかった。(中略)この2週間、僕はもうフランスの新聞を読めないでいます。この見るに堪えない人殺しの輩は、僕に吐き気を催させるのです。

ルイ16世の処刑やロベスピエールの恐怖政治など、フランス革命では多くの人々が命を落とした。旧来の身分社会に反抗していたシラーであるが、あまりに過激な動きには否定的であった。革命に「吐き気」をもよおしたのは、人々の残忍さと狂気を感じ取ったからに違いない。

そうした点を踏まえると、シラーが1803年に「歓喜に寄せて」を書き直したのは、当時の社会情勢を危惧してのことだといえる。シラーが「時代の欠陥だらけの趣味に迎えられた」と語っている通り、「歓喜に寄せて」は革命に熱狂する人々にも受け入れられていた。

しかしシラーが目指していたのは、市民たちが為政者を次々と処刑するような社会でも、特定の政治家が対立する者たちを殺める社会でもない。「物乞いらは君主の兄弟となる」を「すべての人が兄弟となる」に変えたのは、階級間や党派間の闘争を煽りたくなかったからだろう。争いが新たな憎しみの種を生むと感じ、全人類的な愛の大切さを訴えたのだ。

シラーの理想とベートーヴェンの選択

前回の記事では、友人ケルナーが作ったとされる歌を紹介した。しかし、ケルナーが曲をつけた「歓喜に寄せて」は、シラーが書き直す前の版である。だとすれば、それはシラーの理想から掛け離れていたはずだ。

では、「第九」の歌詞はどうなのだろうか。ベートーヴェンが初めて読んだ「歓喜に寄せて」は、書き直される前のバージョンだったという。しかし、約30年後に発表した交響曲では、1803年の改訂版を使っている。詩を合唱に仕上げる中で、ベートーヴェンは若い頃に読んだテキストとの違いに気づいたはずだ。フランス革命後に起きたナポレオン戦争の惨状を知る彼は、シラーの心境の変化を読み取り、非暴力への願いに共感したのかもしれない。

山取圭澄
山取圭澄 ドイツ文学者

京都産業大学外国語学部助教。専門は18世紀の文学と美学。「近代ドイツにおける芸術鑑賞の誕生」をテーマに研究し、ドイツ・カッセル大学で博士号(哲学)を取得。ドイツ音楽と...