しかし、やがてシラーの願いが叶うことになる。ベルリンの壁崩壊と東西ドイツの再統一である。冷戦の時代、ドイツは「資本主義陣営の西ドイツ」と「共産主義陣営の東ドイツ」に分かれていた。東西を隔てる「ベルリンの壁」は、それを象徴するものだった。
1989年、シラーが「歓喜に寄せて」を書いたライプツィヒでは、自由選挙と旅行の自由化を求めるデモが起こった。参加者は7万人に膨れ上がり、政府の中には武力制圧を準備する動きも見られ始めた。そのとき、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団長のクルト・マズアは、仲間と次のように呼びかけた。
私たちは皆、我が国における社会主義の継続について、自由な意見交換を必要としています。私たちは全市民に約束します。この対話がライプツィヒ市の中だけでなく、東ドイツ政府とも実現するよう、あらゆる力と権限を用いることを。どうか冷静でいてください。それによって平和な話し合いが可能になります。
デモ隊と政府に対し、マズアは冷静な話し合いを求めた。プラハの春や天安門事件のような惨状を恐れたのだろう。しかし、声明の背景は、それだけではないように思える。場所がライプツィヒであること、一貫して対話を求めることを踏まえると、非暴力の訴えにはシラーの想いが宿っていたのではないだろうか。
その後、ドイツは再統一への道を歩み始めた。1か月後にはベルリンの壁が崩壊し、1年後には東ドイツが西ドイツに吸収された。驚くべきことは、その過程で一滴の血も流れなかったことだ。非暴力で行なわれた革命は、まさにシラーの理想だったといえる。
デモ開始から2か月後の1989年クリスマス、東西のオーケストラの有志が、バーンスタインの元に集まった。演奏されたのは、もちろん「第九」である。「喜び(Freude)」を「自由(Freiheit)」に言い換えた合唱は、新しい時代の幕開けを飾るとともに、人々の平和への願いを映し出すものだった。
この演奏から30年以上が経った。残念ながら、世界では今も争いごとが絶えない。情勢が不安定な今こそ、もう一度「第九」に耳を傾け、シラーが詩に込めた願いを思い返したい。