チェルニーの名前は、今日でもピアノ練習曲の作曲者としてよく知られています。彼は15歳でピアノ教師となり、レッスンのかたわら作曲にも精を出しました。コンサート・ピアニストの道は選ばず、終生ウィーンで過ごしたインドアタイプ。しかし商才とピアノに対する鋭い知見を武器に、教育家として、また作曲家として世界にとどろく名声を得ました。

片やもうひとりの愛弟子、リースはどうだったでしょうか。彼は、チェルニーや師匠のベートーヴェンとはまったく異なるドラマティックな音楽人生を歩みました。コンサート・ピアニストを志したものの、ときはナポレオン戦争のまっただなか。徴兵から逃げまわり、音楽活動の場を探し求めた結果、パリへ、北欧へ、そしてロシアへとはるばる流浪の旅へ。その旅先でも、極貧生活に陥ったり、私掠船(国家公認の海賊船)に拉致されたり(!)、ロシア遠征中のナポレオン軍と鉢合わせしたり(!!)、いくども大ピンチに見舞われます。

それでもピアノを弾きたい、舞台に立って喝采を浴びたい──この執着心こそが、リースを音楽家として大成させた最大の武器でした。

ベートーヴェンはリースを「我が強いやつ」と評したと伝えられています。難聴の苦しみを乗り越えたり、前代未聞の合唱付きの交響曲を生み出すことだけが我の強さではない──この愛弟子の生きざまは、歴史に埋もれてしまった知られざる音楽家像を、私たちに見せてくれるのです。

ベートーヴェンが「我が強い」と評した愛弟子フェルディナント・リースについてもっと詳しく!

『ベートーヴェンの愛弟子 - フェルディナント・リースの数奇なる運命』(かげはら史帆/春秋社) 2020年4月刊行
かげはら史帆
かげはら史帆 ライター

東京郊外生まれ。著書『ベートーヴェンの愛弟子 – フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)、『ベートーヴェン捏造 – 名プロデューサ...