自分の感覚を、まず世界共通ルールに合わせることの意味

――試験のために、どのような訓練をされたのですか?

M  テイスティングの勉強では、味わいを〈酸味〉〈苦味〉〈甘味〉という風に分解し、自分の感じ方はさておいて、「このワインの苦味は5段階の4」といった世界共通とされている基準を、自分の中にインストールしていきます。自分では「酸味が多い」と感じても、世界基準で「中程度の酸味」とされていたら、その通りに憶えていく。ある意味、記憶の訓練です。

また香りもワインの重要な要素です。香りの成分を嗅ぎ分ける能力は、人によってそれほど差はなく、訓練すれば誰でもほぼ同じくらいのレヴェルに達することができるそうです。ソムリエの方々は優れた嗅覚の持ち主と思われがちですが、彼らに長けているのは「これは白い花の香り」というように、記憶を引っ張ってくる能力なのですね。大事なのは、思い出せるかどうかです。

――でも、味覚はとても主観的ですし、嗅覚も個人的な記憶にかなり左右されるのでは? 自分の感じ方を変えるのは、そうとう難しい練習ではないかと想像します。

M  自分の感覚を、規定された訓練によって、いったん世界共通のルールに合わせることができれば、その訓練を受けた者同士で、味わいについて語り合えるようになります。「共通言語の獲得」と言ったらよいでしょうか。音楽への理解が深く、優れた人と共に演奏すると、音楽で会話ができる、それに近い感覚ですね。

ワインを学ぶ者同士であれこれと議論し、お互いの認識を確かめ合い、比較を繰り返しているうちに、あいまいな印象がクリアになり、徐々に自分の中に「味の地図」ができていく。これは素晴らしい経験でした。

ワインエキスパートの試験では、テイスティング能力だけでなく、世界各国のワイン産地や法律に関する幅広い知識が求められる

――ワインの世界を内側から知ったことは、ご自身の音楽観にもインパクトを与えましたか?

M 僕は、ワインの勉強を音楽面に活かそうとはまったく思っていないのです。しかし、たとえば1冊の本を読むと、その内容が数ページに凝縮されて自分の内側に残るように、何かに真剣に取り組むことによって、核となる重要な部分が自分に刻まれ、それが無意識のうちに影響を与えているということは、あるのかもしれませんね。

(連載第2回に続く)