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2022.06.29
新連載「ただいまショパン」開始記念! ショパン研究の小坂裕子さんインタビュー

完璧主義者ショパンの“設計図”とは? 全曲聴いて味わう魅力

古今東西で愛されるショパンの魅力をより深く堪能すべく、ショパンの全作品を聴く連載「ただいまショパン」がスタート! その前にまず、作曲家◎人と作品シリーズ『ショパン』著者の小坂裕子さんに、ショパンの作品番号に込められた意味や、自己コーディネートに抜かりなかった完璧主義者な一面など、詳しくお話をうかがいました。

取材・文
ONTOMO編集部
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ONTOMO編集部

東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...

写真:編集部

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作品番号65まではショパンが描いた完璧な“設計図”

——まず、ショパンの作品を全曲聴くには、どのような順番がいいでしょうか?

小坂 ショパンの作品は、大きく2つに分けることができます。まず、作品番号1〜65までは、ショパンが自分で作品番号をつけたものです。それ以外は、幼いときの作品や、亡くなるときに全部破棄してほしいといったもの。だから、まずはショパン自身の考えによってまとめられた作品番号65までを続けて聴くのがいいと思います。

——ショパンは自ら作品番号をつけたのですね。

小坂 マズルカやノクターンがひとつの作品番号で数曲ずつセットになっているのは、ショパンが別々に作曲した作品を、バランスを考えてまとめたからです。組曲のような感覚です。“ショパンの設計図”があるんですよね。

——ショパンの設計図!?

小坂 そうです。1曲ずつ完成させているわけではなくて、これはどこに入れよう、これはこうしようって自分で設計しているんです。ショパンの頭の中には、全体を見通した設計図があって、スケルツォを4曲、バラードも4曲……といった感じで、バランスを考えていました。

自分の完成形を考えて作っていた人、完璧な考えを持っていた人ですね。

小坂裕子(こさか・ゆうこ)
東京藝術大学大学院音楽研究科音楽学専攻修士課程修了。
著書に作曲家◎人と作品『ショパン』(音楽之友社)、『自立する女 ジョルジュ・サンド』(NHK出版)、『ショパン 知られざる歌曲』(集英社)。訳書にシルヴィ・ドレーグ・モワン著『ノアンのショパンとサンド』、アンドレ・ブクレシュリエフ著『ショパンを解く!』、ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル著『ショパンの響き』(音楽之友社)などがある。

——設計図というのは、何を目指していたのでしょうか?

小坂 全体の音のバランス、音楽としての完成度ですね。理想の形を実現するために、どうしたらいいか、パズルのように考えていました。

例えば、《別れの曲》は最初はテンポが速かったけれど、バランスを考えてゆっくりにしました。

練習曲Op.10第3番《別れの曲》

小坂 「練習曲」は別々に出版された12曲ずつのセットが2つあります。Op.10の第1番(最初の曲)の分散和音が、Op.25の第12番(最後の曲)にも出てきて、同じように音を飛ばしていくのに、よりダイナミックになっています。だから24曲でまとめ上げているようなところがある。これも彼の設計図だと思うんです。

「練習曲」Op.10、Op.25

小坂 「24の前奏曲」の第10番に雨だれを持ってきた理由は、この曲が一番長いからです。ほかの短い曲とのバランスを考えて、断片に聴こえないように流れをもたせています。

「24の前奏曲」Op.28

小坂 設計図の完成形はOp.65のチェロ・ソナタまで。Op.66以降は、ショパンの没後に編集者がつけたものです。

設計図から外れた死後出版の作品とショパンの流儀

——Op.66以降はショパンの中でどういう位置付けだったのでしょうか?

小坂 いろいろな見方があると思いますが、出版するつもりはなかったと思っていたでしょうね。捨ててもいいよとまでは思っていなかったでしょうけど……(笑)。

——Op.66の《幻想即興曲》は、今ではすごくメジャーな曲なのに、意外ですね。

小坂 この作品は依頼があって書いたのではないか、または、ほかの人の作品に似ていたから出版しなかったのではないかと言われています。依頼があって作曲をしたからということからも、ショパンの流儀ではなかったのでしょうね。

《幻想即興曲》Op.66

——そもそも、ショパンの場合は自発的に書いたものを売るというのが基本だったのでしょうか?

小坂 そうですね、自発的に書いて、それを売ってくださいと出版社に呼びかけたのです。書いてくださいと言われたこともあると思いますが、基本は自発的にですね。

——ほかの作曲家だったら注文されて作曲したパターンも多いですよね。

小坂 だから彼は本当に、自立した作曲家・芸術家でした。貴族に媚びることもなく、自分で作品を書いてまとめて、出版社に送り、ちゃんと生計が成り立っていました。あとはレッスンをしてとても収入を得ていたので、生活に困ることはなかったのでしょう。レッスンを受けた人たちからのプレゼントも多かったですし。

——何をもらったんでしょうか? 粋な人だからあまり手紙に書き残していなさそうですね。

小坂 なんでしょうね(笑)。しかも、直接レッスン料を手渡してはいけなかったようです。暖炉の上などにそっと置いて帰りました。ショパンは最高に貴族的だったと言われていますが、相手の方もそのように接していたのですね。

自分の演奏の仕方にも彼はこだわっていましたし、『弟子から見たショパン』という本からもわかるように、お弟子さんに対して相当完璧なことを求めていたと思います。そういう意味でも、すべてを自分で決めて、コーディネートしていた人です。

『弟子から見たショパン』
ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル 著
米谷治郎、中島弘二 訳
(音楽之友社刊、2020年)

浮かび上がる“完璧主義者”ショパン

——Op.66以降はなぜ生前に出版しなかったのでしょうか?

小坂 完成度が足りなかったわけではなく、まとまりの中に入れにくかったのではないでしょうか。

ショパンは自分が演奏する以外にも、弟子などに演奏してもらう機会を多く持っていたので、その時間を自分が納得する時間にしたかったんだと思います。出版されなかった作品には、おそらくそのレパートリーに入れにくかったものもあるでしょう。

——自分で作った作品なのに不思議ですね。その時間や空間にマッチしなかったということですよね。作ったからには世に出さなきゃって思いそうなのに(笑)。

小坂 その完璧さというのは、生活からもうかがえます。完璧主義者。ショパンはものすごく勤勉な人だったんです。その勤勉さゆえに、納得できないものは外していたのではないですかね。

——実生活における完璧主義者なエピソードはありますか?

小坂 ネクタイの結び方、髪型、白い鹿革の手袋などにこだわり、そして部屋にはいつも花を飾っていました。だから、髪も整えられないし、手袋もしていないマヨルカ島の生活は、彼にとってすごく嫌だったみたいです。

午後から散歩をして、それから夜会に行くときには、きちんと自分が考えた通りの服装に着替えて出かけていました。シワの寄ったズボンは嫌だから、ピンとはるようにプレスするようなこだわりもあったみたいですね。

それから、すごく綺麗な字を書きますよね。絵もうまいし。

ポロネーズOp.26自筆譜のタイトル

——自筆譜も美しいですよね。ショパン博物館で、小学生のショパンの時間割を見たときには驚きました。小学生でこんなに詰め込むの!? って。

小坂 そういう教育も、完璧主義者ショパンを作ったのだと思います。それと即興の天才だったから、自分が作る曲に対しての「耳」がすごくあったんだと思います。いつも自分で耳を鍛えていたので、客観的な耳を持っていた人だったんじゃないかと思います。

——完璧主義を貫くのは難しそうですが……。

小坂 私はやはりジョルジュ・サンドの存在が大きかったと思っています。サンドが整えた生活によって、日々の食事や環境の質が良くなって、ショパンはより一層作曲に集中できたと思います。だから、サンドと生活していた時期には傑作が多く生まれています。

ドラクロワ《ショパンとサンド》
(1838年頃、ルーブル美術館蔵)

ショパンが生きた時代から現代まで愛されるショパンの魅力

——小坂先生が思われるショパンの一番の魅力は?

小坂 ショパンは、マズルカやスケルツォやワルツと分類していますが、それぞれのキャラクターがよくわかるように作られているんですよね。

私はノクターンが本当に好きで、いくら聴いても飽きません。穏やかな中にいろんなものが込められていると思います。ワルツは聴きやすい曲なのに、単なるワルツではないと感じられる。そして、ソナタも楽章のバランスが素晴らしいと思います。2番のソナタの終楽章は不思議な雰囲気です。時代を先に進めているような印象、ショパンという才能ゆえの謎めいた楽章なのです

小坂さんが聴き込んでいるというマウリツィオ・ポリーニによるノクターン集

小坂 それから、よく言われるように、ポロネーズはポーランドへの強い気持ちを込めて作られていて、やっぱり人の気持ちを鼓舞するようなものがありますね。

ピアノ協奏曲はピアノが本当に美しく歌うでしょう? その音色、旋律の美しさは、声楽を心から愛したショパンならではのもので、ピアノを声のように流麗に歌わせたい人の作品なのだと思います。

ピアノ協奏曲第1番、第2番

小坂 「24の前奏曲」は、まるでスケッチのようです。さまざまな要素があって、一つずつが短編のようで、全体を見ると大きな絵になる。前奏曲や練習曲を1つ2つ取り出しても、演奏会のレパートリーに入れられる。それくらいに1曲ずつが美しい。美学的な美しさがある。

どれも凡庸じゃない」というのがなによりの魅力だと思います。どれも非常に洗練されていて、特別。音色がものすごく美しい。どうしてあれほど音色が美しいのかと。ショパンを好きな人がとても多いのは、どれを聴いても、ああこれこそショパンの音楽と魅了されて納得してしまうからではないでしょうか。

あともう一つの魅力は、ある程度ピアノを弾いている人だと、ショパンを弾くことができる点だと思います。上手かどうかにかかわらず、弾こうと思えば弾けるんですよね。不思議と指遣いや音形が、弾けるように書かれています。例えば、スクリャービンなんか難しくて弾けないですが……。でも、それをどのように弾こうとするかには、その人の感性がすごく生きてくる。これもまた、魅力だと思います。

現代に生きる人たちもショパン愛好者が多いけれど、当時の人たちもまさにそうだったと思います。教養があって美意識がとりわけ高い人たちも、ショパンの曲を弾きたいと弟子になることを願った、あるいは楽譜を手に入れることを心待ちにしていた。芸術に精通した人の心を捉えてしまったのです。

——小坂先生の推し曲を教えてください。

小坂 ショパンコンクールで演奏されないコンチェルトをご紹介したいです。Op.13の《ポーランド民謡による大幻想曲》は衝撃的で、ポーランドという民族の香りにあふれていて、ショパンでないと作れないピアノの美しさ、勢いがあって。オーケストラとの関係もとてもいいと思います。

《ポーランド民謡による大幻想曲》Op.13

——どうしてショパン研究の道に進まれたのでしょうか?

小坂 30年ほど前に「ムジカノーヴァ」でシューマンのピアノ曲について翻訳をしたのですが、そこでシューマンがショパンのことをものすごく褒めて評価していて、「ショパンっていいなぁ」と思ったのがきっかけです。

次にジョルジュ・サンドのことを調べているうちに、サンドから見たショパンを知るようになって、あのサンドがショパンをすごく大切にした理由は一体なんだろう? と思ったときに、やっぱり芸術性だろうなと思いました。ショパンの人間的な魅力ももちろんあったし、病気の人を放っておけないサンドの性分もあったでしょう。サンド自身も19世紀フランスを代表する作家なので、“天才は天才を知る”だったのではないでしょうか。その人がショパンを気に入って、音楽を書けるような環境を整えてあげたかったんだろうなと感じました。それからさらにショパンの研究をしたいと思いました。

私はサンドに嫉妬を感じることもあります。ショパンの音楽を毎日のように耳にできたのですから。そんな思い入れが強かったせいか、サンドのノアンの館に行ったときには、そのお墓の前に立つと「ショパンのことをお願いね」って言われたような気がしました。

もしサンドに会えるなら、いろいろな男性と付き合った経験がある中で、なぜ9年にわたりショパンの人生を支えるのに心をくだいたのか、ショパンが曲を作り出す土壌を作ってあげたのか、きいてみたいです。

ジョルジュ・サンドの息子モーリス作《ノアンの館》(石版画)

——ショパンとサンドどちらかにしか会えないとしたら、サンドですか?

小坂 サンドに会ってみたいですね。ショパンの音楽を聴きながら生きた人ですから。サンドは考えられないほどのエネルギーの持ち主で、愛した孫を幼くして亡くすなどの苦しみを味わいながらも、自然を愛し、乗馬を楽しみ、作品を次々に世に送り、たくさんの友人知人に手紙を書き続けて、72歳まで生きました。とても興味深い人だと思います。そして、その人が大切にしたショパンだから、さらに興味がわきますね。

新連載「ただいまショパン」

7月から毎週水曜日と金曜日に更新! ショパンの作品を全曲聴くことに挑戦します。前半はショパン自身が作品番号をつけたOp.65までを一つずつ、後半はOp.66以降を作曲年順に並び替えることで、改めてショパンの生涯をたどっていきます。

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