読みもの
2020.10.22
飯田有抄のフォトエッセイ「暮らしのスキマに」File.31

人とのディスタンスから、ハイドンの“音の距離”を考える

飯田有抄
飯田有抄 クラシック音楽ファシリテーター

1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Maqcuqrie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。2008年よりクラシ...

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ブランコも、一人ずつじゃないと気楽に遊べない……? そんなご時世。

人と人との距離って、感染症の問題ではわかりやすく大事になりますが、もともと「あって然るべし」という気持ちのよい距離感というのはありますよね。

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よく、「スープの冷めない距離」などと言いますが、アツアツのスープを運んで行っても、到着したころにはちょうど良い温度になってるくらいの距離、適度なあったかさは保ちつつも、ちょっと離れる心地よさはあるよね、ということなのだと思います。

私のように猫舌の人間は、その距離が割りとあっても良いのかもしれない。

人とベッタリ、というのはけっこう苦手です。

ディスタンス、人と離れて寂しいね、という論調の目立つ昨今ですが、離れるから感じられる良さとか、見えてくる自分自身とか、そういうのを大切にできる時間でもあります。

音楽において距離といえば、「音程」というのがすぐ頭に浮かびます。

音と音との距離。

3つ音が離れることを3度(たとえばドとミ)、5つ離れることを5度(ドとソ)、というように、音楽用語では「度」という言葉で音と音との距離=音程を表しますが、何度跳躍するのか、というところに音楽的な意味というか、表現が宿ります

ハイドン弦楽四重奏に「5度」の相性で親しまれている作品があります(第76番ニ短調 op.76-2)。

第1楽章の冒頭で、ファーストヴァイオリンが、「ラ-レ」「ミ-ラ」と下行する2つの5度音型から開始することから、この名で呼ばれています。5度音型はその後も各パートに随所に登場し、独特の緊張感や空間、楽章の個性や統一感をもたらしています。

ところで、音程が大きくなればなるほど、音楽的にはエネルギーがかかるというか、表現のポイントになったりします。

歌でも、すぐ隣の音に移るのは割と楽だけど、7度上に飛ぶとなったら音程を取るのが大変だし、6度や3度をきれいな音程で出すのは大事とか、いろいろ気をつけなくちゃいけない。

人も音楽も、距離感って難しいし大事だなぁと、しみじみ思う今日この頃なのでした。

飯田有抄
飯田有抄 クラシック音楽ファシリテーター

1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Maqcuqrie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。2008年よりクラシ...

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