読みもの
2020.11.05
飯田有抄のフォトエッセイ「暮らしのスキマに」 File.33

完成しているのにお蔵入り……シューベルト《ザ・グレイト》のザンネンなエピソード

飯田有抄
飯田有抄 クラシック音楽ファシリテーター

1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Maqcuqrie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。2008年よりクラシ...

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いろいろと、「惜しい!」「ザンネン!」という場面に出くわします。

この写真もそんな瞬間のひとつ。
静岡県側から見た富士山です。頂上が実にザンネンな感じで雲に覆われてしまっています。

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爽やかな秋晴れまでもう一歩、雲が流れ去るのを待っていたのですが、どうにも今ひとつ晴れてくれず。
しかも、待っている間に、カメラの電源がなくなってしまい、こんな日に限って替えのバッテリーを忘れる始末。一瞬だけ顔を出した頂上! しかし、そのタイミングではすでにカメラは死んでいた……。

ここに到着するまえに立ち寄ったカフェで、お洒落なパフェとかパラソルとかインテリアとかを、バシバシ撮影している場合ではなかった。

なんだか悔しいので、もう、てっぺんが雲に隠れていようが、カメラが死んでいようが、とりあえず写したかった画角で、スマホ(しかも少し古い)で撮影してきました。

ところが、この日の写真をあとで見てみたら、カメラで綺麗に写せているパフェやらカフェやらの写真よりも、どうにもこの写真のほうが味わい深い。

雲、邪魔!! あと少しなのに! ザンネンっ! というもやもやした気持ちがまざまざと引き起こされて、結果、わりと思い出深いショットになったりする。
綺麗に撮ったパフェの写真なんて、多分すぐに、記憶の奥底に沈んでいく。
撮れなかったものが、逆説的に心にはっきりと映し出されてくるような、変な写真のほうが、自分の中に残る。

なんだか複雑な気分だ。

音楽家たちの世界にも、きっと「ザンネン!」な出来事は多かったはず。

せっかく作ったのに、委嘱者に気に入られなかったり、初演者のヘタクソな演奏のせいでメチャクチャな印象がついてしまったり、こんなものは演奏できないとお蔵入りにされてしまったり。

作品の歴史を紐解いると、そんなエピソードには事欠かない。

初演は作曲者の死後……なんていうこともあるわけで、作曲家たちにとっては、実際の音の鳴り響きを生涯耳にすることができず、自分の頭の中だけで脳内再生されていた曲なんて、本当にザラにあるんだろう。

フランツ・シューベルト(1797〜1828)は、しばしば作曲の途中で、何らかの理由から曲を完成させずに筆を置くことの多かった作曲家だ。

交響曲第8番ハ長調《ザ・グレイト》(1825年の作曲と考えられている)は、第7番ロ短調《未完成》ほか、未完に終わった5作(!)もの交響曲とは違って、ちゃんと完成させたにも関わらず、ウィーン楽友協会から「演奏は難しい」とはねつけられてしまい、結果お蔵入りとなってしまった交響曲だ。

初演は本人の死後10年以上たってから。シューベルトの早すぎる死に心を痛めながら、兄フェルディナントの家を訪れたシューマンが、この交響曲の遺稿を見つけてしまったときの、心震えるような感動と畏敬の念はいかほどのものだっただろうか。

フランツ・シューベルト(1797〜1828)。
実兄で作曲家のフェルディナント・シューベルト(1794〜1859)。

それから間もなく、シューマンの盟友メンデルスゾーンの手によってゲヴァントハウス演奏会でこの曲が指揮され、その鳴り響きが空間に放たれたのだった。

シューベルト:交響曲第8番ハ長調《ザ・グレイト》

私のザンネン写真から、シューベルトの大作に話をつなげるのもおこがましいが、頂上は確実にそこにあるのに、手にすることを許されなかった……そんなシューベルトに想いを馳せずにはいられなくなってしまった。

シューベルトの死後に《ザ・グレイト》の遺稿を見つけたロベルト・シューマン(1810〜1856)。
シューマンの盟友、フェリックス・メンデルスゾーン(1809〜1847)が《ザ・グレイト》の初演をゲヴァントハウスで指揮。
飯田有抄
飯田有抄 クラシック音楽ファシリテーター

1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Maqcuqrie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。2008年よりクラシ...

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