読みもの
2020.09.01
9月の特集「バッハ」

バッハの名作《ゴルトベルク変奏曲》に潜む歌「キャベツとかぶ」

「不眠症の伯爵のために作曲された」というエピソードが有名な《ゴルトベルク変奏曲》ですが、最後を飾る第30変奏には、「キャベツとかぶ」という不思議な名前の歌が用いられています。「キャベツとかぶ」って一体どんな曲なのでしょうか? 引用された背景と、この歌の正体を、大井駿さんが明かします!

大井駿
大井駿 指揮者・ピアニスト・古楽器奏者

1993年生まれ、東京都出身。 パリ地方音楽院、ザルツブルク・モーツァルテウム大学ピアノ科・指揮科卒。 同大学院、ミュンヘン国立音楽演劇大学でピアノ、指揮、古楽の3科...

ヤン・ステーン《結婚式》(1666年)
バッハ一族も歌ったというクオドリベットは、このような様子で主に飲みの席や結婚式で行なわれました。

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バッハ家のお決まり

バッハ一族は1年に1回、全員で集まって晩餐会を開いていました。9人の子どもや親戚たちもそれぞれの場所で仕事や家庭を持っていたなかで、全員で集まる機会があったらいいよね、という計らいからこの行事が生まれました。

そこではあるお決まりがありました。まず全員が集まってからコラールを歌い、お酒が入って愉快になった頃にクオドリベットを歌ったのです。

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ん、クオドリベット? 聞き慣れない名前ですね……このクオドリベット(Quod libet)とは、ラテン語で「好きなものをなんでも」という意味で、大勢で短いメロディの歌を思いつきで歌い合うことをいいます。

民謡や自作の短いメロディが歌われ、歌詞はダジャレや、時にいかがわしい内容だったり……といろいろですが、だいたいはお酒の席で歌われていたため、みんながノッてくると「おー、今のいいじゃん!」とか「今のダジャレは寒いって!(笑)」などの野次が飛び交ったそう。なんだか、現代のラップに近いものを感じますね。

ヤン・ステーン《愉快な家族》(1669年、アムステルダム国立美術館蔵)
バッハと同時代の家族の集まりの様子を描いた絵。きっとバッハ家の晩餐会もこんな感じだったのでしょう。

作曲家によっては、クオドリベットの形式をそのまま曲にすることもあり、さまざまな大衆歌をコラージュしたような作品も生まれました。

そのうちの1曲に、バッハが書いた《クオドリベット BWV524》という作品があります。カンタータには見られないような愉快さがある曲です。お給料の代わりにビールやワインの樽をもらっていたほどのお酒好きだったバッハが、ビールジョッキを片手に豪快に笑い、ワイワイ騒ぎながら歌っていた様子が目に浮かびます!

バッハ:クオドリベット BWV524

クオドリベット BWV524自筆譜。短いメロディを交互に歌いあっているのがわかります。ちなみに、ここで歌われている歌詞に深い意味はまったくありません(笑)

《ゴルトベルク変奏曲》と「キャベツとかぶ」

さて、クオドリベットが登場するバッハの代表曲に、バッハが56歳のときに作曲した作品《ゴルトベルク変奏曲》があります。もともとの題名を《クラヴィーア練習曲 2段チェンバロのためのアリアとさまざまな変奏》といい、主題のアリアをもとにした30の変奏から構成され、演奏によっては1時間を超えます。

バッハの弟子フォルケルによると、「不眠症の伯爵のために作曲された。同じ和声進行なので眠りやすい曲だが、バッハは気乗りしなかった」そうですが、フォルケルは物事を盛って書くクセがあったので、どこまで本当の話なのかはわかりません。しかし、当時はチェンバロが休みなしで1時間以上演奏するような作品はなかったため、長すぎて本当に寝てた可能性もあるかもしれません……。

チェンバロのために書かれたバッハ:《ゴルトベルク変奏曲》

不眠症のカイザーリンク伯爵に夜な夜な演奏させられたと言われている、ヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルク。
不眠症だったと言われる当の本人、ヘルマン・カール・フォン・カイザーリンク伯爵。

このゴルトベルク変奏曲は、まるで大きな建築物のような作品ですが、この曲の最後を飾る変奏に少なくとも2つのメロディが使われているクオドリベットが登場します! そのうちの1つ「キャベツとかぶ(Kraut und Rüben)」(作曲者不詳)という歌について掘り下げてみましょう。なんだか変なタイトルの歌ですね。

当時の流行歌「キャベツとかぶ」

「キャベツとかぶ(Kraut und Rüben)」
地方によって歌詞が違う場合もありますが、そういった部分もまさに大衆歌ならではです。

この歌詞にある「ぼく」が誰を指しているのかはわかりませんが、どうやら当時からキャベツもかぶもあまり好きじゃない子どもがいたようです。なので、「お母さんが苦手なキャベツとかぶを使って料理したから今日は家に居場所がない」という子どもの気持ちかもしれません。

バッハがそんな歌を最後の変奏に登場させたことによって「もうぼく(バッハ自身)の出番は終わりだね!」のようなニュアンスが生まれます。そのあと、もう1つのクオドリベット「長いことご無沙汰だったね、さぁおいでおいで!」が、最初の主題に対して呼びかけ、この曲の30に渡る変奏は終わり、最初に演奏された主題(アリア)がもう一度登場します。

「長いことご無沙汰だったね、さぁおいでおいで!」

まさに、バッハの粋なユーモアです。ここまでさまざまなテクニックを駆使して壮大な変奏を書いてきたのに、最後は自分を追い出す歌を挿入させて曲を終わらせてしまうんですから……!

バッハ:《ゴルトベルク変奏曲》BWV988〜第30変奏「クオドリベット」(チェンバロ版、ピアノ版、アンサンブル版)

第30変奏の1741年にニュルンベルクで出版された初版の楽譜。
「キャベツとかぶ」は2つに分割して用いられています。青で示している部分は「キャベツとかぶ」の前半部分、赤は後半部分。

さまざまな作曲家に愛されてきた「キャベツとかぶ」

「キャベツとかぶ」は、もともとイタリアのベルガモが起源だといわれています。当初イタリアでは「ベルガマスカ」と呼ばれていましたが、その後ドイツに入ってきてからは「キャベツとかぶ」のタイトルで親しまれるようになりました。

バッハ以前の作曲家も、このメロディをモチーフにすることがありました。このメロディが登場する作品には、バッハが幼い頃に写譜して勉強したフレスコバルディ(1583〜1643)の《音楽の花束》も含まれ、この作品においても「キャベツとかぶ」のメロディが最後に登場して全曲を閉じます。バッハも、きっとゴルトベルク変奏曲を作曲する際にフレスコバルディのこの作品が頭のどこかにあったでしょう。

さらに、バッハが300kmの距離を歩いてわざわざ即興演奏を聴きに行ったというブクステフーデ(1637〜1707)も、同じメロディを使って変奏曲を書いています。

H.I.F.ビーバー(1644〜1704)は、《戦闘》という作品の中に、酔っぱらった兵士たちが自分の故郷の歌を好き放題に歌う、というかなりカオスな曲があるのですが、兵士の一人がそこで「キャベツとかぶ」を歌っているのもなかなか面白いです。

「キャベツとかぶ」が登場する作品たち

フレスコバルディ(1583〜1643):《音楽の花束》〜ベルガマスカ

ファソロ(1598〜1664):ベルガモ風の主題のフーガ

G.サルヴァトーレ(1620〜1688):ベルガモ風カンツォーネ

ブクステフーデ (1637〜1707):《ラ・カプリチオーザ(アリアと32の変奏)》

ビーバー(1644〜1704) :《戦闘》〜酔っぱらっただらしない兵士たち

フレスコバルディによる《音楽の花束》より「ベルガマスカ」。上2つのパートが「キャベツとかぶ」のメロディを演奏しているのがわかります。
ビーバーによる《戦闘》より「酔っぱらっただらしない兵士たち」。曲はとんでもないカオスですが、楽譜をよく見ると3小節目から第3ヴァイオリンが「キャベツとかぶ」を演奏しています!

こうして作品のひとつのフレーズを取ってみても、実は歴史や遊びごころがたくさん詰まっているのです。

大井駿
大井駿 指揮者・ピアニスト・古楽器奏者

1993年生まれ、東京都出身。 パリ地方音楽院、ザルツブルク・モーツァルテウム大学ピアノ科・指揮科卒。 同大学院、ミュンヘン国立音楽演劇大学でピアノ、指揮、古楽の3科...

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