今年こそ《第九》をホールで聴きたい!~10人の指揮者の注目公演と《第九》トリビア
年末といえば《第九》。コロナ禍を経て、今年はほぼ全国で《第九》を楽しむことができる「年末の風物詩」復活となりました。今年こそ、音楽ホールで《第九》の世界に浸ってみませんか? 今年の注目公演と、知って得するトリビアをお届けします。
少しずつコロナ禍は落ち着きをみせはじめ、大編成のオーケストラ公演やオペラも定期的に行なわれるなど活気づいてきた日本のクラシック音楽界。演奏会場で配られるチラシには、年末の《第九》公演が目立つようになった。嬉しいことだ。
思えば、コロナ禍まっさかりの2020年は、科学的な飛沫実証実験が数度にわたり実施され、合唱は人数や団員相互の距離感を考慮すれば演奏可能というデータが発表されたものの、ではべートーヴェンの《第九》は聴けるのか?という不安はぬぐいきれず、在京オーケストラのいくつかが年末に演奏にこぎつけたときには心の底から感激した。
昨年になると、安全策がさらに進み、《第九》演奏会の数も増えだして、“遅れてきたベートーヴェン・イヤー”を実感したものだった。新国立劇場合唱団の活躍、独唱歌手の工夫を凝らした登場のしかたなど、ファンの間で話題となった。
今年の《第九》注目公演
さて今年はどうかといえば、ほぼ全国で《第九》を存分に楽しむことができる。文字通り「年末の風物詩」復活となった。
3年ぶりに来日するエリアフ・インバル(東京都交響楽団)、昨年に続いての登場となるジョナサン・ノット(東京交響楽団)、《第九》は指揮者にとって“聖書”と語る尾高忠明(大阪フィルハーモニー交響楽団/東京フィルハーモニー交響楽団)、ライプツィヒのニコライ教会のカントール(楽長)を務めるユルゲン・ヴォルフ(関西フィルハーモニー管弦楽団)、アメリカ出身で現在はドイツを拠点とし、ブルックナー演奏で知られるデニス・ラッセル・ディヴィス(京都市交響楽団)、実に7年ぶりにこの作品に向き合う名匠飯守泰次郎(東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団)、「史上最高の第九合唱団」と共演する小林研一郎(日本フィルハーモニー交響楽団)、2024年に“指揮者引退”を宣言し動向から目が離せない井上道義(NHK交響楽団)、ミュージック・アドヴァイザーに就任後初めて振る佐渡裕(新日本フィルハーモニー交響楽団)、八面六臂の活躍ぶりをみせる鈴木優人(読売日本交響楽団/バッハ・コレギウム・ジャパン)、小学生&中学生300人を無料招待して子どもたちにベートーヴェンとクラシック音楽の魅力を伝える三ツ橋敬子(神奈川フィルハーモニー管弦楽団)などなど、全部書ききれないが、人気シェフたちがパワー全開にして、希望を託した《第九》を披露してくれるはずだ。(本記事の最後に公演情報を掲載)
『歓喜に寄す』~旋律と歌詞の秘密
ではここからは、このベートーヴェンの最高傑作についてのトリビアをご紹介。
《第九》全曲は知らなくても、第4楽章の合唱の部分、いわゆる『歓喜に寄す』は中学校の授業で実際に歌った人もいるだろうし、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』でも使われるなど、世代を超えて脳裏に刷り込まれているはず。ベートーヴェンの中でというより、クラシック音楽の中でもっとも大衆性を持つ旋律だ。
なぜ覚えやすいのかというと、音の流れが順次進行でできているため。音程の跳躍が少なく、なめらかな動きをもっていて、歌いやすく親しみやすい。
一方の歌詞だが、これまた人類愛を謳ったもので、EUの理念にふさわしい内容としてよく紹介される。詩人フリードリヒ・シラーの詩からとられているが、シラーはフリーメイソン(※)だったとされている。『歓喜に寄す』でも「兄弟」「友愛」「死の試練を克服した者は」など、メイソンの象徴的な語句がふんだんに用いられ、フリーメイソンの作曲家だったモーツァルトのオペラ《魔笛》の台本に通ずるものがある。
※フリーメイソン:中世ヨーロッパに起源をもつとされ、
《第九》にはベートーヴェンのチャレンジ精神が表れている
《第九》は後世の作曲家たちに絶大な影響を与えた。それまでの交響曲の概念を変えてしまうほどの意欲的な取り組みをみせているからだ(それは、ほぼ同じ時期にかかれた《ミサ・ソレムニス》にも言えること)。
1時間以上の演奏時間や変奏曲形式の終楽章では声楽を導入したばかりでなく、第2楽章にスケルツォ(※)を置いたこと、第1楽章の主題が全曲のベースとなっているのも新しい試みだった。トロンボーンやトルコ趣味の楽器(ピッコロ、シンバル、大太鼓)をも活用する大編成であるのも画期的。
作曲者は当時54歳、すでに欧州では“レジェンド”的な存在であったにもかかわらず、いかに若々しいチャレンジ精神を持ち続けていたかが分かる。
※スケルツォ:「諧謔(かいぎゃく)曲」ともいう。おもに、ひょうきんな楽想の急速な3拍子の器楽曲に与えられた名称
日本における《第九》初演の地は?
我が国での《第九》の初演は、1918年6月、第一次大戦中に徳島に存在していた坂東俘虜収容所のなかで、ドイツ人の捕虜たちによって行なわれた。
これは記録が残っており、彼らは楽器の演奏に長けていて、オーケストラを結成し演奏会も開いていたという。この難曲を弾きこなせたのは驚きで、かなりの腕前だったと想像される。
“年末の第九”の習慣はN響がもたらした
1936年に新交響楽団(現NHK交響楽団)は、ドイツから名指揮者ヨーゼフ・ローゼンシュトック(1895~1985)を招聘し、翌年5月に日比谷公会堂での定期演奏会で《第九》を本格的に演奏。
これが好評を呼び、同コンビは1938年12月にこんどは歌舞伎座で「特別公演」として再演。合唱には東京高等音楽院(現・国立音楽大学)と玉川学園の声楽部の学生たちが出演した。
以後、ローゼンシュトック&N響の《第九》公演は恒例化し、1940年にその模様がNHKラジオで大晦日にライブ放送され、ますます人気となり、年末のイベントとして定着した。
戦後もN響は年末に《第九》をとりあげ続け、次第に国内中で様々なオーケストラが年末に演奏していくようになっていった。
ドイツなどでも年末に《第九》を演奏
20世紀後半から、海外の名門楽団が年末年始に演奏する習慣が生まれた。どうしてかには諸説あり、日本で《第九》を演奏した指揮者がホームグラウンドのオーケストラでとりあげたのが契機となった説があるが、もともと演奏習慣を持っていた国もある。
ライプツィヒでは、メンデルスゾーン指揮ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏により1826年に初演されて以来、作品の存在が知られていた。1912年12月31日の夜11時過ぎにアルトゥール・ニキシュの指揮により演奏されてからは、ドイツで《第九》はジルベスター(※)コンサートの演目のひとつに加わった。今年もゲヴァントハウス管弦楽団のカぺルマイスター(楽長)を務めるアンドリス・ネルソンス指揮で行なわれる。
他では、この12月に来日予定のあるシュターツカペレ・ベルリンが現地で12月31日と1月1日に連続して取り上げる(現時点ではバレンボイムが振る予定)。世界中で話題沸騰中のクラウス・マケラも、ウィーン交響楽団に12月30日と31日に登壇し《第九》に挑む。
※ジルベスター:ドイツ語で、大晦日のこと
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