オペレッタ《こうもり》 油断は禁物!? ユル~い世界の中でふと我にかえる瞬間
クラシック音楽評論家の鈴木淳史さんが、誰でも一度は聴いたことがあるクラシック名曲を毎月1曲とりあげ、美しい旋律の裏にひそむ戦慄の歴史をひもときます。
オペレッタの登場人物は「陽キャ」ばかり?
オペラを見続けたあと、急にオペレッタを見ると、感覚がくらっとゆらぐ。
自らの欲望に忠実で、理想を高らかに追求することがない登場人物。そうした心理の奥底を照らし出そうという気もさらさらない。その表面的ではあるにしても、享楽的な音楽が尊いほどにまぶしい。「陰キャ」の集まりから、いきなり「陽キャ」のグループに放り込まれたような心地だ。
いささか気後れするような気分で見始めたものの、次第にそのユルい世界のリアリティに引き込まれていく。なにせ、この世界には、「真実の愛」や「美しき祖国」といった抽象度の高い言葉は存在しない。特定の人物と一緒になれぬならば死を選ぶなどと主張し、実際に血なまぐさい場面に至ることはないのだ。安心・安全なのである。
ただ、オペレッタには、頭から尻尾まで喜劇という要素が詰まっているゆえ、「わかりにくさ」が付きまとう。
たとえ文化圏が違っていても、感情が共有されやすい悲劇(「愛する人が死んで悲しい!」という感情は、よほどの事情がない限り、共感を得ることが可能だ)。それに対し、喜劇はどうしても文化的な文脈を共にしないとストレートに理解しにくいところがある。時代がちょっと経っただけで、このネタのいったい何がそんなにおもしろいんだろう?と思うことはよくあるのではないか。
たとえば、劇作家のギルバートと作曲家のサリヴァンによるコミック・オペラ(英国風オペレッタ)は、当時世界的な成功を収め、今でも英語圏の劇場では人気のレパートリーだ。
これが、ちょっとわかりにくい。いや、そのドタバタなストーリーは痛快で、音楽だって小気味良いのだが、どうもそのノリにちょっと付いていきそびれるような、おいてけぼりを喰らったような心地になる。その背後にはヴィクトリア朝時代特有のコンテクストがあり、同時に英国風のユーモアががっちりと根を張っているからだ(と考えれば、モンティ・パイソンあたりから遡れば、逆にわかりやすくなるのかもしれない!)。
その点で、ヨハン・シュトラウス2世の《こうもり》は、さほどコンテクストを意識せずとも楽しめる、もっとも優れた作品といえるかもしれない。世界中で広く上演されているのもよくわかる。序曲をはじめ、アリアも馴染み深い音楽も多い。
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