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2024.08.30
ONTOMO作曲家辞典

ドヴォルジャークの生涯と主要作品

ドヴォルジャークの生涯と主要作品を音楽学者の内藤久子が解説!

音楽之友社
音楽之友社 出版社

昭和16年12月1日創立。東京都新宿区神楽坂で音楽の総合出版、並びに音楽ホール運営事業を行なっています。

アントニーン・ドヴォルジャークDvořák, Antonín (Leopold)
1841年9月8日クラルピ近郊ネラホゼヴェス生
1904年5月1日プラハ没

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文―内藤久子(音楽学者)

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ドヴォルジャークの生涯

19世紀を代表するチェコの作曲家、教育者、指揮者。チェコ語の発音に準じる正確な日本語表記は「ドヴォジャーク」。「標題音楽」の支配する新ロマン主義全盛の時代に、ウィーンの批評家ハンスリックやブラームスの支援を得て、特に交響曲や室内楽といった絶対音楽の分野で汎スラヴ主義的な音楽表現の原型を見事に構築しながら、19世紀「チェコ国民音楽」を広く国際舞台に登場させる役目を演じた。

ヴィオラ奏者としても活躍しながら20代で交響曲やオペラを完成

祖父の代から宿屋(居酒屋)兼肉屋を営む家系に生まれ、12歳のとき、隣町のズロニツェにあるドイツ系の実業補習学校(実科学校)に進学、校長のアントニーン・リーマンに師事して音楽理論の基礎を学ぶ。さらに1年間、北ボヘミア地方チェスカー・カメニツェの市立学校でドイツ語のほか、和声とオルガンの指導を受ける。16歳でプラハ・オルガン学校に入学。その間、フランシスコ修道会の実科学校でも学習を続ける一方、聖チェチーリア協会管弦楽団でヴィオラ奏者としても活躍。1859年にプラハ・オルガン学校を卒業後、〈コムザーク楽団〉のヴィオラ奏者を9年間務める。

こうした修業の期間は,彼が古典派の形式に従いつつ、豊かな書法に専心していた時期とも重なり、弱冠24歳にして2曲の交響曲(1865)を書き上げたことで、19世紀後半の数少ない交響曲作曲家として天性を早期に示す。

ドヴォルジャーク:交響曲第1、2番

1868年、26~27歳のドヴォルジャーク

1870年および71年に最初の悲劇的オペラ《アルフレート Alfred》と3幕の喜歌劇《王と炭焼き Král a uhlíř》第1作を完成させたのち、31歳の73年3月には混声合唱と管弦楽による愛国的カンタータ《賛歌——白山の後継者たち Hymnus: Dědicové bílé hory》op.30(1872)を初演して大成功を収める。これを機に作曲家としての名声を高めるとともに、従来のヴァーグナー的作風の呪縛から脱する第一歩を踏み出す。

同年11月にはアンナ・チェルマーコヴァー(国民劇場仮劇場合唱団コントラルト歌手)と結婚し、翌年の2月、プラハの聖アダルベルト教会のオルガニストに就任する(1877年2月まで)。

ドヴォルジャーク:悲劇的オペラ《アルフレート Alfred》

スラヴ主義的な表現とオペラへの創作意欲

33歳の1874年7月、チェコ人を含む有望な若手芸術家を支援するために設立された「オーストリア国家奨学金」(1863年設立)に初めて応募し、400グルデンの賞金を獲得、ここに作曲家としての転機が訪れる。爾来、審査員を務めたハンスリックやブラームスのほか、ベルリンの精鋭な出版人フリッツ・ジムロック(Fritz Simrock,1837-1901)らの知遇を得て、自らの創作をスラヴ主義的な感情表現へと結晶化させる。その作風はドイツ古典派—ロマン派の影響、ならびに新ロマン主義の傾向が見いだされる初期の作品から、さらに個性的な音楽表現へと向かうなかで、やがてスメタナの歩んだ新ロマン主義の域を脱し、自らの個性的語法を確立する方向へと進む。

この個性化へと向かう最初の契機は、75年にモラヴィア民謡の収集家フランチシェク・スシル(František Sušil,1804-68)編纂の《モラヴィア民謡集 Moravské národní písně》(1835)を手にしたときであり、純スラヴ的なモラヴィア地方の民俗音楽に精通して《モラヴィア二重唱曲集 Moravské dvojzpěvy》op.20(1875)を作曲して以来、モラヴィア地方の伝統に根ざす地方色の表出を強調。主に「スラヴ時代」と呼ばれる70年代を中心に,《スラヴ舞曲集 Slovanské tance 第1集》(1878)をはじめ、実に民族的彩色の濃厚なスラヴ的作品を連続して書いた。

そして78年には出版人ジムロックにより,《モラヴィア二重唱曲集(第1‐13番)》op.32(1876)や《スラヴ舞曲集 第1集》等が出版される。この「スラヴ時代」の最後を飾る交響曲第6番(1880)以降は、次第に固有の語法を築き上げる。

ドヴォルジャーク:《モラヴィア二重唱曲集》

スメタナの喜歌劇《接吻》(1875~76)の成功に追随するように、1877年以降は再びオペラ創作に転身する。ポーランドの物語を基にした悲劇的なオペラ《ヴァンダ Vanda》op.25(1875)を書き上げた2年後,国外で上演された最初の喜歌劇《いたずら百姓 Šelma sedlák》op.37(1877)を完成させ、5年後には4幕のグランド・オペラ《ディミトリー Dimitrij》op.64 第1作(1881~82)を発表。その少し前、80年12月に現代のチェコ音楽における最初のオラトリオ《スタバト・マーテル》op.58(1876~77)がプラハで初演される。同作品はこの後もブダペストやロンドンで絶賛され,とりわけイギリスにおいて世界的名声をもたらす作品のひとつとなった。

イギリスで大成功を収め国際的作曲家へ

「スラヴ時代」に一応の終止符が打たれた後の交響曲第7番 op.70(1885年3月完成)は、「チェコ国民音楽」の作曲家としての輝かしい出発が、今や国際的作曲家としての立場を惑わすものとなり、急速に高まりゆく名声と栄光の影に訪れた精神的な焦燥の時期を象徴する作品となった。完成の翌月、第3回目のイギリス訪問の際に交響曲第7番をロンドンで初演し、同時代における最も重要な作曲家のひとりと評される。

また同年8月の第4回イギリス訪問では、バーミンガム音楽祭にて《幽霊の花嫁 Svatební košile》op.69(1884)を上演、続く86年10月の第5回訪問では、リーズでオラトリオ《聖ルドミラ Svatá Ludmila》op.71(1885~86)を初演して大成功を収める。こうして91年の元旦にはプラハ音楽院教授に任命され、3月プラハ大学から名誉博士号が、6月にはケンブリッジ大学より名誉音楽博士号が授与される。

ドヴォルジャーク:交響曲第7番

1892年10月より2年間、ニューヨーク・ナショナル音楽院の院長に就任。すでにイギリスで大成功を収め、世界中にその名が知られる大作曲家となっていたドヴォルジャークは、翌93年に交響曲第9番《新世界より Z nového světa》op.95や弦楽四重奏曲第12番《アメリカ The American》op.96などを立て続けに作曲し、前者は12月16日にニューヨークのカーネギー・ホールで劇的な初演を迎える。

ドヴォルジャーク:交響曲第9番《新世界より》

晩年も交響詩やオペラの作曲とプラハ音楽院の楽長など精力的に活動

晩年のドヴォルジャークは交響詩に着手し、カレル・ヤロミール・エルベン(Karel Jaromír Erben,1811~70)の《民話の花束 Kytice》(1853)から4作を選び作曲している(1896~97)。また96年3月には、ロ短調のチェロ協奏曲 op.104(1894~95)の世界初演のため、第9回目となる最後のロンドン訪問を行なう。

他方、オペラの創作に魅せられた彼は、チェコの古いおとぎ話に基づく喜歌劇《悪魔とカーチャ Čert a Káča》op.112(1898~99)や妖精オペラ《ルサルカ Rusalka》op.114(1900)を創作。特に後者は、1901年3月にプラハ国民劇場で初演され大成功を収める。

1893年にシカゴで自身の「交響曲第4番」を指揮するドヴォルジャーク

1897年7月には、オーストリア国家奨学金の審査員に推挙されたほか、翌年11月には皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の在位50周年を祝う式典で、これまでブラームスだけがその栄誉に輝いたという芸術科学名誉勲章を授与されるなど、さまざまな栄誉ある賞を受賞。1901年7月、60歳のときにプラハ音楽院院長に就任する。さらに02~03年にかけて、最後のオペラ《アルミダ Armida》に取り組む。

ドヴォルジャーク研究と後世の評価

ドヴォルジャークに関する優れた研究書としては、クラウス・ドゥーゲ(Klaus Döge)著《ドヴォルジャーク——生涯・作品・記録 Dvořák: Leben-Werke-Dokumente》(1991,改訂1997)を挙げたい。また彼の作品目録としては,ヤロミル・ブルグハウゼル(Jaromil Burghauser)編《アントニーン・ドヴォルジャーク——主題作品目録 Antonín Dvořák: Thematický Katalog》(1960,改訂1996)が刊行されている。

ドヴォルジャークは、19世紀後半のチェコ社会に浸透していた「民謡の引用に基づく国民音楽の創造」という考えを時流に、生前はスメタナ以上に国際的なチェコ人作曲家として高い知名度を得ていた。そして主に純器楽曲である室内楽や交響曲の分野でスラヴ的彩色の濃厚な表現を通して、しかも標題性を完全に切り離すことなく、むしろ神話や輝かしいチェコ建国の歴史、民主的フスの精神にも立ち返り、そこにチェコ民族の精神的根源を捉えようとした。

だが、20世紀前半にはそうした保守性ゆえに、手厳しい批判にさらされ不当な評価に甘んじることとなるが、オタカル・ショウレク(Otakar Šourek,1883~1956)やヴラディミール・ヘルフェルト(Vladimír Helfert,1886~1945)らによる「ドヴォルジャーク擁護論」が展開され[ショウレク著《ドヴォルジャークの生涯と作品第4部1897~1904  Život a dílo Antonína Dvořáka Část Čtvrtá》(1934,第4部第2版は1957)、およびヘルフェルト《近代チェコの音楽 Česká moderní hudba》(1936)を参照のこと]、彼を「民衆層を出自としたムジカント(楽士)の伝統を継承する交響曲作曲家の第一人者で,チェコ音楽の第二の道を推進する者」とした新たな評価が提唱される。

ドヴォルジャークの主要作品

【オペラ】

《アルフレート》 B16  1870 ; 《王と炭焼き》 第1作  B21  1871,  第2作  B42  1874,  第3作  B151  op.14  1887 ; 《ヴァンダ》 B55  op.25  1875 ; 《いたずら百姓》 B67  op.37  1877 ; 《ディミトリー》 第1作  B127  op.64  1881-82改訂83,85,  第2作  B186  op.64  1894改訂95 ; 《ジャコバン党員》 第1作  B159  op.84  1887-88,  第2作  B200  op.84  1897 ; 《悪魔とカーチャ》 B201  op.112  1898-99 ; 《ルサルカ》 B203  op.114  1900 ; 《アルミダ》 B206  op.115  1902-03

【交響曲】

No.1  c 《ズロニツェの鐘》 B9  1865 ;  No.2  B  B12  op.4  1865 ;  No.3  Es  B34  op.10  1873 ;  No.4  d  B41  op.13  1874 ;  No.5  F  B54  op.76  1875 ;  No.6  D  B112  op.60  1880 ;  No.7  d  B141  op.70  1884-85 ;  No.8  G  B163  op.88  1889 ;  No.9  e 《新世界より》 B178  op.95  1893

【管弦楽曲】

交響詩 :《ラプソディ》 a  B44  op.14  1874, 《水の精》 B195  op.107  1896, 《真昼の魔女》 B196  op.108  1896, 《金の紡ぎ車》 B197  op.109  1896, 《小鳩》 B198  op.110  1896, 《英雄の歌》 B199  op.111  1897 ;  序曲 :《我が家》 B125a  op.62  1882, 《フス教徒》 B132  op.67  1883, 《自然の中で》 B168  op.91  1891, 《謝肉祭》 B169  op.92  1891, 《オセロー》 B174  op.93  1891-92 ;  ノクターン  H  B47  op.40(str)[str-qt版B19とstr-qnt版B49より編曲] 1875改訂82または83 ; セレナード :  E  B52  op.22(str) 1875,  d  B77  op.44(2ob, 2cl, 2fg, c-fg, 3hrn, vc, cb) 1878 ;  交響的変奏曲  B70  op.78  1877 ;  スラヴ狂詩曲集  B86  op.45(D, g, As) 1878 ;  スラヴ舞曲集 : 第1集  B83  op.46[4hds版B78より編曲no.1,3,4] 1878,  第2集  B147  op.72[4hds版B145より編曲no.1,2,7] 1886-87 ;  チェコ組曲  D  B93  op.39  1879 ;  プラハ・ワルツ  B99  1879 ;  祝典行進曲  B88  op.54  1879 ;  ポロネーズ  Es  B100  1879 ;  伝説曲集  B122  op.59(10曲)[4hds版B117より編曲] 1881 ;  スケルツォ・カプリッチョーソ  Des  B131  op.66  1883 ;  組曲  A  B190  op.98b  1895

【協奏曲】

ピアノ協奏曲  g  B63  op.33  1876 ;  ヴァイオリン協奏曲  a  B96,108  op.53  1879-80改訂82 ;  チェロ協奏曲  h  B191  op.104  1894-95 ;  ロマンス  f  B39  op.11(vn, orch)[st-qt版B37アンダンテより編曲] 1877 ;  マズレク  e  B90  op.49(vn, orch) 1879 ;  ロンド  g  B181  op.94(vc, orch)[室内楽版B171より編曲] 1893 ;  森の静けさ  B182  op.68-5(vc,orch)[p版B133-5より編曲] 1893

【室内楽曲】

弦楽六重奏曲  A  B80  op.48  1878 ;  弦楽五重奏曲 : No.1  a  B7  op.1  1861,  No.2  G  B49  op.77(2vn, va, vc, cb) 1875,  No.3  Es  B180  op.97  1893 ;  ピアノ五重奏曲  A  B155  op.81  1887 ;  弦楽四重奏曲 : No.1  A  B8  op.2  1862,  No.2  B  B17  1868-70?,  No.3  D  B18  1869-70?,  No.4  e  B19  1870,  No.5  f  B37  op.9  1873,  No.6  a  B40  op.12  1873,  No.7  a  B45  op.16  1874,  No.8  E  B57  op.80  1876,  No.9  d  B75  op.34  1877,  No.10  Es  B92  op.51  1878-79,  No.11  C  B121  op.61  1881,  No.12  F 《アメリカ》 B179  op.96  1893,  No.13  G  B192  op.106  1895,  No.14  As  B193  op.105  1895 ;  糸杉  B152(st-qt)[歌曲集B11より12曲を編曲,2曲は未出版]  1887 ;  ピアノ四重奏曲 : D  B53  op.23  1875,  Es  B162  op.87  1889 ;  マリチコスチ[バガテル] B79  op.47(2vn, vc, harm/p) 1878 ;  ピアノ三重奏曲 : No.1  B  B51  op.21  1875改訂80?,  No.2  g  B56  op.26  1876,  No.3  f  B130  op.65  1883,  No.4  e 《ドゥムキー》 B166  op.90  1890-91 ;  三重奏曲  C  B148  op.74(2vn, va) 1887 ;  ドロブノスチ[ミニアチュア] B149  op.75a(2vn, va) 1887 ;  ガヴォット  g  B164(3vn) 1890 ;  ヴァイオリン・ソナタ  F  B106  op.57  1880 ;  ソナティーナ  G  B183  op.100(vn, p) 1893 ;  バラード  d  B139  op.15-1(vn, p) 1884 ;  ロマンティック小品集  B150  op.75(vn, p) 1887 ;  チェロ・ソナタ  f  B20[pパート消失,断片のみ] 1871 ;  ポロネーズ  A  B94(vc, p) 1879 

【ピアノ連弾曲】

スラヴ舞曲集 : 第1集  B78  op.46(C, e, As, F, A, D, c, g) 1878,  第2集  B145  op.72(H, e, F, des, b, B, C, As) 1887 ;  シュマヴァの森より  B133  op.68(6曲) 1883-84 

【ピアノ曲】

2つのメヌエット  B58  op.28(As, F) 1876 ;  ドゥムカ  d  B64  op.35  1876 ;  主題と変奏  As  B65  op.36  1876 ;  フリアント集  B85  op.42(D, F) 1878 ;  影絵  B98  op.8(12曲) 1879 ;  ワルツ  B101  op.54(8曲) 1879-80 ;  ピアノ小品集  B110  op.52(6曲) 1880 ;  マズルカ集  B111  op.56(6曲) 1880 ;  ドゥムカ  c  B136  op.12-1  1884 ;  フリアント  g  B137  op.12-2  1884;  2つの真珠  B156(1.輪舞  2.おじいさんがおばあさんと踊る) 1887 ;  詩的な音画  B161  op.85(13曲) 1889 ;  フモレスカ[ユモレスク] B187  op.101(8曲) 1894

【宗教作品】

賛歌――白山の後継者たち  B27  op.30(cho, orch) 1872改訂80, 84 ;  スタバト・マーテル  B71  op.58(S, A, T, B, cho, orch) 1876-77 ;  詩編149  B91  op.79(男声cho, orch) 1879改訂88 ;  カンタータ《幽霊の花嫁》 B135  op.69(S, T, B, cho, orch) 1884 ;  オラトリオ《聖ルドミラ》 B144  op.71(S, A, T, B, cho, orch) 1885-86 ;  ミサ曲  D  B153  op.86([S,A,T,B]/小cho, cho, org) 1887 ;  レクイエム  B165  op.89(S, A, T, B, cho, orch) 1890 ;  テ・デウム  B176  op.103(S, Br, cho, orch) 1892 ;  カンタータ《アメリカの旗》 B177  op.102(A, T, B, cho, orch) 1892-93 ;  祝祭の歌  B202  op.113(cho, orch) 1900

【合唱曲】

スロヴァキア民謡の花束から  B76  op.43(1.嘆き  2.奇跡の水  3.森のなかの少女) 1877-78 ;  チェコ農民賛歌  B143  op.28  1885

【無伴奏合唱曲】

4つのパートソング  B59  op.29(混声cho  1.夕べの鐘の代わり  2.子守歌  3.私は言わない  4.見捨てられた男) 1876-78 ;  チェコ民謡の花束  B72  op.41(男声cho  4曲) 1877 ;  チェコの歌  B73(男声cho) 1877 ;  5つのパートソング  B87  op.27(男声cho  1.スキャンダル  2.海辺の人々  3.愛の約束  4.失われた小羊  5.饗宴) 1878 ;  自然の中で  B126  op.63(混声cho  1.歌,わが心にしみ入り  2.夕べの森に鐘の音和らぎ  3.ライ麦畑  4.白樺は小躍りし  5.今日は踊って歌って) 1882

【二重唱曲】

モラヴィア二重唱曲集  B50  op.20(1.移り気  2.別れ  3.貧しい娘  4.若者は耕す) 1875 ;  モラヴィア二重唱曲集 : B60  op.29[のちに32に含まれる](1.あなたから逃れて  2.飛べよ,小鳥たち  3.大鎌が鋭かったら  4.気持ちよく出会ったのだから  5.スラヴィーコフの小さな野原) 1876,  B62  op.32(6.楓の木の上の鳩  7.川と涙  8.つつましい娘  9.指輪  10.緑になれ  11.捕らわれの娘  12.慰め  13.野ばら  14.兵士の生活[14は未出版]) 1876 ;  モラヴィア二重唱曲集  B69  op.38(1.かなわぬこと  2.りんご  3.花の冠  4.苦痛) 1877

【歌曲】

歌曲集《糸杉》 B11(18曲) 1865 ;  夕べの歌  B61 : op.3(1.汝,空のかなたの星よ  2.お前が死んだ夢を見た  3.私はお前のおとぎ話の騎士  4.神様が一番お喜びの時),  op.9-3(5.木の葉の夕べの歌も静まる),  op.9-4(6.春が遠くから飛んできた),  op.31(7.私が空を見たとき  8.お前たち小さな鳥に  9.私は生い茂った菩提樹のよう  10.悩まされているお前たちみんな  11.この小鳥だ,こいつがよく歌うのだ  12.このように月が天空に懸かる時) 1876 ;  ジプシーの歌  B104  op.55(1. わが歌声響く,愛の賛歌  2.ああ,私のトライアングルはなんと素晴らしく響くことか  3.森はひそやかに静まりかえる  4.わが母の教えたまいし歌  5.弦を整えよ  6.幅広のゆったりした軽い麻の服を着て  7.鷹に純金の籠を与えよ) 1880 ;  民謡調で  B146  op.73(1.おやすみなさい  2.草刈り娘  3.ああ,私を慰めるものはここにはない  4.私の栗毛の馬) 1886 ;  聖書の歌  B185  op.99(1.密雲と暗闇が主の周りに立ち込め  2.あなたは私の隠れ家,私の盾  3.神よ,私の祈りを聞いてください  4.主は私の羊飼い  5.神よ,私は新しい歌を  6.神よ,私の叫びを聞いてください  7.バビロンの川のほとりに  8.私を顧み,私を憐れんでください  9.私は山に向かいて目を上げる  10.主に向かいて新しき歌を歌いたまえ)1894

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