読みもの
2020.10.02
引用し、引用された音楽とは?

エンニオ・モリコーネの映画音楽とサンプリング=引用が物語るその創造性

1960年代に数多くのマカロニ・ウェスタン(イタリア製西部劇)の劇伴を手掛けていた映画音楽の巨匠、エンニオ・モリコーネ。自身もクラシック音楽を引用していましたが、ヒップホップのアーティストたちによって「サンプリング(引用)」されることも多く、ジャンルを超えて親しまれています。ここではその観点から、モリコーネの音楽を紐解いてみましょう。

類家利直
類家利直 音楽ジャーナリスト

2011年からスペイン・バルセロナを拠点にヨーロッパ各地の音楽系テクノロジーや音楽シーン、Makerムーブメントなどについて執筆。大学院でコンピューターを活用した音楽...

モリコーネが音楽を手掛けたセルジオ・レオーネ監督の『夕陽のガンマン』(1965)より

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去る7月6日に91歳で亡くなったイタリア人作曲家エンニオ・モリコーネ。60年代のマカロニ・ウエスタン(イタリア製西部劇)で確立した「西部劇の映画音楽作曲家」は、晩年の20年間でそのイメージを脱し、自作の指揮・演奏活動も精力的に行なった。

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彼は、映画の影響力が大きかった20世紀から活躍していた映画音楽の作曲家のうち、“巨匠”と呼べる最後の数名に入ると言えるだろう。モリコーネの名前を知らなくとも、「知らないうちに聴いていた」という人も多いはずだ(モリコーネの音楽については、7月に公開された小室敬幸さんによる追悼記事も参照)。

90年代以降は、イタリア・シチリア島出身のジュゼッペ・トルナトーレ監督と緊密な協力関係を結び、初監督作品『教授と呼ばれた男』以外、『ニュー・シネマ・パラダイス』『海の上のピアニスト』を始めとする全作品で脚本の段階から音楽をつけている。観客を映画の世界へ没入させていく映像と音楽との深い協調関係は、他の映画作品ではなかなか見られないもので、高く評価された。

ジュゼッペ・トルナトーレ監督作品オリジナルサウンドトラックから、モリコーネ作品の日本公開順プレイリスト

『海の上のピアニスト』は、クラシック音楽を知っている者には微笑ましく感じられる点もいくつかある。少年時代の主人公があたかもモーツァルトの生まれ変わりのようにピアノを弾く場面で使われる《A Mozart Reincarnated》は、本当にモーツァルトが少年時代に作りそうなピアノ曲になっているし、『ある天文学者の恋文』の《Una Luce Spenta(イタリア語で“おぼろげな光”の意味)》はドビュッシーの《月の光》のリメイクと言っても差し支えないだろう。

さらにユニークな楽器の使用法やさまざまな音楽ジャンルを取り入れていたことなど、今回モリコーネ作品を聴き直し、そのクリエイティブな側面に改めて感心させられたが、ふと「モリコーネ作品はヒップホップで多数サンプリングされている」という情報が目に止まった。

話には聞いたことがあったものの、実際に筆者もどの作品でどのように使われているか確かめたことはない。そこで調べ始めると、楽曲のサンプリングやカバーの情報を網羅したポータルサイトWhoSampledが見つかり、モリコーネの創造の核心に触れるさまざまな事実が、思わぬ形で見つかった。

他アーティストに音源を使われていただけでなく、モリコーネ自身もクラシック音楽のフレーズを多数借用していた

WhoSampledは、古今東西の音楽作品がどのようにサンプリングされているかがわかるサイトだ(ちなみにクラシック音楽の著名な作曲家で、一番多くサンプリングされているのはJ.S.バッハとされている)。

モリコーネがサンプリングされた作品はもちろん、モリコーネ自身も作品中で多数のクラシック音楽作品を引用している情報もまとめられている。それらは具体的に開始何分何秒後の部分で使われているかといった時間情報も含まれ、オリジナルとそれを使用された音源を比較できるようになっている。

具体的な例を見ていこう。

邦題『続・夕陽のガンマン』から《Chapel Shootout(礼拝堂での決闘)》

鉄琴が鳴らす悲しげな旋律から始まり、不穏な雰囲気を醸し出すギターの低音弦のトレモロ奏法のあと、開始39秒辺りで突然バッハの「トッカータとフーガ ニ短調」を思わせるフレーズが挿入される。音楽だけ聴けば、その展開のあまりの変貌ぶりに驚いてしまうが、これはもともと礼拝堂での決闘シーンで使われていた楽曲である。本来は神に祈りを捧げる礼拝堂という場所において、目の前で家族を殺されたガンマンが心打ちひしがれ、銃を抜き、ならず者と決闘を始める。そんな聖と俗が入り混じる非情なシーンにぴったりと合わせて作られた楽曲だったのだが、その音楽的な取り合わせは今聴いても斬新に感じられる。

映画『ミスター・ノーボディ』から《ヴァルキリー》

原曲:ワーグナー《ワルキューレの騎行》

最後のマカロニ・ウェスタン作品とも言われる、ヘンリー・フォンダ主演の『ミスター・ノーボディ』より

原曲であるワーグナーの《ワルキューレの騎行》の雄壮なメロディが空虚に、そして調子外れに繰り返し演奏される《ヴァルキリー》。原曲とは違い、まるで戦い疲れて真っ直ぐ歩くことさえできないワルキューレの騎士が思い浮ぶ。これは年老いて引退を考えている無敵のガンマンの物語『ミスター・ノーボディ』の全編で使われているテーマだ。

映画『Escalation』から《Dies Irae Psichedelico》

原曲:グレゴリオ聖歌《Dies Irae》

映画『Escalation』より

グレゴリオ聖歌が、モリコーネによってサイケデリック・ロックのようなアレンジになっている作品もある。現在はレクイエム・ミサで用いられる、ラテン語で「怒りの日」という意味の《Dies Irae》が原曲。

このアレンジにも驚きだが、これが発表されたのが1968年だったという点も興味深い。イタリアのヒッピーの若者を描いた映画『Escalation』のための音楽だったということだが、当時グレゴリア聖歌にこんな極端な編曲を施す音楽家がどれだけいただろうか。しかもカトリック教会の影響が今よりも強かった当時のイタリアでこのような作品を発表することは、かなり挑戦的だったと思われる。

後にグレゴリオ聖歌が再評価されたのは1990年代。ダンスビートが加えられたエニグマによる楽曲が世界的に大ヒットした。

随分時代の先を行っていたというか、シーンに応じてさまざまな音楽を巧みに取り入れ、実験的な試みを大衆的な映画作品で行なうことで成功できた稀有な才能、それがエンニオ・モリコーネだったと私は思っている。

そして、モリコーネの作品は映画というフォーマットに合わせられたため、ヒップホップやエレクトロニック・ミュージックなど幅広い音楽ジャンルのアーティストに関心を持たれていた。

ヒップホップ・アーティストに好まれた、60年代イタリア製西部劇

60年代のイタリア製西部劇であるマカロニ・ウェスタンがヒットしたことで、モリコーネは「B級エンターテイメント映画の音楽家」という、あまりありがたみのないイメージを付けられることになったものの、アメリカの荒野(実際の撮影場所はイタリア・サルデーニャ島西部あるいは南スペイン・アルメリア)を駆け巡る無頼な主人公を描くような癖のあるそのサウンドは、映画の大ヒットとともに多くの観客を魅了した。

当時としても音楽的にかなり特異なものだったが、1980年代~90年代の米国のヒップホップ・アーティストたちに注目された。例えば、Jay-ZやEminemのようなメインストリームの有名ラッパーたちの楽曲にもその音源がサンプリングという形で使用されている。

原曲

サンプリングしたJay-Zの曲

特にJay-Zは自身のハスラーとしてのイメージを強調するように「荒野の用心棒」などマカロニ・ウェスタンの代表作の音源を何度もサンプリングしている。

映画『続・夕陽のガンマン』のテーマは、モリコーネの楽曲の中でもっとも多くサンプリングされている楽曲で、WhoSampledで確認できるだけでも92作品でサンプリングされている。

アメリカ先住民が神聖視するコヨーテの雄叫びのようなフレーズが用いられていたりと、王道のクラシック音楽からは離れていて、しかも当時のあらゆる音楽スタイルとも違っている。

映画『続・夕陽のガンマン』のテーマ

上の『続・夕陽のガンマン』のフレーズをサンプリングして、オマージュのような形で面白く使 っていたのは80年代の人気者、スリック・リック。曲全体はレゲエのようなリズムでリラックスした曲調だが、2分34秒の辺りで予め教わっていなければわからない程度にさりげなく使われている。

該当箇所のラップの歌詞は、若者へ“社会の中でどういった態度を取るべきか自分で決めること”を促すメッセージになっているので、『続・夕陽のガンマン』のテーマがもつ対決のイメージが象徴的に使われていたのかもしれない。

サンプリングしたスリック・リックの曲

マカロニ・ウェスタン作品がサンプリング元として好まれる傾向、そこから見えるもの

同じヒップホップアーティストでも、DJ・プロデューサーのMadlibのようにモリコーネが手掛けた70年代のサスペンス映画をサンプリングしている例もあるが、モリコーネの作品の中でも、マカロニ・ウェスタンが特に多くサンプリングされている。

どうしてマカロニ・ウェスタン作品が多いのだろうか。音楽的にはともかく、映画として見たらマカロニ・ウェスタンは盗用も多く(黒澤明作品のカット割りやシナリオを真似た「荒野の用心棒」は東宝に訴えられた)、とても上品なものとは言えない。映画ファンの私としては、西部劇を見るならアメリカの映画監督ジョン・フォードの映画作品を勧める。

しかしWhoSampledを見ると、同じ西部劇でもアメリカで製作された西部劇としては一番有名なジョン・フォード監督作品の代表作からのサンプリングはまったく見当たらない。時代的に近い楽曲で、サンプリングにも向いていそうなジョン・ウィリアムスによる『スター・ウォーズ』や『ロッキー』といった有名な娯楽作品のテーマも検索してみたが、ヒップホップ・アーティストによるサンプリングはほとんどない。どうも単純にイタリア製の西部劇だけが好きだとか、娯楽映画の音源が好きであるといった理由があるわけではないようだ。

あくまで仮説だが、ヒップホップ(黒人・アフリカ系文化)対アメリカ製西部劇(白人・ヨーロッパ系文化)という図式で見れば、本場アメリカの西部劇の盗用とも取れるイタリア製の西部劇作品の音源ばかりが使われる背景には、アメリカ国内の人種間のわだかまりも影響していた可能性があるだろう。

サンプリングはもちろんヒップホップ・アーティストだけの表現方法ではない。The Orb808 Stateといったハウスやテクノなどエレクトロニック・ミュージックの著名アーティストにもモリコーネの音源は使用されている。ただし、それらもマカロニ・ウェスタン作品が中心だ。

もしかするとモリコーネのマカロニ・ウェスタン音楽作品には、何かジャンルを越えて人を惹き付ける魅力があったのかもしれない、とも思う。

自ら自作曲の流用もあった、ヒップホップ・アーティストの創作過程にも通じるもの

WhoSampledを見ていると、モリコーネの制作スタイルに関してもいろいろな事実が見えてくる。例えば過去の自作曲のフレーズが他の作品でも用いられているケースがあることだ。

自分の曲を使う分には問題がないようにも思えるが、映画監督によってはその点に納得がいかないこともあるようだ。スペインの巨匠ペドロ・アルモドバル監督はインタビューで自分の作品『アタメ/私をしばって!』の音楽がロマン・ポランスキー監督の作品で使われたものとほぼ同じで、後にそれに気づき不満に感じたと語っている。

モリコーネのローマの自宅には、彼が作曲したフレーズの楽譜がファイルにまとめられていて、そこから映画作品に合わせいくつか選ばれて、その組み合わせから作曲されることもあったという。

ここからは私の想像だが、大量の映画作品を手掛けていたので、膨大なアーカイブの中から同じようなフレーズが同じようなテーマのシーンで使われるようなこともあったのではないかと思う。

必ずしも作品に合わせて一から作るわけではなく、過去のクラシック音楽の名作や、すでに自分が作って発表したものも含めて、創作意図に合わせてコラージュ的に組み合わせる。その手法は、ヒップホップ・アーティストたちが音源をサンプリングして楽曲を再構築する過程にも通ずるものがあったかもしれない。

映画を通じて音楽の過去・現在・未来を繋げたマエストロ・モリコーネ

今回の記事ではモリコーネの楽曲が引用・被引用された例を取り上げて、彼の映画音楽の作曲家としての功績を振り返ってみたが、モリコーネは映画音楽の巨匠の中でも、例えばヘンリー・マンシーニやニーノ・ロータのような優美な旋律で映像を華やかにするタイプの作曲家たちとは大きく異なっていた。

具体的に言うと、モリコーネは場面に合わせて、当意即妙に現代音楽で使われるような緊張感のあるコード展開や不協和音を使うことも辞さなかった。しかし音楽的に大きく破綻せずに、とっつきにくいと思われがちな前衛音楽の先鋭的な部分を効果的に挿入したり、クラシック音楽作品のフレーズを大胆に借用して現代的な解釈でアレンジを施したりする、といった手法に長けていた。それはさまざまなシーンのためにあつらえて作られるべきである映画音楽の特性をよく理解した上で生まれたものだったとも言えるだろう。

例えば、今年亡くなった大作曲家にはクシシュトフ・ペンデレツキがいるが、この2名の作曲家のキャリアはいくつかの点で好対照だ。ペンデレツキは、学術的な領域や熱心な現代音楽ファンの間でより評価された。対して、モリコーネはそうではない。だが、映画というメディアを通し、モリコーネの一般における認知度はペンデレツキよりも圧倒的に高かったと言っていいだろう。

映画自体が20世紀に始まった比較的新しい大衆的な芸術であったこともあり、映画音楽はオペラやバレエの音楽と比べると、総合芸術として評価が十分に成されていないと私は思う。

映画がなくても作曲家として大成していたかもしれないが、モリコーネは未だに評価が定まっていない映画音楽というフィールドからその音楽性を存分に発揮した。

映画・テレビで音楽を担当した作品は、イタリア国内外合わせて400作品以上。西部劇やコメディ映画のような娯楽作品も、カンヌ映画祭で賞を取るような芸術作品も両方手掛け、幅広い層に影響を与えた。そして映画というメディアに載せられたため、モリコーネは自らが吸収した(現代音楽も含め広義での)クラシック音楽のエッセンスを、クラシック音楽を普段聴かないような層も含め、多くの聴衆に伝えることができた。

そして、幅広い層のアーティストを音楽的に触発して、若い世代に新たな作品を生み出すための素材(サンプリング)とインスピレーションを与えることができた。サンプリングされた素材を覚えていて、ふと映画を見たときに「ああ、あの曲のサンプリングはこの映画だったのか」とモリコーネの楽曲にも興味を持つ者もいるだろう。これも彼が音楽家として収めた大きな成功と言えるだろう。

過去の音楽から受け取った音楽的遺産を、未来の世代にもつなげる。モリコーネは音楽の過去・現在・未来をつなげる理想の姿を生きた作曲家だった。

類家利直
類家利直 音楽ジャーナリスト

2011年からスペイン・バルセロナを拠点にヨーロッパ各地の音楽系テクノロジーや音楽シーン、Makerムーブメントなどについて執筆。大学院でコンピューターを活用した音楽...

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