映画音楽を進化させ芸術にした5人の作曲家~サン=サーンスからコルンゴルトまでの歴史を辿る
映画が誕生したときから、音楽は重要な要素と捉えられていた——映画音楽の歴史と変遷を、クラシックでもおなじみの5人の作曲家からたどります。サン=サーンス、サティ、プロコフィエフ、スタイナー、コルンゴルト、それぞれの代表作と名シーン、音楽がもたらした効果は?
音楽と映画を中心に執筆。字幕監修した映像作品に、ブルーレイ『ジョン・ウィリアムズ/ライヴ・イン・ウィーン』、映画『SLEEP / マックス・リヒターからの招待状』など...
最初期から音楽は必要不可欠だった
意外に思う読者も多いかもしれないが、映画は125年以上前に誕生した瞬間から、すでに音楽が付いていた。
1895年12月28日にパリのグラン・カフェで初公開されたリュミエール兄弟の商業映画(シネマトグラフ)第1作『工場の出口』は、上映に際してピアニストが何らかの音楽を伴奏していたと伝えられているし、エジソンが発明したキネトフォン方式(フィルムとシリンダー録音をシンクロして上映する)で1894年頃に撮影された『Dickson Experimental Sound Film』には、監督のウィリアム・K・L・ディクソンがロベール・プランケット作曲のオペレッタ《コルヌヴィユの鐘(古城の鐘)》の1節をヴァイオリンで演奏する姿が収められている。
ロベール・プランケット:オペレッタ《コルヌヴィユの鐘(古城の鐘)》
つまり、上映に合わせて生演奏する形であろうが、あるいは何らかの録音を同時に再生する形であろうが、映画の先駆者たちは、音楽が必要不可欠な要素だと初めから気付いていた。
撮影前に録音した音楽がサントラに~サン=サーンスとサティ
20世紀に入り、映画が人々の間で人気を博すようになると、映画のためのオリジナル曲を高名な作曲家に書き下ろしてもらうことで、芸術的なクオリティを高めながら、より多くの観客を集めようとする試みが行なわれるようになった。
その最初の成功例として知られるのが、大御所作曲家サン=サーンスが撮影前に書き下ろした音楽を事前に録音し、その録音に合わせて出演者たちの演技を撮影する形で作られた『ギーズ公の暗殺』(1907)である。サン=サーンスの音楽は、映画公開と同時にピアノ譜が出版され、映画と切り離した形でも演奏・鑑賞を可能とした。いわゆる“サントラ”という概念が生まれたのは、この『ギーズ公の暗殺』がきっかけと言ってよい。
『ギーズ公の暗殺』
サン=サーンス:「ギーズ公の暗殺」
それ以来、20世紀のクラシック作曲家は多かれ少なかれ、映画音楽の作曲家を試みてきた。有名なところでは、サティが音楽を手掛けた実験映画『幕間』(1924)があり、なんとサティは出演者のひとりとして、本編の中でユーモラスな演技も披露している。
サティ:映画『幕間』
音楽と映像を密にコラボレーションさせたプロコフィエフ
1927年の音楽映画『ジャズ・シンガー』の公開によって、映画がトーキー時代に突入すると、プロコフィエフが『キージェ中尉』(1933)で映画音楽作曲に進出。その後、プロコフィエフはセルゲイ・エイゼンシュテイン監督とコンビを組んで『アレクサンドル・ネフスキー』(1938)と『イワン雷帝』2部作(1944-46)を発表し、その後の映画音楽作曲家たちに大きな影響を与えた。
『アレクサンドル・ネフスキー』
『イワン雷帝』
前者の「氷上の戦い」は、音楽と映像のテンポを完璧に一致させることで、それまでの映画になかった緊張感と興奮を表現することに成功した名シーン。そして、後者の「オプリチニキ(親衛隊)の踊り」は、プロコフィエフが事前に作曲した音楽に合わせてエイゼンシュテインがダンスシーンを撮影し、強烈な効果を生み出したシーンである。
プロコフィエフ:『アレクサンドル・ネフスキー』より「氷上の戦い」
プロコフィエフ:『イワン雷帝』より「オプリチニキ(親衛隊)の踊り」
プロコフィエフもエイゼンシュテインも、それぞれハリウッドを訪問したときにウォルト・ディズニーと面会し、画面の動きと音楽をシンクロされるアニメ的な手法(ミッキーマウシング)をディズニーから学んでいるが、『ネフスキー』と『イワン雷帝』には、そうしたディズニーの影響が色濃く表れている。
「映画音楽とは、歌のないオペラ」ハリウッドで活躍したスタイナーとコルンゴルト
ハリウッドでは、マーラーにレッスンを受けたこともあるウィーン出身のユダヤ人作曲家2人が、いわゆるハリウッド・サウンドと呼ばれるゴージャスな映画音楽の雛形を完成させた。
まず、リヒャルト・シュトラウスを名付け親に持ち、セリフの背後で音楽を流す「アンダースコア」の技法を発明したことでも知られるマックス・スタイナー(独語名マキシミリアン・シュタイナー)。『キング・コング』(1933)では、ライトモティーフ技法に基づいて作曲した音楽を大編成のオーケストラ(当時としては破格の46人)で録音した革新的作品、そして『風と共に去りぬ』(1939)は、後期ロマン派の音楽スタイルをハリウッドに根付かせた名作として知られている。
『キング・コング』予告編と代表曲「The Adventure Begins」
『風と共に去りぬ』予告編とメインタイトル
もうひとりは、オペラ《死の都》(1920)などで知られるエーリッヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(英語名エリック・W・コーンゴールド)。
映画『真夏の夜の夢』(1935)のためにメンデルスゾーンの同名劇付随音楽を編曲して注目を集め、エロール・フリン主演の剣戟(けんげき)映画の音楽を数多く手掛けた。「史上最高の映画音楽はプッチーニの《トスカ》」「映画音楽とは、歌のないオペラ」というコルンゴルトの言葉が端的に示しているように、基本的にコルンゴルトの映画音楽は、19世紀末から20世紀初頭にかけて登場した後期ロマン派オペラの音楽語法や作曲技法を継承している。
『真夏の夜の夢』予告編
その頂点とも言うべきアカデミー作曲賞受賞作『ロビン・フッドの冒険』(1938)は、作曲当時、ナチス・ドイツのポーランド侵攻のニュースに衝撃を受けたコルンゴルトが、亡命ユダヤ人としての自身の境遇を、物語の中で圧政に苦しむシャーウッドの森の住民の境遇に重ね合わせ、力強い音楽を生み出した。
『ロビン・フッドの冒険』予告編とメインタイトル
例えばジョン・ウィリアムズの『スター・ウォーズ』サーガ全9作の音楽には、上に挙げたプロコフィエフ、スタイナー、コルンゴルトの影響がはっきりと現れている。逆に言えば、クラシック出身の作曲家たちによって80年以上前に作曲された映画音楽が、21世紀の現代においても“古典”として敬愛され、大切に扱われているのである。
そういう視点から映画音楽の歴史に触れていくと、クラシックの聴き方、映画音楽の聴き方もずいぶん変わってくるはずである。
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