読みもの
2021.01.13
特集「宇宙」

ガガーリンが初宇宙飛行で口ずさんだショスタコーヴィチの歌「祖国は聞いている」

2021年はソ連の軍人、ガガーリンによる世界初の有人宇宙飛行から60周年。ガガーリンが宇宙から帰還するヴォストーク1号の中で口ずさんでいた曲があったことをご存知ですか? しかも作曲者はショスタコーヴィチ! 増田良介さんがこの歌のもつ意味を教えてくれました。

増田良介
増田良介 音楽評論家

ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...

初の宇宙飛行出発前のガガーリン。

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世界初の有人宇宙飛行で歌われたショスタコーヴィチのメロディ

1961年4月12日9時7分、ユーリ・ガガーリン中尉(飛行中に少佐への昇進が告げられた)を乗せたソ連の宇宙船ヴォストーク1号が、カザフ(現カザフスタン共和国)のバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。

ヴォストークは地球を1周したあと、大気圏に再突入、ガガーリンは高度7000メートルからカプセルで射出されてパラシュートで降下、地上への帰還に成功した。

飛行時間は108分。これが人類初の有人宇宙飛行だ。

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ユーリイ・ガガーリン(1934-1968)
ソビエト連邦の軍人、パイロット、宇宙飛行士。

さて、ガガーリンは地球へ降下しながら、ひとつの歌を口ずさんでいた。ドミトリー・ショスタコーヴィチの「祖国は聞いている」という歌だ。

「祖国は聞いている、祖国は知っている、その息子がどこの雲の中を飛んでいるかを」という歌詞のこの歌、彼は打ち上げ前のチェックを待つあいだにも口笛で吹いていたというから、好きな歌だったらしい。

いずれにせよ、「祖国は聞いている」は、宇宙ではじめて歌われた歌として一躍有名になる。実際にはガガーリンは他にも、いろいろ歌ったり、口笛で吹いたりしていたようなのだが、とにかくこの歌は、ソ連の国営ラジオ放送でニュースのオープニング音楽になったり、日本では歌声喫茶で歌われたりもした。

Dmitri Shostakovich's portrait, in the audience at the Bach Celebration of July 28, 1950. Photo by Roger & Renate Rössing.
ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)

詩人の「歌によって航空機が誘導される」体験から生まれた曲

しかし、これだけショスタコーヴィチの作品が演奏されるようになった現在、「祖国は聞いている」は、逆に忘れられかけている。CDも皆無だ。さて、この「祖国は聞いている」とは、いったいどんな歌なのか。なぜガガーリンはこの歌を口ずさんだのか。

この歌の詞を書いたのは詩人のエフゲニー・ドルマトフスキー(1915-1994)だ。ショスタコーヴィチは、ドルマトフスキーの詩を使った作品をたくさん書いている。

1945年、ベルリン、ブランデンブルク門の前で自作の詩を朗読するドルマトフスキー。多くのポピュラー音楽の作詞した詩人。

もっとも有名なのは、オラトリオ「森の歌」だが、ほかにもカンタータ「わが祖国に太陽は輝く」とか、男声合唱のための「忠誠」とか、要するにソ連の体制に受けの良さそうな作品が多い。ショスタコーヴィチはこれらの作品のおかげで政治的な立場を保ったり、収入を得たりしていたが、ソ連がなくなると、これらの作品は、ほぼ演奏されなくなった。

ドルマトフスキー作詞 ショスタコーヴィチ作曲 オラトリオ「森の歌」

「祖国は聞いている」は、もともと、1950年代はじめに上演される計画のあった『平和』という劇のために書かれた。実際にはドルマトフスキーと演出家の意見が合わず、上演はされなかったのだが、この劇は次のような内容だったらしい。

戦闘機乗りの経験をもつ庭師が、平和使節団の一員として外国の飛行機に乗る。ところがその飛行機は、当時、飛行機にとっては難所だったアルプス山脈の上空で嵐に巻き込まれ、パイロットは酸素不足で操縦不能に陥る。庭師は操縦席に座り、地上からの電波を頼りに現在位置を把握し、見事アルプス越えに成功する。

その場面で、彼を導く地上からの旋律として歌われるのが、「祖国は聞いている」だ。これから命を賭けて地球に帰還しようとするガガーリンが、自分を鼓舞するために口ずさむ歌として、これほどふさわしい歌もなかったわけだ。

「祖国は聞いている」
最初に流れるのは、人気バリトン歌手として活躍したドミトリー・フヴォロストフスキーが11歳のときの録音。この歌は初演のときも少年歌手が歌った。

実はこのエピソード、ドルマトフスキーの実体験に基づいている。1942年、彼は取材で戦地に赴き、前線の向こう側にビラなどをまく飛行機に同乗した。敵地からの帰路、彼らの乗った飛行機は対空砲火に遭うが、地上からの無線に導かれ、無事に基地へと帰ることができた。そのとき無線からは「思い出す、私は若かった」という民謡が流れていたという。

ボリショイ劇場の大メゾソプラノ歌手、マリア・マクサーコヴァの歌う「思い出す、私は若かった」

電波を使って自機の進んでいる方向や位置を知る場合、通常は専用の標識局からの電波を使うが、送信所の位置がわかっていれば、普通の放送電波を使うこともできる。また、標識局が送信しているのは、現在はモールス信号が多いが、原理的には別になんでもかまわないので、当時は音楽を流していたのかもしれない。

ドルマトフスキーの搭乗機が実際にどのような電波を捉えたのかはよくわからないが、とにかくこのときの「歌によって航空機が誘導される」という体験に、彼は大いに感銘を受け、自作に取り入れたということのようだ。

ソ連における「祖国は聞いている」のもうひとつの意味

さて、ガガーリンのおかげで誰もが知る歌となった「祖国は聞いている」だが、やがて、ソ連では、別の意味を持たされるようになる。もしかすると、勘のいい方はお気づきかもしれない。ホテルで話していても、電話で話していても、「祖国」はどこかでこっそり聞いているし、なんでも知っている。つまりこれはKGB(ソ連国家保安委員会)の歌じゃないかというのだ。実際、この歌をKGBの盗聴と結びつけた風刺画や文章はたくさんある。

おもしろいことに、ショスタコーヴィチ自身、そのような使い方をしていたという話がある。詩人エフゲニー・エフトゥシェンコ(1933-2017)の回想によると、あるとき、アメリカとの国際電話を終えたショスタコーヴィチがこう言ったというのだ。

「盗聴センターに座っている誰かが、たくさんの線を何度もつなぎ変えながら、私の歌を口ずさんでるのが想像できるよ。祖国は聞いている、祖国は知っている……ってね」

増田良介
増田良介 音楽評論家

ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...

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