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2024.09.23
特集「超絶技巧のひみつ」 ホロヴィッツ~シフラ~アムラン……現在地まで

超絶技巧派ピアニストの系譜~元祖リストの伝統を継ぐ 驚くべき神業つかいたち

超絶技巧派ピアニストの元祖といえば、リスト。 そのリストから今日に至る「超絶の伝統」を見ていきましょう。その条件と言えるようなものは何か。どのようなピアニストたちの系譜があるのか。1997年にアムランが初来日したときから超絶技巧派ピアニストを追ってきた、髙久 暁さんに教えてもらいました。

髙久 暁
髙久 暁 音楽学・音楽評論

関心のある分野は亡命移住ロシア人音楽家研究、アジア諸国のピアノ文化、ギリシャを中心とするバルカン半島諸国の芸術音楽史、日台韓の作曲家研究、楽譜の編集校訂などさまざま。...

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そもそも「超絶技巧」という言葉の由来は……

超絶技巧。どんなに抜きん出た、人間離れした神業だろう。好奇心も期待感も募る。聴きたい、見たい。

この言葉、いつから言われるようになったのか。気になって調べたことがある。結論―1949年。初めて《超絶技巧練習曲》というタイトルが世に現れた。もちろんリストのピアノ曲だ。原題はフランス語で、直訳すると「卓越した演奏の練習曲集」あたりになる。控えめで目立たない。

リスト「超絶技巧練習曲」S.139の表紙(Leipzig: Breitkopf und Härtel, n.d.[1852])。原題はフランス語で、直訳すると「卓越した演奏の練習曲集」といった意味になる
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これが1949年に当時の有力音楽評論家が出版した名曲解説事典的な本で《超絶技巧練習曲》と訳され、《超絶技巧用練習曲》などを経て定着した(これ以前の用例をご存知の方はぜひお知らせください)。戦後生まれの比較的新しい言葉だ。原題と比べてみればいわば「創造的誤訳」だけど、空前絶後のピアノの名手リストのイメージにぴったりだ。中国にも輸入されてかの地でも《超技練習曲》という。

確認。リストの作品の訳から「超絶技巧」という概念がいわば案出された。この言葉から音楽や演奏を見ることができるようになった。技巧やわざは芸術やアートの基礎だから、「超絶技巧」はどんな芸術やアートにもひとつの見方を与える。このところ「超絶技巧展」という展示も行なわれている。

▼リスト:超絶技巧練習曲 S.139

「超絶の伝統」はホロヴィッツに遡る

話をピアノに限定しよう。超絶技巧の持ち主と言われるにはたぶん条件がある。「超絶の伝統」とでも言えそうな特定のコンポーザー=ピアニスト、リスト、アルカン、ゴドフスキー、ブゾーニ、いっそのことソラブジ……の作品の演奏に秀でる。驚異的なレベルくらいじゃないとマニアックな聴き手から失笑される。クセナキスやブーレーズとかフィニッシーなど20世紀後半のピアノ曲でもいい。そして後続世代の挑戦意欲をかき立てるような作曲や編曲も手掛けて演奏する。

超絶技巧ピアノ曲の例

シャルル=ヴァランタン・アルカン:「演奏会用練習曲《騎士》」作品17、「短調による12の練習曲集」作品39、他

レオポルド・ゴドフスキー:「ショパンのエチュードによる53の練習曲」、「ヨハン・シュトラウス《芸術家の生涯》による交響的変容」、他

フェルッチョ・ブゾーニ「ピアノ協奏曲 ハ長調」作品39、他

カイホスルー・シャプルジ・ソラブジ:《オプス・クラヴィチェンバリスティクム》、「100の超絶技巧練習曲集」、他

ヤニス・クセナキス:《ヘルマ》、ピアノとオーケストラのための《シナファイ》、他

ピエール・ブーレーズ:「ピアノ・ソナタ第2番」

マイケル・フィニッシー:《イングリッシュ・カントリー・チューンズ》《音でたどる写真の歴史》、他

シャルル=ヴァランタン・アルカン (1813-1888)
フランスの作曲家、ピアニスト。パリ音楽院で学び1824年ピアノの1等賞、34年に作曲のローマ賞を得る。ピアノの名手として少年時代から有名だったが、人間嫌いの性格のため、演奏活動を行なわない期間も長かった。作品の多くはピアノのために書かれた。作風は大胆で、音楽以外の要素との結びつきが強いことから「ピアノのベルリオーズ」ともよばれた。
レオポルド・ゴドフスキー(1870-1938)
ポーランド生まれのアメリカのピアニスト、作曲家。10歳より世界各地で公演を重ねる。1887-90年パリでサン=サーンスに師事。91年アメリカの市民権を得るが、その後も世界各地で演奏活動を展開、後進の指導も行なった。作品は技巧的なピアノ曲《ショパンのエチュードによる53の練習曲》が有名。

この条件に合うピアニストはかなり限定される。年代順にヴラディーミル・ホロヴィッツから行こう。

ヴラディーミル・ホロヴィッツ(1903-1989)
ウクライナ生まれのアメリカのピアニスト。生地で学び1922年にデビュー、ロシアで活躍した後25年にベルリンにデビュー、ヨーロッパでの活動の後40年にアメリカに移る。健康上の理由でしばしば演奏活動を中止したが、そのつど奇跡的に復帰した。鋭敏な感覚と磨きぬかれた技巧をもち、ロマン派音楽やロシア音楽を得意とした

リストの作品を自身の技巧が際立つように改変して、アンコールに自作の《カルメン》の編曲を弾いた。楽譜を作らなかったから録音が採譜されて次々に演奏された。真似のできないオクターヴや和音の連続に爆発的な低音からロマンティックな歌いまわしまで表現の幅が際立って大きかった。

▼リスト:ハンガリー狂詩曲第2番(ヴラディーミル・ホロヴィッツp)

▼ジョルジュ・ビゼー/ホロヴィッツ編曲:《カルメン》変奏曲(ヴラディーミル・ホロヴィッツp)

超絶技巧の元祖といえばリスト。門下生たちに始まる「リスト弾き」の伝統もある。一人挙げるならハンガリー出身の「リストの再来」、ジョルジュ・シフラだろう。本人は自分の演奏技術を「しなやかさ」と言った。演奏の動画を見ても圧倒されるしかない。《熊蜂の飛行》や《トリッチ・トラッチ・ポルカ》などの演奏至難な編曲もある。

▼リムスキー=コルサコフ《熊蜂の飛行》(ジョルジュ・シフラp)

▼J・シュトラウス2世《トリッチ・トラッチ・ポルカ》(ジョルジュ・シフラp

スタンダードなレパートリーだけを手掛けるピアニストにも途方もない技術の持ち主がいる。グリゴリー・ソコロフだ。

グリゴリー・ソコロフ©Anna Flegontova

ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」の録音など世にあり得ないレベルの演奏だ。ヨーロッパ限定で今も毎年あちこちで弾いている。早く聴きに行くに限る。

▼ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番(グリゴリー・ソコロフp)※トラック4~6

異端視された先駆者たち~シェルバコフ、ハフ、そしてアムラン

まだ挙げたい人がいるけれど字数も限られている。先に挙げた「超絶の伝統」のコンポーザー=ピアニストたちの作品は、リストを除けば20世紀後半にはとかく異端視されて、弟子筋やわが道を行く弾き手の間でしか弾かれなかった。今から思うと1960年代前半生まれの、今日世界的ピアニストとなった何人かがその種のレパートリーを「包摂」して弾き進めていったようだ。

リスト編曲によるベートーヴェンの交響曲を全曲録音、30年の年月をかけて昨年ゴドフスキのピアノ曲全曲録音を達成したコンスタンティン・シェルバコフ、作曲も編曲も多数あるサー・スティーヴン・ハフ、そしてマルク=アンドレ・アムランだ。今や彼らは後進世代のピアニストたちのモデルで目標でもある。

▼ベートーヴェン/リスト編曲:交響曲第9番(コンスタンティン・シェルバコフp)

▼シェルバコフはゴドフスキのピアノ曲全集を、この第15巻「ショパンのエチュードによる53の練習曲 2 」で完結させた

▼モシュコフスキ:《スペイン奇想曲》作品37(サー・スティーヴン・ハフp)

アムランの功績は大きかった。バロックから現代音楽までどんなレパートリーも弾けて歌曲の伴奏や室内楽も一流だ。超絶技巧を盛り込んだ作品を作曲・演奏して楽譜を出版、複数の主要国際ピアノコンクールの課題曲も作曲した。

マルク=アンドレ・アムラン  Photo: Sim Canetty-Clarke

マルク=アンドレ・アムラン:《小犬のワルツ》の編曲(ニューヨークの演奏会場「92Y」のライヴ)

時代が変える 超絶技巧派ピアニストの活動

20世紀後半に活躍した主要ピアニストたちはやればできたはずなのに作曲や編曲を手控えたものだけど、今の若手ピアニストはアンコールで自作や自編曲のひとつも披露できなければ芸がないと思われるかもしれない。20世紀後半は実はピアノ演奏にとって特殊な時代で、今はその前の時代に戻りつつあるのかもしれない。

若い世代のシン・超絶技巧派ピアニストも視野に入ってきた。彼らの活動を見ているともっと認識を改めないといけないと真剣に思う。超絶技巧の必要な大曲難曲は習得に時間がかかる。苦労してスタンダードなレパートリーを磨き上げて著名コンクールに入賞、ピアニストとして活動したところで知れている。能力があれば音楽以外の専門を勉強して(たいていコンピュータ関連)、タイパも支払いもよい仕事に就いて弾きたい曲を弾く。演奏が仕上がればYouTubeやIMSLPにアップロードして全世界に発信する。今やこういったピアニストたちがあれこれの難曲を弾いて気を吐いている*。時代の風潮だろうか。若い超絶技巧ピアニストたちのさらなる登場と活躍を期待したい。

*フアン・イーチュンHuang Yi-Chung(黄顗中)
台湾生まれ、ハノーファー音楽大学で学ぶ。LaDivinaFanaticの名でYouTubeにアップロードした演奏で注目され、最近は名前を出して演奏活動を行なっている
*エリック・シー・シン・リャンEric Xi Xin Liang
カナダの中国系ピアニスト。IMSLPにスクリャービン、メトネル、ロスラヴェッツ、シマノフスキ、ソラブジなど重厚な曲目ばかり30以上の演奏をアップロード。10代のコンクール入賞歴が確認できる。大学ではコンピュータ・サイエンスを学んでアマゾン勤務

髙久 暁
髙久 暁 音楽学・音楽評論

関心のある分野は亡命移住ロシア人音楽家研究、アジア諸国のピアノ文化、ギリシャを中心とするバルカン半島諸国の芸術音楽史、日台韓の作曲家研究、楽譜の編集校訂などさまざま。...

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