2018.06.16
日めくりオントモ語録/ヴァレリー・ゲルギエフ
サウンドは情緒、知性、空想、芸術的なヴィジョンの集約でなくてはなりません――そして、すべての要素を溶け合わせ、それこそ自分だけのものである何かを創造しなければならないのです。
―― ヴァレリー・ゲルギエフ ジョン・アードイン著 亀山郁夫訳『ゲルギエフとサンクトペテルブルグの奇蹟』(2005)
マリインスキー劇場を世界的な地位へと引き上げた指揮者 ヴァレリー・ゲルギエフ。 第13章「ゲルギエフとオペラ」において、指揮者のオーケストラについての役割をたっぷりと語っています。指揮者は演奏中、サーモスタットのようにオーケストラの温度を変え、時にパンチを食らわせ、自分が思い描くヴィジョンを伝えなければならない、と語っています。
ヴァレリー・ゲルギエフ(Valery Abisalovich GERGIEV 1953 -)
1953年、モスクワでオセット人の両親の家庭に生まれる。その後、北オセチア共和国の首都オルジョニキゼ(現在のウラジカフカス)に移り、オルジョニキゼ音楽学校を卒業後、レニングラード音楽院(現サンクトペテルブルク音楽院)でイリヤ・ムーシンに師事し、指揮法を学ぶ。同院在学中にカラヤン指揮者コンクール2位、全ソ連指揮者コンクール1位の栄誉に輝く。1977年レニングラード音楽院を卒業し、テミルカーノフの助手としてキーロフ劇場(現マリインスキー劇場)の指揮者となる。1988年キーロフ劇場芸術監督に就任する。35歳の若さで、しかもソ連崩壊の混乱期に遭遇し、ゲルギエフの劇場経営は困難を極めたが、国際的な支援を得て、ロシアの古典オペラに新たな演出法を導入した。また、多くの新人歌手(アンナ・ネトレプコなど)を発掘することにも成功し、マリインスキー劇場を世界的な地位へと引き上げた。1996年には総裁に就任し、劇場の総責任者としての重責を担っている。1990年にはロンドン公演、1992年にはニューヨーク公演を実現し、国際的な指揮者としても活躍を続けている。
関連する記事
-
ガガーリンが初宇宙飛行で口ずさんだショスタコーヴィチの歌「祖国は聞いている」
-
適応力あり!?インドのくるみ割り方法とロシアのダニール・トリフォノフ
-
ジャズとクラシックを融合させたカプースチンと交流——川上昌裕のピアノ全曲録音と本
ランキング
- Daily
- Monthly
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly
新着記事Latest
2021.03.01
ユーフォニアムが柔和に響く「未来派」の絵画
2021.03.01
ベートーヴェンが劇音楽を付けたゲーテの戯曲『エグモント』〜魅力的な英雄の主張とは
2021.02.28
能における「鬼」の存在とは?能面師・宇髙景子さんに聞く深淵世界
2021.02.26
シューマンが40代を過ごしたドイツ・デュッセルドルフでの思い出
2021.02.26
ショパン国際ピアノコンクール予備予選から本選までの課題曲と審査方法の全貌を解説!
2021.02.25
オンライン能『船弁慶』が3月31日(水)まで公開中
2021.02.25
電話をめぐる恋人たちの喜劇〜“かけない”スマホ時代に思うこと
2021.02.25
ディズニーの名作映画『ファンタジア』をオーケストラと映像のコンサートで楽しもう!