特集「アニバーサリー」祝・生誕200年ハノンを「本気で語り合ったみた。」座談会

魅力? 呪縛? あのピアノ練習曲「ハノン」はなぜ弾き続けられているのか

読みもの
2019.01.02

ある日、日ごろ大変お世話になっている飯田有抄さんから、「ハノンについて書きたいんです!」と熱いメッセージが届いた。ハノン? あのピアノの? ドミファソラソファミ レファソラシラソファ~っていう? つまらない単調な記憶しかなく、まったく気乗りのしない編集担当が、他の編集部員に意見を求めても「はぁ……ハノン。ピアノの先生向け?」とピンとこず。
「カタい話じゃないんです! ハノンあるあるを語りたいんです! 来年200歳記念に!」というので、ひとまず、「ハノン」の楽譜を出版している弊社内のスペシャリストにも同席してもらい、座談会を催すことにしました。
飯田さんとともに「ぶるぐ協会」なるものを主宰する前島美保さんにもご参加いただき、いざ、出陣。
果たして、この温度差は埋まるのか!?

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写真:編集部W
座談会メンバー
ぶるぐ協会 昭和のピアノ練習曲を研究する会
ぶるぐ協会
座談会メンバー
ぶるぐ協会 昭和のピアノ練習曲を研究する会
クラシック音楽ファシリテーターの飯田有抄さんと、音楽研究者の前島美保さんによるユニット。「ぶるぐ協会」会長 前島美保(まえしま・みほ) 昭和50年埼玉県上尾市生まれ。...
音楽之友社 出版社
音楽之友社
音楽之友社 出版社
昭和16年12月1日創立。東京都新宿区神楽坂で音楽の総合出版、並びに音楽ホール運営事業を行なっています。

第1部:ハノンに思いを馳せるための準備練習

こちらがハノン先生です。
「ハノン」基礎情報

ハノンピアノ教本、通称「ハノン」は、フランスの作曲家シャルル・ルイ・ハノン(アノン)(1819〜1900)が1873年に出版した練習曲集。短いパターンの繰り返しや、音階や分散和音の練習などが3部構成でてんこ盛り。日本のピアノお稽古シーンにおけるド定番練習曲としての地位を誇り、長年にわたり弾き継がれているが、わりと嫌われがちである

みんなのハノン・メモリー

飯田・前島 今日は、みなさまに「ハノン」について語っていただきたくお集まりいただきました。まずは、それぞれのハノンとの思い出を共有させてください。

ぶるぐ協会の広報・飯田有抄さん(左)と会長の前島美保さん。最初からテンションが高い。

 私は3、4歳から中学までピアノを習いましたが、「ハノン」は「練習前に指を温めるものだから」と先生から強要(!)されました。さらに先生がリズムをつけてアレンジしたものを、死ぬほど弾かされた記憶があります。

飯田 ありましたね、「リズム練習」。付点リズムにしたり、3連音符にしたり、全部スタッカートにしたり、アクセントをつけたり

飯田さんのハノンの楽譜に書いてあったリズムの書き込み。

 あまりにもその先生が延々とハノンをやるので、私は早く曲を習いたいんですけど……って思ってましたが。

ONTOMO芸能系担当の柳(左)とオントリちゃん。

和田 私が覚えてるのは、レッスン中にハノンを弾きながら眠ってしまったこと。先生の目の前で。それも1対1のレッスンなのに。

前島 すごい! でも、ハノンの反復には催眠効果がある気がします。

中澤 私はけっこうハノン好きでした。もともと単純作業、好きなんですよね。何も考えずに弾けるし、暗譜もラクだし、家で弾くのも苦痛じゃなかった。小学校の頃だから、平成7、8年ですね。世代の違いもあるんでしょうか。

昭和の時代は知りませんけど……今回唯一の平成生まれ、楽譜編集者の中澤。

前島 平成!

飯田 昭和とは違うんだ、と。 いきなりブチ込んできましたね(笑)。では昭和を代表して亀田さん、いかがですか。

亀田 私にハノンを語らせたら、長くなりますよ(笑)。なにしろ高校1年のころ、9ヶ月くらいかな、毎日全曲弾いていましたから。

元楽譜編集者、現在は営業部長の亀田。「ハノン」の楽譜も担当した。

前島 確かにハノンは、曲集の終わりに「これまでの練習が実を結ぶためには、毎日一定期間、60曲すべてを弾かなければなりません」と書いているけれど、それを本当にやった人、実在するんですね、ここに!

亀田 最初は2時間かかったけど、だんだんスピードアップして、1時間で弾けるようになったんですよ。どのあたりでα波(編集部注:リラックス時に増える脳波の成分らしい)が出てくるとか、乳酸がたまるとか、そういう記憶は残ってます。

川上 自分は3、4歳からピアノを習ったんですけど、11歳でフルートを始めてピアノはやめたんです。音楽高校を受験するときに、それまで一度もやっていなかったハノンを弾きました。といっても、第二部のスケール(音階)のとこだけですけど。

おフランス帰りのフルーティスト、ONTOMO編集部の川上。

亀田 え、39番だけってこと?(即反応)

川上 ば、番号で言われても……(楽譜をパラパラ)あ、そうですね。

杉内 私は子どもの頃やめたピアノを20歳で再開。当時はアメリカの大学にいたんですが、アメリカでもハノンは使われてましたよ。テンポの指定に4分音符=108とあるから、108の壁をクリアしようとトラウマになるくらい必死にやった。今でも頭の中でハノンを思い浮かべれば、108の速度がわかります。

アメリカ帰りのピアニスト、ONTOMO編集部の杉内。

亀田 メトロノームとしてのハノン!

飯田 しかもアメリカで!

前島 いまのところ、ハノンと無関係の人はいませんね。

西脇 いえ、実はわたしは、ハノンをやった記憶がないんです。でも最近、「ムジカノーヴァ」で奈良井巳城先生によるハノンの連載を始めました。「ハノンクリニック」という、マニアックでストイックな世界なんですよ。それが面白くて、私も最近やってみようかなと、こっそり朝練してます。

ピアノを学ぶ人、教える人のための月刊誌「ムジカノーヴァ」(毎月20日発売)編集長、西脇。
マニアックでストイックにハノンを練習したい人は「ムジカノーヴァ」をご覧ください!

ハノンは儀式?!

飯田 とにかく、ピアノに関わる人はなんらかの形でハノンに触れているようですね。

西脇 ハノンを使って、いろんなことやる人いますよね。リズム練習もそうだけど、移調させてみたり、カノン風に両手をずらして弾いてみたり。

亀田 ぼくは、お経のようにやる。

前島 (笑)たんたんと? 亀田さんは高校生のとき、なんで毎日やろうと思ったんですか?

このハノン企画は仕事なのでしょうか……本業は日本音楽史の研究者。

亀田 やっぱりテクニックを付けたかったんでしょうね。田舎の高校生だったから、当時あまり情報もなくて、筋トレのノリでハノンをやってた。

前島 ハノンを全曲弾いたあと、普通の曲を弾くんですか?

亀田 そう。でも疲れ切って寝ちゃうこともある(笑)。今思えば、効率が良かったんだか、悪かったんだか。

飯田  以前、私と前島さんとでブルクミュラーについての本を作りましたが(『ブルクミュラー25の不思議〜なぜこんなにも愛されるのか』音楽之友社)、日本でブルクミュラーの「25の練習曲」が長年弾き続けられているのは、やっぱり愛される要素が大きいから。それまでバイエルの教本で、ちょっと挫折しそうになった人も、ブルクミュラーに入ったとたん、タイトル付きのロマン派的で楽しい曲になるから、救われた気分になったりする。

でも、ちょうどそのあたりから、ハノンも手渡されるんですよね。ハノンはその後もずっと、ほかの教材や曲と同時進行で進められる。まるで通奏低音のようにハノンは鳴り響くわけです。眠い、トラウマ、早く曲を弾きたい、とか言われながらも、なんだかんだで弾き続けられてきたのは、なぜなんでしょうね。

ハノンの存在を追求しつづける飯田さん。

和田 今でもひさびさにピアノを弾こうかな、というときは、ハノンを出してきて弾く。やらないと、気持ちがおさまらない。

亀田 もう好き嫌いじゃなくて、柔軟体操・準備体操的なものだから。

西脇 うさぎ飛びと一緒で、何も考えずに、とにかくやる。

和田 日本人のストイックな気質とマッチしたんじゃない?

中澤 そう、内職仕事的な感じで。始めにやらないと、気が済まないんです。

ハノン好きを公言できます。

前島 もう、儀式です。身体的なウォーミングアップはもちろん、気持ちの面でもハノンは儀式だった。心を整えるための。

飯田 曲を弾く前の、日常のざわざわから自分を切り離す時間だったかも、ハノンは。トランス状態に入ったりして。

亀田 だから眠くなって当然なのかもよ? 1回、現実から自分を切り離すんだから(笑)

飯田 そこからまた目覚めて、曲に向かうっていう、ね。

川上 いったん頭を空っぽにする。それってある意味、ハノンを「ハノン」と呼び続けてきた日本人のあり方そのものじゃないですか?

ハノンはフランス人だから、本来HanonのHを落として「アノン」と発音するべきです。最初にどういう経緯で日本に導入されたのかはわかりませんが、「ハノン」と呼び始めた。どこかの時点で「フランス人だからアノンだ」と気づいたとは思いますが、ずっと直さずに「ハノン」と呼び続けてきた日本人。まさに頭を空にして、延々と継続させる精神。

まさかの名前間違い。実はアノン先生だった。

亀田 「アノン」にしたら、たぶん、売れないね。

和田 「ハノン」ですら、人の名前として認識してこなかったかも。

前島 教科書の名前だと思っている人も多い。「あきない! ハノン」っていう楽譜もあるくらいだし。

飯田 うさぎ跳びですらも禁止された今日もなお、根強く引き継がれる「ハノン」の精神、おそるべし。

川上 「ハノン」じゃなきゃ、ダメなんです、逆に。

正確さより、認知度が大切です。

第2部:もっとハノンにせまるための準備

35番のキテレツ感

前島 この座談会に参加するにあたって、私もここ数日「ハノン」を全曲弾きまくっていたんですが、曲の並びもさることながら、改めて驚嘆したのは35番。とくに左手。

亀田 あぁ35番ね。(即反応)

飯田 え、ちょっとまって……35番……ああ、これか。 うぁ!! こんな指使い、曲の中である?!

60曲もあるなかで、いちばんにスポットを浴びた35番。

前島 ね、すごいでしょう。親指の上を小指でまたがせるんですよ。なんていうか、やっぱりこう、とことんやるの! やるなら全部っていうキテレツ感。すごいね、この突き詰めた感じ。しかも「この練習はとても重要です」って書いてある。

和田 ここまでやらなくてもいいんじゃ……?

飯田 ほんとに重要か……? そういう疑問と向き合いながら、みんな弾くわけ?

亀田 向き合わない人もいると思いますよ。流派によっては、こういう形を嫌うかもしれませんね。肘の角度が極端だから。やる意味あるのかなぁって思っちゃうよね。

親指の上を小指でまたがせる。不自然な体勢になりますね。

前島 ですね。しかも、最初の小節リピート10回って(笑)。でも、音楽之友社標準版「ハノン・ピアノ教本」の解説には、「ブラームスのピアノ曲にまれに現れる」って書いてあるから!

西脇 この指使いは、意外とショパンがよく使っていたそうですよ、ハノンとショパンは同時代ですから、それでたいへん重要な練習と書かれていたのかも。

杉内 それにしても、前島さんの楽譜、書き込みがすごいですねぇ……音階の変ホ短調からロ長調まで2ヶ月くらい掛かってますね。一体何があったのか(笑)

前島さんの使っている楽譜の書き込み。リアル。

前島 ナマナマしい闘いの記録ですよ。本気でやると本当に大変で、1番から順に5番まで進み、6番に行ったらなんと、「これまでに練習した1〜5番を、毎日必ず1回以上、つづけて弾きましょう」ってハノンが言ってくる。もうね、振り出しに戻される感じ。ほぼ、すごろくです。

(つづきは近日公開!)

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