読みもの
2025.01.09
オペラになった歴史のヒロイン#10

《清教徒》とヘンリエッタ~不人気だった王妃がなぜ悲劇のヒロインに仕立てられたのか

オペラには、歴史に実在した有名な女性が数多く登場します。彼女たちはオペラを通じて、どのようなヒロインに変貌したのでしょうか? 今回の主人公は、「清教徒革命」で処刑されたイングランド国王チャールズ1世の妃ヘンリエッタ・マリア。国民に不人気だった彼女が、オペラで悲劇のヒロインに仕立てられた裏事情とは。史実では最終的に「国母」といえる存在にまでなった経緯を見ていきましょう。

加藤浩子
加藤浩子 音楽物書き

東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院博士課程満期退学(音楽史専攻)。音楽物書き。主にバッハを中心とする古楽およびオペラについて執筆、講演活動を行う。オンライン...

ヘンリエッタ・マリアの肖像画(ファン・ダイク画)

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ヘンリエッタ・マリア(1609-1669)

イングランド王チャールズ1世の妃。フランス王アンリ4世と妃マリーの6人の子の末娘。15歳で9 歳年上のチャールズに嫁ぐが、英国国教会のイギリス王室でカトリックの信仰を守ったため、正式に戴冠することはなかった。英語も話さず贅沢好きだったのでひんしゅくを買い、生意気な王妃というレッテルを貼られる。だが夫婦仲はよく、9人の子どもに恵まれ、夫の政治的な相談相手になり、ともに芸術に勤しんだ。

 

清教徒革命に発展する内乱が勃発すると母国に亡命。チャールズの処刑は母国で知る。革命を率いたクロムウェル一族が失脚すると、息子のチャールズ2世がイングランド国王に即位(王政復古)。ヘンリエッタもイングランドに戻るが馴染めず、母国フランスで余生を送った。

 

息子2人、孫2人がイングランドの王位に就き、結果として「国母」的存在に。子孫の血はヨーロッパの多くの王家に流れ込んでいる。

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《清教徒》のストーリーは疑問符だらけ

ヴィンチェンツォ・ベッリーニの《清教徒》は、かなり無理筋なオペラである。

ヒロインが発狂してばかり、の議論はさておき、対立している王党派と議会派でなぜか結婚が許され、国王が処刑されたのになぜかまだ王朝が残り、王妃の行方もわからないのになぜか「王朝は滅んだ」……疑問符は尽きない。

《清教徒》あらすじ

1649年ごろのイングランド。議会と対立した国王カルロ(=チャールズ)1世は、クロムウェル率いる「清教徒派」に捕らえられ、処刑された。

 

清教徒派のヴォルトンは娘のエルヴィーラを同じ清教徒派のリッカルドに嫁がせるつもりだったが、エルヴィーラが王党派のアルトゥーロと恋仲なのを知り、2人の結婚を認める。

 

だがアルトゥーロは清教徒派に囚われていた王妃エンリケッタを助けて逃亡させ、行方をくらました。恋人が別の女性と駆け落ちしたと信じたエルヴィーラは発狂してしまう。

 

アルトゥーロが戻ってきた。真相を明かされたエルヴィーラは正気に返るが、清教徒派はアルトゥーロに死刑を言い渡す。だがその時ステュアート家が滅んだという知らせが届き、王党派に恩赦が言い渡されて、アルトゥーロはエルヴィーラと結ばれる。

史実を見ればなおさら疑問が募る。キーパーソンである「王妃エンリケッタ」は本来この場にいないのだから。

まずはその史実から見ていこう。

「清教徒革命」で処刑された国王の妃

物語の背景になっているのは、17世紀のイングランドで起きた「清教徒革命」である。

専制を貫いて議会と対立した国王チャールズ1世が、内乱の末に処刑(1749年)されてしまった出来事だ。国王が公衆の面前で処刑されたのは、イングランド史上唯一無二。内乱に勝利した議会派に「清教徒(清廉潔白なプロテスタント)」が多かったので、「清教徒革命」と呼ばれる。

チャールズが失敗したのは、彼が君主制のスコットランドから招かれてイングランドの王位についたステュアート王家の2代目で、専制政治が身についていたからだ。

イングランドでは議会が強く、議会を通さなければ何も決められなかった。チャールズは当代一の画家ルーベンスに依頼して、「バンケティング・ハウス」という宮殿に「王権神授説」を信奉していた父ジェームズ1世を讃える天井画を描かせていたが、敵側の指導者オリヴァー・クロムウェルの差金で、その天井画の下を通って処刑場へと向かわされている。なんという残酷。

「ヘンリエッタ」はそのチャールズの王妃である。

清教徒革命で処刑されたイングランド国王チャールズ1世(ファン・ダイク画)

自身を貫き国民から嫌われる

ヘンリエッタ・マリアは、極めて血筋の正しい姫君である。

父はフランス国王アンリ4世。母はメディチ家から嫁いできたマリー・ド・メディシス。アンリ4世は美女に目がない艶福家で、持参金に物を言わせて妃になったマリーには魅力を感じなかったが、6人の子どもを儲けて「王」としての義務を果たした。

フランス王家の姫ヘンリエッタ(フランス語名アンリエット)にとってイングランドは悪くない嫁ぎ先だったが、問題が一つあった。イングランドの国王は英国国教会の信徒と定められていたのに対し、フランスはカトリック大国だったからである。この二つの国が結んだのは、スペインに対抗するためだった。

「カルメル会修道院」で教育を受けたヘンリエッタはイングランド宮廷でもカトリックを押し通し、プライドが高く英語もマスターせず、持参金は多かったが金遣いが荒かったので「生意気な妃」だと嫌われる。助けは夫のチャールズ1世だった。夫婦はうまが合い、9人の子どもを儲け、政治的なことも2人で決めた。

ファン・ダイクが1632年に描いたヘンリエッタ・マリアの肖像画

とくに気が合ったのは芸術への趣味である。ヘンリエッタはとりわけ音楽、演劇、踊りを好み、自分も舞台に出た。一方チャールズは美術に力を入れ、オランダからファン・ダイクを招いて宮廷画家に取り立てた。自分の宣伝効果も狙っていたことは言うまでもない。

ファン・ダイクの描くヘンリエッタは、透き通るような肌をした品のいい美女で、衣装の趣味も洗練されている。実際の彼女は「背が低く、貧相で、歯並びが悪かった」という証言もあるが、後世の私たちに残されたのは美貌の王妃のイメージだけだ。

そのヘンリエッタは、夫が処刑された時どこにいたのだろうか。

囚われの妃というフィクション

オペラ《清教徒》でいちばんフィクショナルな設定は、ヘンリエッタがイングランドで囚われ、処刑を待つ身だということだ。しかも夫のチャールズはすでに処刑されており、ヘンリエッタも処刑場に向かう運命。王党派としては助けないわけにはいかないだろう。

だが、この設定は120%フィクションである。

ヘンリエッタは夫の処刑の5年前にイングランドを去っていた。夫の役に立とうと王党派に肩入れし続けた彼女は、各国の宮廷と連絡を取って協力を乞い、宝石を売って船団を組織し、夫に提供した。だが1644年に出産のため夫と別れ、産後は母国のフランスに。それが終の別れになる。

夫の死後、「国母」といえる存在に

夫の死後、ヘンリエッタは生涯喪服を脱ぐことはなかったという。あのカトリーヌ・ド・メディシスのように。そしてカトリーヌ同様、彼女の子どもたちが王国に君臨する。

「清教徒革命」の主導者だったオリヴァー・クロムウェルが急逝し、その子が引退すると、母と共にフランスに亡命していた息子チャールズがイングランドに呼び戻され、「チャールズ2世」として即位(王政復古)。その後も彼の弟のジェームズ、ジェームズの娘であるメアリとアンがイングランドの王位につく。ヘンリエッタはなんと4人もの国王の母、祖母になったのである。ほとんど「国母」と言っていい。

カトリーヌと違うのは、子どもたちの摂政として政治に口を出さなかったことだ。議会が強いイングランドでは、それは不可能に近かったのである。

ファン・ダイクが1633年に描いたチャールズ1世とヘンリエッタ・マリア、王太子チャールズ(後の国王チャールズ2世)とヨーク公ジェームズ(後の国王ジェームズ2世)の肖像画

《清教徒》のストーリーと「イタリア統一運動」の関係

オペラ《清教徒》では、クロムウェル率いる「議会派=清教徒派」が明らかに善玉である。それはおそらく、台本作者のペーポリと作曲者のベッリーニが共和制を支持していたことと無関係ではない。なにしろクロムウェル時代のイングランドは、実態はクロムウェルの独裁だったにもかかわらず「共和制」を謳っていたのだから。

当時のイタリアは「統一運動」の狼煙が上がり始めた時期。1835年に《清教徒》が初演されたパリのイタリア劇場は、祖国で迫害された亡命イタリア人の溜まり場だった。

台本を書いたカルロ・ペーポリ伯爵は、1831年の革命に関わって投獄され、脱獄してパリに。パリではイタリア人亡命者のための新聞に寄稿するなどジャーナリストとしても活動していた。ベッリーニも秘密結社の「カルボナリ」に所属するなど、愛国者の一面を持っている。

クロムウェルと棺の中のチャールズ1世(ドラローシュ画)

とはいえイタリア・オペラでクロムウェルが賛美されることには違和感もある。彼は音楽も劇場も嫌いだった。厳格な「清教徒」だったクロムウェルは娯楽を禁止し、オルガンは壊され、劇場は閉鎖された。

教会の音楽は讃美歌だけ。トーマス・トムキンズやマシュー・ロックといった有能な作曲家は教師などをしてようよう生き延びたのである。「清教徒派」が、イタリア・オペラの名作で英国国教会の「讃美歌」を高らかに歌うのはいささか皮肉に思える。

そこに投げ入れられた「囚われの妃」というフィクション。だが、「囚われの妃」でもなければ、婚約者のいる王党派の青年の使命感は動かせないだろう。美しい音楽に送られての逃亡は、芸術を好んだヘンリエッタに相応しい。

【ベッリーニ《清教徒》必聴アリア】

♪第1幕 四重唱 「愛しい人よ 」:結婚を前にしたアルトゥーロとエルヴィーラが幸せに浸り、ジョルジョとヴァルトン卿に祝福される美しいアリア

♪第1幕 アルトゥーロとエンリケッタの二重唱「騎士殿!〜私に任せてください」:アルトゥーロがエンリケッタと出会い、彼女を助けると決意するまでのドラマティックな二重唱

♪第2幕  エルヴィーラのアリア「ここであの方の優しい声が」: アルトゥーロに裏切られたと信じ込んだエルヴィーラの「狂乱の場」

♪第2幕 ジョルジョとリッカルドの二重唱「ラッパを鳴らせ」:清教徒派の2人が、祖国のために戦うことを誓う勇ましい二重唱

♪第3幕  四重唱信じて、哀れな人: アルトゥーロが戻り、エルヴィーラが正気を取り戻すが、アルトゥーロに有罪が言い渡される大詰めの四重唱。テノールが「ハイF(高いファ)」を出すことでも知られる

加藤浩子
加藤浩子 音楽物書き

東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院博士課程満期退学(音楽史専攻)。音楽物書き。主にバッハを中心とする古楽およびオペラについて執筆、講演活動を行う。オンライン...

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