読みもの
2024.11.18
オペラになった歴史のヒロイン#9

《ドン・カルロス》~無名の王妃が「道ならぬ恋」のフィクションで有名になるまで

オペラには、歴史に実在した有名な女性が数多く登場します。彼女たちはオペラを通じて、どのようなヒロインに変貌したのでしょうか? 今回の主人公は、スペイン国王フェリペ2世の3番目の妃、エリザベート・ド・ヴァロワ。歴史上では無名の人物が、ときにフィクションを通じて有名になることがあります。エリザベートがヴェルディのオペラ《ドン・カルロス》のヒロインとなることで、どのような偽りの姿が広まることになったのでしょうか?

加藤浩子
加藤浩子 音楽物書き

東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院博士課程満期退学(音楽史専攻)。音楽物書き。主にバッハを中心とする古楽およびオペラについて執筆、講演活動を行う。オンライン...

この記事をシェアする
Twiter
Facebook
エリザベート・ド・ヴァロワ(1545-1568)

 

スペイン国王フェリペ2世の3番目の妃。フランス国王アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの長女。

 

イングランド国王エドワード6世と婚約するが、エドワードが15歳の若さで亡くなったためスペインの王太子ドン・カルロスと婚約。

 

しかしフランスとスペインの間で長年争われていたイタリア戦争を終結させるために「カトー・カンブレージ条約」が結ばれ、それに従ってカルロスの父フェリペ2世の妃となった。

 

夫妻は2人の王女に恵まれるが、エリザベートは3人目を死産した直後に死去。23歳の若さだった。オペラやその原作になった戯曲でのドン・カルロスとの恋愛は、フィクションである。

続きを読む

「道ならぬ恋」というフィクション

歴史上で悪名高く、そのためにオペラから消された王妃(前回の「カトリーヌ・ド・メディシス」)がいれば、歴史的には無名なのに、フィクションのおかげで有名になった王妃もいる。

エリザベート・ド・ヴァロワ(1545-1568)は、後者の好例だ。フランス王女、それも他ならぬカトリーヌとアンリ2世の長女だったエリザベートは、あるオペラに登場する「道ならぬ恋」というフィクションのおかげで有名になった。

そのオペラはヴェルディの《ドン・カルロス》(イタリア語タイトルは《ドン・カルロ》)。エリザベートは、タイトル役のスペインの王太子、ドン・カルロスと婚約しており、相思相愛だったのに政治的な事情でカルロスの父フェリペ2世に嫁ぐことになって、カルロスを忘れられずに苦悩するという役回りだ。

カルロスの方はエリザベート以上に悶々とし、父への反感も募らせる。この「恋」がなければオペラは成り立たないのだが、この「道ならぬ恋」こそフィクションなのである。

フェリペ2世(1527~1598)

カルロスとエリザベートが婚約していたことは事実だが、恋人同士だったことはない。オペラ《ドン・カルロス》でフェリペは、「妻に愛されたことがない」と嘆き、息子と妻の仲を疑って疑心暗鬼になるが、史実では夫婦仲は悪くなかった。

18歳で最初の妻に先立たれ、2番目の妻で9歳年上のイングランド女王メアリー1世には女性としてまったく魅力を感じなかったフェリペは、18歳年下のエリザベートと結ばれてようやく家庭の幸福を手に入れた。

一方でカルロスは「不肖の息子」である。カルロスはフェリペと最初の妻、ポルトガル王女のマリア・マヌエラとの間の唯一の子だが、生まれた時から心身が普通ではなかった。痩せた体にのった頭は異様に大きく、しかも歪んでいる。加えて、生後すぐ乳母の乳首を噛みちぎるほど乱暴だった。

若きドン・カルロス

衝動的で粗暴な性分は成長しても変わらず、ウサギを捕まえて生きたまま焼いたり、祖父のカルロス1世にお気に入りのストーブをしつこくねだって怒らせたり、女性を追いかけまわして階段から落ちて大怪我をしたりと、アブナイ逸話には事欠かない。

しかも虚弱体質で、父の結婚式など肝心な時にしょっちゅう熱を出していた。フェリペが和議をきっかけに、カルロスとエリザベートの婚約を破棄したのももっともだったのである。

フィクションが生まれた 政治的理由

カルロスとエリザベートが「恋人同士」に仕立て上げられたのには歴史的な背景がある。

史実のカルロスは、父フェリペに対し実際に反乱を企て、幽閉されて亡くなった。まったくの偶然だが、カルロスと同じ年のエリザベートも、その2か月後に逝ってしまう。

カルロスはフェリペに殺された。そう言いふらす人々が現れたのだ。そしてエリザベートも同じ目にあったと。

噂の最大の出所は、フェリペに弾圧されていたネーデルランドの貴族で、のちにオランダ独立戦争を指揮することになるオラニエ公ウィリアム。2人の「恋」は、この噂から派生した。

オラニエ公ウィリアム(1533~1584)

まず17世紀フランスの作家レアルが、歴史小説『ドン・カルロス』(1672)で2人の恋を導入し、その設定がフリードリヒ・シラーの『ドン・カルロス』(1787)に、そしてヴェルディのオペラ《ドン・カルロス》(1867)に引き継がれたのである。

フィクションは、時に政治から生まれる。

実は夫に愛された「平和王妃」

フェリペとの結婚によってフランスとスペインに一時の安定をもたらしたエリザベートは、「平和王妃」と呼ばれた。実際エリザベートとフェリペの結婚は、フランスにとってもスペインにとっても大歓迎だった。

フェリペとエリザベート

この結婚話に飛び上がるほど喜んだのは、エリザベートの母、カトリーヌ・ド・メディシスである。カルロスは王子だが、フェリペはすでに国王。しかもフランスと同じカトリックの、超大国の権力者なのだ。権力志向のカトリーヌにとっては願ったり叶ったり。18歳の年齢差など、どうということはなかった。

エリザベートが13歳で初めてフェリペに会った時、恐る恐る見上げた彼の横顔から目が離せず、フェリペに「私の白髪がそんなに面白いか?」と返された言葉は、オペラ《ドン・カルロス》の有名なアリア「彼女は私を愛したことはない」に生かされている(以下、アリアの歌唱はイタリア語)。

▼ヴェルディ《ドン・カルロス》~第3幕「彼女は私を愛したことはない」

その後フェリペは、透き通るように白い肌と濡れたように黒い瞳を持つこのいたいけな少女に夢中になった。

国の財政が厳しくとも彼女の浪費には見て見ぬ振りをし、エリザベートが産んだ2人の娘には、赤ん坊の頃から専用の礼拝堂を造るなどして目の中に入れても痛くないほど可愛がった。

フェリペ2世が建てたエル・エスコリアル宮殿。フェリペをはじめスペインの王家一族の霊廟もある

死産のため23歳で世を去った彼女の死は、フェリペにとって間違いなく大きな悲しみだった。

ちなみにシラーの『ドン・カルロス』では、フェリペの年齢をおよそ20才嵩上げして「老年」を強調している。

無名の王妃を有名にしたオペラ~ヴェルディ《ドン・カルロス》

カルロスとエリザベートが有名になったのは、なんと言ってもヴェルディのオペラのおかげだろう。

しかもオペラの中では2人は史実よりはるかに美化されており、カルロスはエキセントリックではあるものの理想家で、情も厚い恋する青年に、エリザベートはカルロスへの想いを王妃という自分の役割のために自制する、気高い女性へと変貌している。

《ドン・カルロス》の第1幕で、カルロスとエリザベートが出会った場所に設定されているフォンテンブローの森
《ドン・カルロス》(イタリア語名《ドン・カルロ》)あらすじ

(文中の人名は出身国の読みに従う)

 

16世紀のスペイン、マドリード。国王フェリペ2世の王太子ドン・カルロスは婚約者であるフランスの王女エリザベートと相思相愛だったが、フランスとスペインの間で結ばれた和平条約の結果、エリザベートは父フェリペに嫁ぐことになる。

 

エリザベートを忘れられずに悶々とするカルロスに、友人のポーザ侯爵ロドリーゴは、フェリペに迫害されているフランドル(オランダ)を助けるよう進言する。フランドルはスペインの領土だが、カトリック国のスペイン治下でプロテスタントが力を持ったため、弾圧されていたのだった。

 

その気になったカルロスは、プロテスタント教徒の火刑の日、集まった人々の前でフランドルを自分に譲るよう父に申し出、反逆罪で投獄される。

 

ロドリーゴはカルロスを庇い、罪を引き受けて殺される。カルロスはエリザベートに別れを告げてフランドルへ向かおうとするが、フェリペと宗教裁判長が現れ、カルロスを捕らえようとする。その瞬間フェリペの父カルロス1世の亡霊が現れ、カルロスを連れ去るのだった。

実のところ、エリザベートは王家の妃としてはごく平凡な女性である。王妃になって多少の政治感覚は身につけたが、世継ぎも産まないうちに世を去った。カルロスにしても、病弱で粗暴な王子など星の数ほどいる。

歴史上の役割や知名度からいったら、フェリペ2世やカトリーヌの方が何十倍も上だ。

歴史上では無名の人物が、フィクションを通じて有名になる。オペラ《ドン・カルロス》は、そのうってつけの例なのである。

【ヴェルディ《ドン・カルロス》必聴アリア】

♪第1幕 カルロスのアリア「フォンテンブロー! 広大で寂しい森よ」:  婚約者であるエリザベートに会いたい思いにかられてフォンテンブローにやってきたカルロスが、彼女をひとめ見て恋に落ち、その熱情を歌うアリア

♪第5幕 エリザベートのアリア「この世の虚しさをご存知のあなたさま」:カルロスとの別れを決意したエリザベートが、故郷のフランスを懐かしみ、死に憧れる壮麗なアリア

加藤浩子
加藤浩子 音楽物書き

東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院博士課程満期退学(音楽史専攻)。音楽物書き。主にバッハを中心とする古楽およびオペラについて執筆、講演活動を行う。オンライン...

ONTOMOの更新情報を1~2週間に1度まとめてお知らせします!

更新情報をSNSでチェック
ページのトップへ