ルクレツィア・ボルジア~悪徳の一家に生まれたヒロインは本当に「悪女」だったのか
クレオパトラ、メアリー・スチュアート、サロメ、ジャンヌ・ダルク……オペラには、歴史に実在した有名な女性が数多く登場します。彼女たちはオペラを通じて、どのようなヒロインに変貌したのでしょうか? その実像とオペラにおけるキャラクターを比較し、なぜそうなったのかを探っていきます。歴史の激動を生きた魅力的な女性たちの物語を、描かれた絵画や音楽とともにお楽しみください。
東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院博士課程満期退学(音楽史専攻)。音楽物書き。主にバッハを中心とする古楽およびオペラについて執筆、講演活動を行う。オンライン...
ルネッサンスのイタリアにいっとき君臨した「ボルジア家」の令嬢。ローマ教皇アレクサンドル6世に上り詰めた枢機卿ロドリーゴ・ボルジアを父に、父と共に中部イタリアの武力統一を目指したチェーザレ・ボルジアを兄に持つ。
父や兄の意思で3度の結婚をし、最後はフェッラーラ公爵アルフォンソ・デステに嫁いでフェッラーラで生涯を終えた。ボルジア家は陰謀や買収、暗殺など悪徳を極めたことで名高く、ルクレツィアも後世までその悪名を負うが、本人は贅沢好きの面はあったもののごく普通の女性だったと伝えられる。
血塗られた時代「ルネッサンス」を象徴する女性の一人
「ルネッサンス」。その言葉は、なんと華やかに響くことだろうか。
神に支配されていた時代から、人間を肯定的に捉える時代へ。絵画も音楽も宗教一色だった時代から、ギリシャ神話の神々やニンフの恋物語が宮殿の壁画や貴族たちの劇を彩る時代へ。
だが「ルネッサンス」は、血塗られた時代でもあった。ルネッサンスの本場はイタリアだが、イタリアでルネッサンスが盛んになったのは十字軍がきっかけである。十字軍はイスラム教徒に支配されていた聖地エルサレムの奪還を目指してキリスト教徒が仕掛けた戦いだったが、最終的には失敗に終わり、教会の権威は地に落ちた。
多くの国に分裂していたイタリアでは、中東との交易や産業によって富を蓄えた国々が勢力を伸ばし、またトルコがビザンチン帝国を滅ぼしたことで大量の難民がイタリアに流れ込み、ビザンチンに残されていた古代ギリシャの思想も持ち込まれた。ルネッサンスは戦いから始まったのだ。
イタリア各国もまた戦いに明け暮れた。聖者であるはずのローマ教皇も例外ではなかった。教皇に選ばれたとたん、誰もが親族政治や勢力拡大にうつつを抜かした。愛人や子どもがいるのは当たり前、買収も賄賂も歓迎。世俗の君主と変わらない。教会の権威を背負っているからよけいに厄介だ。
しまいにはこれを買えば現世での罪から解放されるという「贖宥状(いわゆる「免罪符」)」を信者に売りつけるまでになり、とうとうドイツの修道僧が反旗をひるがえす。その修道僧マルティン・ルターが始めた「宗教改革」は、ルネッサンス後期、16世紀のヨーロッパを「宗教戦争」に巻き込んだ。
ルクレツィア・ボルジアは、そんな時代を象徴する女性の一人である。
悪徳の一族に生まれた「悪の華」
ルクレツィア・ボルジアはしばしば「悪女」と呼ばれる。3人も夫を持ち、そのうち2人が世間の笑いものになったり非業の死を遂げたりし、贅沢好きで愛人もいたからだろうか。
だがその程度のことは、この時代の大貴族の家に生まれれば当然のことだった。結婚は政治のため、決めるのは父や兄弟。女性はそれに従うしかなかった。愛人や庶子がいるのも珍しいこととは言えない。
それでもルクレツィアが「悪」とされるのは、父や兄のせいである。父ロドリーゴ・ボルジア、教皇アレクサンドル6世は、あまたの教皇の中でも飛び抜けて俗人で、賄賂を使って教皇の座を勝ち取り、教皇として初めて公の場に愛人を伴った。兄チェーザレ・ボルジアは、父と組んで中部イタリアに王国を作ることを夢見、精鋭の軍隊と情け容赦ない残虐さで志を遂げかかる。
目的のためには手段を選ばなかったボルジア一族は「毒薬」を活用したことでも有名で、「ボルジアの毒薬」は一族の悪徳のシンボルになった。しかし2人とも、野望のさなかでマラリアに倒れる。恐れられ、時に喝采されても人徳がなかった一族は急速に衰退した。
一族の駒として3度の結婚
教皇と愛人ヴァノッツァ・デイ・カタネイとの間に生まれたルクレツィアは、生涯で3度結婚した。13歳でジョヴァンニ・スフォルツァと、18歳でアルフォンソ・ダラゴーナと、そして22歳でアルフォンソ・デステと。ともに、その時々の政治状況に応じて、一族を有利にしたい父や兄の思惑に従ってのことだった。
最初の結婚はミラノの名門、スフォルツァ家との関係を強化するためだったが、情勢が変化してその関係を断ち切りたくなった時、父アレクサンドルは「2人は男女の交わりを果たしておらず、結婚は無効だった」と宣言する。花婿は驚き逆上したが、不名誉と引き換えに札束で頬を叩かれて沈黙した。
晴れて駒に復帰したルクレツィアの次なる夫は、ナポリ国王の庶子アルフォンソ・ダラゴーナだった。アルフォンソは美男で、2人は仲睦まじかったという。だがナポリ王国との関係が邪魔になってきたため、チェーザレはアルフォンソの暗殺という暴挙に出る。
一度は失敗したもののそれで諦めるチェーザレではなく、重傷を負ったアルフォンソは、ちょっと目を離された隙にとどめを刺された。付き添って看病していたルクレツィアは絶望の叫びを上げたという。それでもルクレツィアが兄を嫌うことはなかったようだ。
3度目の正直となった結婚は、フェッラーラ公爵アルフォンソ・デステとのもの。結婚後1年で父を喪い、その4年後にはチェーザレも戦死してボルジア家は急速に没落するが、ルクレツィアは健気に公爵夫人を務め上げた。
詩人のピエトロ・ベンボや、義理の兄でもあるマントヴァ公爵フランチェスコ・ゴンザーガ(イザベッラ・デステの夫)との恋も経験しながら、夫の子どもを5人産み、6人目の女児を死産して命を落とした。享年39歳。
ルクレツィアはいわゆる悪事に手を染めたわけではない。同時代の女傑、例えばカテリーナ・スフォルツァのように、愛人を暗殺された敵を皆殺しにしたほど残忍だったわけでもない。実家のボルジアの悪名が、彼女を悪の華にした。そして「ボルジア家の毒薬」も、また彼女につきまとった。
オペラ《ルクレツィア・ボルジア》は、「ボルジア家の悪徳」の色眼鏡がなければ生まれなかったオペラである。
毒薬と近親相姦~色眼鏡を通したルクレツィアを描くオペラ
オペラの原作となった戯曲を書いたのは、フランスの文豪ヴィクトル・ユゴーである。ユゴーは本作の直前に『王は楽しむ』を上演、こちらはヴェルディのオペラ《リゴレット》の原作となった。
『王は楽しむ』も『ルクレツィア・ボルジア(フランス語でリュクリース・ボルジー)』も、権力者の横暴を糾弾したという点では同じだ。だが『王は楽しむ』の主人公フランソワ1世が、劇に描かれた通りの放蕩者だったのに対し、ルクレツィアが毒薬を駆使し、復讐に燃え、近親相姦を犯していた大悪女に描かれているのはやや過剰な気がしないでもない。しかしユゴーが生きた19世紀、ルクレツィアは「ボルジア」の色眼鏡で見られていた。
16世紀のヴェネツィア。ボルジア家からフェッラーラ公爵に嫁いだルクレツィアは、生き別れになった庶子ジェンナーロに巡り会うが、母だと告白できない。ルクレツィアの正体を知らないジェンナーロは、仲間に彼女との仲をからかわれ、ボルジア家を侮辱する行動に出る。
侮辱罪で捕らわれた男性がジェンナーロだとわかったルクレツィアは夫の公爵に助命を乞うが、彼を妻の愛人だと誤解した公爵は死刑を宣告。ルクレツィアは毒入りワインを飲まされた彼に毒消しを与え、ジェンナーロを逃す。
自分をからかった若者たちへの復讐を誓うルクレツィアは、偽名を名乗ってジェンナーロの仲間たちを宴会に招き、毒入りのワインを飲ませる。だが予期しなかったことに、一同の中にはジェンナーロの姿もあった。ルクレツィアは真実を告白し、ジェンナーロは彼女の腕の中で息絶える。
オペラでのルクレツィアは、3番目の夫アルフォンソに嫁ぎ、フェッラーラ公爵夫人となっている。その一方で庶子を追い、侮辱された復讐に「ボルジア家の毒薬」をワインに仕込む。息子の前で名乗れないのは、父が兄のチェーザレだからという説もある。実際、ルクレツィアは兄や父との不倫を噂されていたが、それはあくまで噂でしかない。
だが一方で、オペラでのルクレツィアは悲運の母でもある。そこは人間的だ。『王は楽しむ』のフランソワ1世が、悪人でありながら屈託なく、暗殺計画を素通りして生き延びるのとは異なり、その点では共感できる女性に描かれているように思う。
ルクレツィア・ボルジア。歴史は彼女に、なんと複雑な役割を与えたことだろうか。
【ドニゼッティ《ルクレツィア・ボルジア》必聴アリア、二重唱】
♪プロローグ:ルクレツィアのロマンス 「なんて美しい」
息子のジェンナーロに巡り合ったルクレツィアが、その美しさに見惚れるアリア
♪第1幕第2場:アルフォンソとルクレツィアの二重唱「2人だけになった」
ジェンナーロを殺そうとするアルフォンソと、慈悲を乞うルクレツィアの二重唱
♪第2幕第2場:ルクレツィアのカバレッタ「彼は私の息子でした」
ジェンナーロが絶命し、絶望したルクレツィアの告白のアリア
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