読みもの
2024.07.28
オペラになった歴史のヒロイン#6

《マリア・ストゥアルダ》を傑作オペラにした 華麗なる「宿命の女王対決」

オペラには、歴史に実在した有名な女性が数多く登場します。彼女たちはオペラを通じて、どのようなヒロインに変貌したのでしょうか? 今回の主人公は、「夫殺し」の汚名がつきまとったスコットランド女王のメアリー・スチュアート。イングランド女王エリザベス1世との王位継承をめぐる対立が、華麗なるフィクションの衣を被ってオペラの名場面となるまでを見ていきましょう。 

加藤浩子
加藤浩子 音楽物書き

東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院博士課程満期退学(音楽史専攻)。音楽物書き。主にバッハを中心とする古楽およびオペラについて執筆、講演活動を行う。オンライン...

メアリー・ステュアート

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メアリー・ステュアート(1542-1587)

スコットランド女王。生後6日で、急逝した父のスコットランド王ジェームズ5世の跡を継いでスコットランド女王に即位し、6歳で一つ年下のフランス王太子と婚約、16歳でフランス王妃となる。

 

だが夫のフランソワ2世は1年半足らずで逝き、メアリーは帰国。いとこにあたるダーンリー卿と再婚して息子をもうけるが、まもなく夫婦関係は悪化。ダーンリー卿は暗殺される。メアリーはそれを黙殺し、しかも暗殺の張本人とされ、恋人の噂があったボスウェル伯爵と結婚したため、四面楚歌に。

 

反乱を起こされたメアリーはイングランドへ亡命し、女王エリザベスの庇護を求めるが、王位継承権があるメアリーの処遇に困ったエリザベスは彼女を軟禁する。イングランドの王位継承権を持つメアリーは、待遇への不満と王座への野心を捨てきれず、彼女を担ぐ陰謀にたびたび関わった。最後はエリザベス側の罠にかかって反乱を企てたとされ、逮捕、処刑された。享年45歳。

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オペラで天下の女王が罵声を浴びせあう名シーン

「夫殺し!」

一人が罵倒すると、もう一人は応酬する。

「私生児!」

もちろん2人とも、「言ってはならないこと」を口にしていることは承知の上だ。世に名作オペラはあまたあるが、これほど手に汗握るシーンはそうそうない。

ドニゼッティ《マリア・ストゥアルダ》(=《メアリー・ステュアート》)。第2幕の幕切れを飾る迫真の場面である。

最初から居丈高なのはエリザベス1世。有名なイングランド女王だ。対するのはメアリー・ステュアート。スコットランド女王。ただし母国で一悶着起こし、亡命してきて、今は反乱の罪で幽閉の身の上だが。

最初はメアリーが下手に出た。だがエリザベスはメアリーの謙遜など一蹴し、次々と罵声を浴びせ始める。誇り高いメアリーが切れるのは時間の問題だった。そして口走ったのが、冒頭の言葉である。「夫殺し!」はエリザベスの、「私生児!」はメアリーの言葉だった。

それにしても凄まじい。女王の座にある2人が面と向かってこんなことを言ってもいいのか?

いいはずがない。いや、ありえない。だからこの場面はフィクションなのだ。

だが2人が「私生児」「夫殺し」と陰で言われていたのは事実だ。それは2人の複雑な人生からきている。

「夫殺し」と「私生児」の理由〜2人の女王の光と闇

メアリー~光から闇への人生

メアリーとエリザベスは、同じテューダー朝の血を引く女王である。メアリーの曽祖父にしてエリザベスの祖父にあたるのが、テューダー朝の創始者ヘンリー7世だ。

だが2人の人生はこれ以上ないほど対照的だ。メアリーが光から闇への人生なら、エリザベスは闇から光への人生。「夫殺し」と「私生児」には、2人それぞれの「闇」がかかわっている。

メアリーの父はスコットランド王ジェームズ5世。母はフランスの大貴族ギーズ家の令嬢である。

生後6日で父が亡くなったため即位。母の方針でフランスの王太子と婚約し、フランス宮廷に移った。未来のフランス王妃は才色兼備で、宮廷の華として持てはやされる。

フランソワ2世とメアリー

だが15歳で即位した夫のフランソワ2世は心身ともにひ弱で、メアリーはわずか1年5カ月で未亡人になってしまう。

スコットランドに戻ったメアリーは、やはりヘンリー7世のひ孫にあたる美男のダーンリー卿に一目惚れし、再婚。子どもを儲けるが、夫は人間として未熟な上に女たらしで(男色説も)、メアリーのお気に入りだった音楽家リッチオに嫉妬して、メアリーの目の前で殺すという暴挙に出た。メアリーが彼に恐れを抱いたのは当然だった。

ダーンリー卿ヘンリー・ステュアート
リッチオ殺害事件(ウィリアム・アラン画)

ある日、ダーンリー卿の泊まった屋敷が炎上し、遺体が発見された。遺体は無傷だったため、暗殺説が浮上する。その3か月後、メアリーは愛人だと噂のあったボスウェル伯爵と結婚した。「夫殺し」の不名誉な呼び名は、以来メアリーにつきまとう。

エリザベス~闇から光への人生

エリザベスの父はイングランド国王ヘンリー8世。母は前回のこの連載でご紹介したアン・ブーリンである。アンは男の子を産めなかったため、彼女に飽きたヘンリーに「不貞」を理由に投獄、処刑された。その際、ヘンリーと離婚させられたため、エリザベスは「私生児」になってしまったのだ。

「私生児」エリザベスは辛い少女時代を送らなければならなかった。彼女の前のイングランド女王だった異母姉メアリーに、叛逆の疑いをかけられてロンドン塔に幽閉されたこともある。

諦めかけていた王座に推挙された時、エリザベスは「これは主の御業」と口走った。苦労知らずのメアリーが感情に素直に生きたのに対し、苦労人のエリザベスは他人に本音を見せない老練な政治家になる。

スペイン無敵艦隊に対する勝利を祝うエリザベス1世

だが「私生児」への風当たりは強かった。フランス国王からローマ教皇まで多くの人々が、イングランドの王座はメアリーが継ぐべきだと考えた。メアリーもそう信じ、エリザベスから迫られたにもかかわらず、イングランドの王位継承権を放棄しなかった。エリザベスにとって、メアリーは危険な存在だったのだ。

そのメアリーが母国でスキャンダルを起こし、自分の庇護を求めてイングランドに亡命してきた時、エリザベスは驚愕した。手紙では「お姉様」と書いてくる美貌の女王は、厄介者以外の何者でもなかった。

繰り返すが、メアリーにはイングランドの王位継承権があった。さらに悪いことに、彼女はカトリックだった。エリザベスは父が創設した英国国教会のプロテスタント。国内では信仰の自由を謳ってはいたが、小競り合いは絶えなかった。メアリーの存在が火種になることは目に見えていた。

実際カトリック側は、軟禁状態のメアリーにたびたび接近する。最後はエリザベス側の罠にかかって、メアリーも反乱計画に加わり、それがバレて断罪された。だが罠だったにせよ、そのような計画に加わったこと自体、メアリーに野心があったことの証明だ。彼女は、イングランドに亡命してはいけなかったのだ。

衝撃の三角関係〜オペラならではのフィクション

オペラ《マリア・ストゥアルダ》の大きなフィクションはもう一つある。メアリーの処刑の最終的な原因が、メアリーに対するエリザベスの嫉妬であることだ。

オペラでは、エリザベスの恋人であるレスター伯爵がメアリーの虜になっているという設定で、それに嫉妬したエリザベスがメアリーの死刑執行書類に署名してしまうのである。

レスター伯爵

レスター伯爵は実在の人物で、エリザベスとの仲を噂されたこともあった。エリザベスはそんな彼を、未亡人になったメアリーに夫候補として薦めている。その伏線があったからこそメアリーの「恋人」になったのだが、荒唐無稽な展開ではある。

もっともこの設定はオペラが初めてではなく、原作となったシラーの戯曲『マリア・ストゥアルト』によるものだった。権力者嫌いのシラーは、エリザベスを徹底的に敵役として造形している。

ドニゼッティ《マリア・ストゥアルダ》あらすじ

1587年のイングランド。スコットランド女王メアリー・ステュアート(イタリア語名マリア・ストゥアルダ、以下同)は、母国で政争に巻き込まれ、親族であるイングランド女王のエリザベス(エリザベッタ)の保護を求めて亡命してきたが、反乱に与したかどでフォザリンゲイ城に幽閉されていた。

 

エリザベスの寵臣レスター(レイチェステル)伯爵はメアリーに心を奪われており、彼女を救うためエリザベスとメアリーの会見を提案する。だが誇り高い2人の初顔合わせは、激しい罵り合いに終わった。

 

憤激したエリザベスはメアリーの死刑執行令状に署名し、レスターに処刑に立ち会うよう命じる。メアリーはエリザベスを許すと宣言し、処刑台へ向かう。

《マリア・ストゥアルダ》は衝撃的なオペラだった。舞台上で王族が処刑されるという展開は、過去の話であっても権力者批判につながるため御法度だったのだ。

ナポリでの初演は流れ、タイトルと内容を変えてミラノでようやくオリジナルの初演がかなったが、まもなく上演は禁止に。自筆譜も長い間行方不明になってしまった。

今日、《マリア・ストゥアルダ》はドニゼッティの最高傑作の一つと評価されている。その理由の一つが、タブーに踏み込んだ女王対決がもたらした迫真の音楽にあることは間違いない。

【ドニゼッティ《マリア・ストゥアルダ》必聴アリア】

第2幕 2人の女王の対話〜フィナーレ「さあ、こちらへ」:2人の女王が対決する場面を含む緊迫のフィナーレ
 

第3幕 アリア「今、死のうとしているこの心が」:処刑を前に、エリザベスを許し、断頭台に向かうマリアの辞世のアリア 

加藤浩子
加藤浩子 音楽物書き

東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院博士課程満期退学(音楽史専攻)。音楽物書き。主にバッハを中心とする古楽およびオペラについて執筆、講演活動を行う。オンライン...

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