読みもの
2024.09.09
オペラになった歴史のヒロイン#7

《ロベルト・デヴェリュー》~「処女王」エリザベス1世の恋に心揺さぶられるオペラ

オペラには、歴史に実在した有名な女性が数多く登場します。彼女たちはオペラを通じて、どのようなヒロインに変貌したのでしょうか? 今回の主人公は、生涯独身を貫き、45年にわたってイングランドを治めたエリザベス1世。しかし、恋をしなかったわけではありません。オペラではもっぱら悪役となって、その激しい恋が描かれました。

加藤浩子
加藤浩子 音楽物書き

東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院博士課程満期退学(音楽史専攻)。音楽物書き。主にバッハを中心とする古楽およびオペラについて執筆、講演活動を行う。オンライン...

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エリザベス1世(1533-1603)

イングランド女王(在位1558-1603)。ヘンリー8世と2人目の妻アン・ブーリンの長女。2歳4か月にして母が刑死し、庶子の身に落とされて王位継承権を奪われるが、ヘンリー8世の6人目の妻キャサリン・パーの力で継承権を取り戻す。

 

25歳の時、異母姉のメアリー1世の逝去に伴って、イングランドで2人目の女王として即位。生涯独身を通し、内外の動乱をやり過ごして、45年にわたってイングランドを治めた。

 

国内的には父が始めた英国国教会を国教として定着させ、王権を強化。対外的には戦争を極力避けて国力を拡大し、大国スペインの無敵艦隊に勝利を収めてヨーロッパを唸らせた。

 

またアジア貿易を目的に設立された東インド会社を支援し、海外進出のきっかけを作った。2代にわたって国務長官を務めたセシル親子ら有能な側近にも恵まれたが、それはエリザベスの人を見る目と人心掌握術のおかげでもある。

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イギリスと結婚した女王

かつて未婚女性に対する社会の風当たりは今よりはるかに強かった。今や死語だが、「オールドミス」などという嫌味な言葉もあったほどだ。以前は仕事か家庭かの二者択一を迫られてキャリアを選ぶことも多かっただろうが、今は仕事も家庭も、の時代だ。

一国の「女王」といえば、究極のキャリアウーマンである。だが独身を貫いた女王は稀だ。「女王」は別の意味で、独身でいることは許されなかった。国内外の有力者と結婚して権力を盤石にし、後継ぎをもうけなければならなかったからである。

「大英帝国」の黄金時代を築いたヴィクトリア女王は、アルバート公という伴侶を得て9人の子どもを授かった「仕事も家庭も」の超キャリアウーマンだった。ついこの間崩御したエリザベス2世も同じである。

イングランドが「大英帝国」になるきっかけを作ったエリザベス1世は、「家庭より仕事」、生涯独身を通した例外中の例外である。即位直後、側近たちから結婚するように請われて言い放った言葉は有名だ。

「私はすでにイギリスと結婚し、夫を持つ身となりました」。

そしてエリザベスは、戴冠式の時にはめた指輪を「これがその証」だと見せたという。

だがそれを信じた人間はいなかった。誰もが、女王は結婚するだろうと思っていた。後継者をもうけなかったら、王朝が途絶えてしまう。

しかしエリザベスは本気だった。彼女はこうも言ったのである。

「私人ではなくなり、この国の運命を担う身となりました。今、さらに結婚という重荷を背負うのはとても愚かだと思います」。

エリザベス1世が幼少、少女時代を過ごし、女王即位後もしばらく宮廷をおいたハットフィールドハウス

身近な女王たちの不幸な結婚生活

エリザベスが結婚に夢を抱いていなかったのは確かだ。彼女の身近にいた2人の女王の結婚生活はいずれも不幸だった。

イングランド初の女王となった異母姉のメアリー1世は、父ヘンリー8世が始めた英国国教会からカトリックに改宗し、同じカトリック国であるスペインの11歳年下の国王フェリペ2世を夫に迎えて夢中になり、想像妊娠という想像を絶する出来事を引き起こして悲嘆のうちに世を去った。

メアリー1世(1516-1558)

この連載の前回でご紹介したスコットランド女王メアリー・ステュアートは、最初の夫であるフランス国王に若くして死なれ、再婚相手は美男だが愚かで、恋人が夫を暗殺するのを見て見ぬふりをした。エリザベスが未婚を宣言したのは、身近に失敗例を見ていたこともあるのだろう。

だが後継者は? エリザベスは別のところでこう言っている。

「神様が、わたくしの胎から生まれた子よりずっとこの国のためになる後継者をお授けくださるでしょう」

つまり、自分の血筋より国にふさわしい人間を優先する、と言っているのだ。こんな考え方をした女王はいなかった。

「処女王」であることはエリザベスの誇りだった。彼女は「処女」を自分のイメージとして活用した。英国国教会の教会には、聖母マリアの肖像画に代わってエリザベスの肖像画が飾られた。肖像画の中のエリザベスは、「純潔」の象徴である「ふるい」など、さまざまなアトリビュートで演出された。

とはいえ、エリザベスが恋をしなかったわけではない。

ジョージ・ガワー: エリザベス1世 ふるいの肖像画(1579)。女王の左手に「純潔」の象徴である「ふるい」が持たれている

エリザベスも恋をした

エリザベスの「恋人」候補は何人かいる。もっとも有名な男性は、ロバート・ダドリー(1533-88)である。同じ歳の幼馴染で、若い頃、父の反乱に連なったり、濡れ衣を着せられたりしてロンドン塔に投獄された経験も共通する。エリザベスは女王に即位すると、ロバートを自分の護衛担当の「主馬頭」に抜擢。彼が宮廷に入り浸るのを許した。

だが2人が結婚するのは不可能だった。ダドリーはエリザベスが女王になる何年も前に結婚していたからだ。さらに悪いことに、2人の仲が噂になっている真っ最中に、ダドリーの妻エイミー・ロブサートが階段から転落死するという事件が起きる。当然、女王やダドリーが関係しているという噂が流れた。これで2人の結婚は120%不可能になる。

妻の死の18年後、ダドリーは秘密裏に再婚。女王を激怒させた。他の女性関係も派手だった。ちなみに前回の連載でご紹介したオペラ《マリア・ストゥアルダ》で、メアリー、エリザベスと三角関係になったロベルト・レイチェステルのモデルはこのロバート・ダドリーである。

1560年代に描かれたロバート・ダドリーの肖像画

女王の晩年に現れた最後の恋人が、ロバート・デヴルー(1566-1601)である。33歳年下の美男に女王は入れ上げた。秘書官に取り立て、爵位を与え、ワインの特許権を授けて莫大な収入を約束した。

ウィリアム・シーガー:ロバート・デヴルーの肖像画(1590)

若い寵臣は舞い上がり、軍功を求めてアイルランドの反乱鎮圧に赴くが失敗。女王の怒りを買ったために無謀にも反逆を企て、女王の逆鱗に触れて逮捕、処刑されてしまう。

エリザベスにためらいはなかった。秩序を乱せば、お気に入りでも許さない。その毅然とした態度は、エリザベスの本領だろう。

だが恋人の処刑というショッキングな出来事は世間に衝撃を与え、エリザベスには冷ややかな目も注がれた。ドニゼッティのオペラ《ロベルト・デヴェリュー》はその一例である。

若い寵臣との最後の恋を描くオペラ

エリザベスはオペラでは悪役に回ることが多い。彼女をヒロインにしたオペラで現在もタイトルが知られているのは、ロッシーニの《エリザベッタ、イギリス女王》、ドニゼッティの《ケニルワース城のエリザベッタ》と《ロベルト・デヴェリュー》である。後者のタイトルロールはロバート・デヴルーだが、実質的な主役はエリザベスだ。

このうち最初の2つは、エリザベスと最初の恋人ダドリーの関係を扱ったもの。この2作でのエリザベスは、嫉妬に苦しむが最終的に恋人の結婚を許す寛大な君主になっている。

問題は、デヴルーの処刑をキーにした《ロベルト・デヴェリュー》だろう。ここでのエリザベスは、嫉妬のために処刑執行令状に署名してしまう愚かな女王なのである。

「デヴルーもの」の舞台作品は、デヴルーの処刑後まもない頃から、スペインやフランスを中心に数多く創作されてきた。そこでは「誇り高い女王」と「従順な女性」(本作でいえばロベルトの恋人のサラ)の対象が好まれ、エリザベスは悪役色が濃かった。

エリザベスが悪役になったのは、宗教的な理由もある。父ヘンリー8世が始めた英国国教会をイングランドに定着させたエリザベスは、スペインやフランス、イタリアといったカトリック諸国では敵だった。国教会の教会では聖母マリア様の代わりにエリザベスの肖像が飾られていたのだ。そんなことを認められるわけがない。

事実、1570年にローマ教皇ピウス5世はエリザベスを破門している。彼女は晴れて(?)悪役になったのである。その背景には、独身を通し、長期政権を全うしてイングランドを大国の仲間入りさせたエリザベスへの、男社会のやっかみもあったのではないだろうか。

ハットフィールドハウス邸内に飾られた、エリザベスの「虹の肖像画」。右手に平和の象徴である虹を持っている。たくさんつけている真珠は純潔の象徴
ドニゼッティ《ロベルト・デヴェリュー》あらすじ

1601年のイングランド、ロンドン。女王エリザベッタ(英語名エリザベス、以下同)は、アイルランドの反乱を鎮圧するため寵臣のロベルト・デヴェリュー(ロバート・デヴルー)を派遣したが、ロベルトは命令に反して和睦を結び、反逆罪に問われていた。エリザベッタは彼を救うために身の安全を保証する指輪を与えるが、彼の心が離れていることに気づいて嫉妬する。

 

果たしてロベルトにはサラという恋人がいた。だが彼女はロベルトの出征中に、女王の命令でロベルトの友人でもあるノッティンガム公爵に嫁いでいた。人目を忍んで再会した2人は、愛の証に、ロベルトはエリザベッタからもらった指輪を、サラは愛の言葉を刺繍したスカーフを交換する。

 

議会はロベルトを反逆の罪で訴えた。彼の持ち物からサラのハンカチが見つかり、逆上したエリザベッタは死刑執行令状に署名する。指輪を手にしたサラが現れて助命を乞うが時遅く、処刑を知らせる大砲の音が轟く。エリザベッタは取り乱すが、最後にはかつて処刑したメアリー・ステュアートの息子ジャコモ(ジェームズ)に譲位すると宣言するのだった。

《ロベルト・デヴェリュー》でドニゼッティは、エリザベスの感情を徹底的に掘り下げた。恋人に縋り、嫉妬にもだえ、処刑を後悔する老女王の音楽は凄まじく、心を激しく揺さぶってくる。

ドニゼッティはこの頃、生涯最大のクライシスを体験していた。わずか1年のうちに、両親と2人の子ども、そして最愛の妻ヴァージニアを喪っているのだ(ドニゼッティは40歳だった)。何かから解き放たれたような《ロベルト・デヴェリュー》の音楽の激しさには、ドニゼッティの心の闇も関係しているかもしれない。

ガエターノ・ドニゼッティ(1797-1848)

【ドニゼッティ《ロベルト・デヴェリュー》必聴アリア&二重唱】

♪第1幕  サラとロベルトの二重唱「あなたが戻ってから」:サラとロベルトが再会し、愛を確かめ合う二重唱

♪第3幕 サラとノッティンガムの二重唱「私を苦しめているこの苦しみ」:サラの不貞を疑うノッティンガムと潔白を主張するサラの二重唱

♪第3幕 エリザベッタのアリア・フィナーレ「流された血は」:ロベルトの処刑に衝撃を受け、錯乱するエリザベッタのアリア

加藤浩子
加藤浩子 音楽物書き

東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院博士課程満期退学(音楽史専攻)。音楽物書き。主にバッハを中心とする古楽およびオペラについて執筆、講演活動を行う。オンライン...

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