年末の風物詩「第九」がもしも聴けなくなる日が来たら…スーパーサブの曲を考えてみた
音楽評論家の鈴木淳史さんが、クラシック音楽との気ままなつきあいかたをご提案。膨大な音源の中から何を聴いたら分からない、という方へ。まずは五感をひらいて、音のうつろいにゆったりと身を委ねてみませんか?
まずは「第九」違いでショスタコーヴィチ
ちょいと前まで夏のような気分だったのに、早いものでもう年末という気配が漂っている。
「第九」が年末の風物詩になって久しい。国内のオーケストラ公演がこれ一色に染まるわけだが、「第九公演」とチラシにデカデカと記し、できるだけちっちゃい字で「ショスタコーヴィチ作曲」と書いておく、なんてことをやってみたくなるオーケストラはないものなのだろうか。
もしかしたら、当日にベートーヴェンの「第九」だと思って聴きに来る人がいるかもしれない。そこで堂々と演奏されるのはショスタコーヴィチの「第九」。ベートーヴェンが演奏されると思いながら、意表を突いて飛び込んでくるショスタコーヴィチ。こんな体験ができるなんて、なんとうらやましいことか!
というのも、このショスタコーヴィチの交響曲の初演には、第二次
意に沿わぬ音楽家にシベリア送りをちらつかせていたスターリンへ
やられたなー。こういう痛快な裏切られ方を待ってたんだよね!と喜んでくれる人が多ければいいが、騙された!返金しろ!シベリア送りにしろ!と騒ぐ人のほうが多いのであれば、それはじつにつまらない世の中になったなあと思う。
ベートーヴェンの「第九」が聴けるのだと思い込んだまま、耳にしてみて下さい。
ショスタコーヴィチ「交響曲第9番」
テリー・ライリーやラ・モンテ・ヤングで「第九」を脱構築
ともあれ、年末の「第九」(あ、ベートーヴェンのほうです)の地位は安泰だと思う人は多かろう。しかし、世の中、何があるかわからない。最近流行のキャンセルカルチャーでこの曲が演奏できなくなるかもしれない。たとえば、ベートーヴェンが不倫をしていたとか、大麻を吸っていたとかで、「こんな作曲家はけしからん」とオーケストラ事務局に抗議の電話が殺到するかもしれない。「大昔のことじゃん、何をバカなことを」と笑われる方が多いかもしれないが、今まさに「バカなこと」は頻繁に起こっているのだ。ゆめゆめ油断はなりませぬぞ。
そこで、もし「第九」がNGになった場合、代わりの曲を準備しておくといった作業が必要になってくる。凄腕の代打や、流れを変えるスーパーサブをベンチに入れておくのだ。南海トラフ対応と併せ、すでに粛々と準備しているオーケストラだってあるかもしれない。
「第九」の代わりは、どんな曲でもいいというわけにはいかない。たとえば、「第九」のもつ啓蒙主義、近代市民社会のシンボルとしてのこの作品の役割は終わったのだから、まったく違う曲が「第九」の代わりとなるべきだという主張もある(岡田暁生『音楽の危機 ―《第九》が歌えなくなった日』中央公論新社)。岡田は「第九」の代わりとして、あえてこの曲とはまったく違うスタイルをもつ音楽を提案している。たとえば、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》、テリー・ライリーの《In C》などなど。わたしも、まったく同感だ。ラ・モンテ・ヤングの《ザ・ウェル・チューンド・ピアノ》を聴いて年末を過ごすなんて最高すぎるだろ。昇天しちゃうわ。
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