ピアニストがアンコールに弾く、もっともシンプルな曲は?
人気音楽ジャーナリスト・飯尾洋一さんが、いまホットなトピックを音楽と絡めて綴るコラム。第8回は、ピアニストの“アンコール曲”について。渾身の演奏を終え、興奮冷めやらぬ熱気のなか、ピアニストがアンコールで選ぶ曲は……⁉ 「簡潔なアンコールを弾く」ピアニスト選手権‼
音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...
コンサートのアンコールでピアニストがなにを弾くか。ひとつの典型は演奏効果の高い超絶技巧の小品だ。ヴィルトゥオジティはいつだって客席に歓迎される。
しかし、それとは正反対の曲を選ぶピアニストもいる。まったく技巧的ではなく、うんと簡潔な曲を好んで弾くような人。平たく言えばとても易しい曲。こういった曲はプロフェッショナルなコンサートの場では、ある意味で技巧的な曲より、よほど難しいとも言える。せっかく本編で深い感動を残したのに、アンコールで急に音楽のスケールが小さくなり、雰囲気が壊れてしまうかもしれない。
ふと思ったのだが、シリアスなコンサートで、ピアニストはどこまで簡潔な曲をアンコールとして弾き得るものなのだろうか。
ピアノ弾きならみんな弾いたことがある《エリーゼのために》がアンコールに⁉
まず思いつく曲は、ベートーヴェンの《エリーゼのために》。だれもが知る名曲だが、コンサートホールで聴く機会はめったにない。記憶を遡って思い出せるのは、アリス=紗良・オット(ドイツ出身のピアニスト)。ベートーヴェンの《ピアノ協奏曲第1番》を弾いた後に、ソリスト・アンコールとして弾いた。客席に「えっ!」というような軽い驚きが漂ったように感じたのは、気のせいではないと思う。でも裸足の妖精然としたアリスが弾くのなら納得できるかも。エリーゼって、こんな人だったのかな……(妄想)。
▼アリス=紗良・オットの《ラ・カンパネラ》
ほかには、ロナルド・ブラウティハム(オランダのピアノ、フォルテ・ピアノ奏者)がリサイタルでベートーヴェンの《テンペスト》を弾いた際に、《エリーゼのために》をアンコールに選んだ。この場合は、ベートーヴェン時代の楽器であるフォルテピアノを用いた演奏だったので、「みんなが知っているあの曲は本当はこんな音色で奏でられていたんだよ」と教えてくれたのかも。
同じベートーヴェンでも後期の作品を好んで弾くのが、ピョートル・アンデルシェフスキ(ポーランドのピアニスト)。彼のお気に入りのアンコールは、ベートーヴェンの《バガテル op. 126-1》。これまでに少なくとも3回、アンデルシェフスキがこの曲をアンコールで弾くのを聴いたことがある。この曲も外見上の簡潔さでは《エリーゼのために》に劣らないが、内容はぐっと内省的で、どんな大曲の後に弾かれてもおかしくない名曲だと思う。アンデルシェフスキというピアニストのキャラクターにもぴったりでは。
バッハの《インヴェンションとシンフォニア》は、アンコールとして使用可能なレパートリーだろうか。
以前、北村朋幹(国内外で活躍する日本の若手ピアニスト)が《シンフォニア ト短調》を弾いてくれたことがある。メイン・プログラムはベートーヴェンの《ハンマークラヴィーア》。見上げるような峻厳で巨大な音楽から、一転して家庭音楽会的な親密な音楽へ。この落差はスゴい。
同じく《シンフォニア》から変ホ長調の1曲を弾いてくれたのは、ピーター・ゼルキン(アメリカのピアニスト。父は同じくピアニストのルドルフ・ゼルキン)。その日のリサイタルは、本編のおしまいの1曲がバッハの《イタリア協奏曲》で、そもそものプログラムからして世界的ピアニストの典型からは大きく外れていた。ピーターならでは。
では、「簡潔なアンコールを弾く」選手権の王者をひとり選ぶとしたら? ハイドンの《アダージョ ヘ長調 》(Hob.XVII:9)を弾いた、レイヴ・オヴェ・アンスネス(ノルウェーのピアニスト)を挙げたいと思う。たった1ページしかない、これ以上はないというくらいシンプルな曲だ。「え、それ弾くの!?」と思ったが、さすがアンスネス、どんな曲と向き合っても、陰影に富んだ成熟した音楽が紡ぎ出される。こんなにみずみずしく清冽な曲だったとは。勇者と称えたい。
演奏はアルフレート・ブレンデル
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