読みもの
2018.06.25
音楽ことばトリビア ~イタリア語編~ Vol.12

エウリディーチェなしで僕はこれからどうすればいいのだ?

クラシック音楽と語学は切っても切り離せないもの。「音楽ことばトリビア」は各国語に精通したナビゲーターの皆さんが、その国の音楽とことばをテーマに綴る学べるエッセイです。

イタリア語編ナビゲーターは、20年間イタリア・ミラノに拠点を置いていたオペラ・キュレーターの井内美香さん。第7回はグルックのオペラ《オルフェオとエウリディーチェ》の名アリアから。

井内美香
井内美香 音楽ライター/オペラ・キュレーター

学習院大学哲学科卒業、同大学院人文科学研究科博士前期課程修了。ミラノ国立大学で音楽学を学ぶ。ミラノ在住のフリーランスとして20年以上の間、オペラに関する執筆、通訳、来...

イラスト:本間ちひろ

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Che farò senza Euridice?

ケ・ファロ・センツァ・エウリディーチェ?

エウリディーチェなしで僕はこれからどうすればいいのだ?

オルフェオは古代ギリシャの吟遊詩人。今で言えばシンガーソングライターのようなものでしょうか。彼がかき鳴らす弦のしらべは、どんな心をも揺さぶる力を持っていました。森の動物たちもオルフェオの音楽に聴き惚れるほどだったといいます。ところがある日、オルフェオは新妻エウリディーチェを事故で失ってしまいます。エウリディーチェの墓の前で嘆き悲しむオルフェオ。それを見かねた愛の神アモーレは、彼をエウリディーチェのいる冥界に旅立たせます。

クリストフ・ヴィリバルト・グルックのオペラ《オルフェオとエウリディーチェ》は、ギリシャ神話の登場人物で竪琴の名手だったオルフェウスを主人公にしています。「オルフェウスとエウリュディケ」(イタリア語読みではオルフェオとエウリディーチェ)の物語は、17世紀初めにオペラが生まれたときから繰り返し取り上げられてきた大変人気のある題材でした。ちなみに日本人による歴史上初めてのオペラ上演もこのグルックの《オルフェオとエウリディーチェ》だったのです。1903年(明治36年)に上野の奏楽堂で上演され、エウリディーチェ役は後の名歌手、三浦環が歌っています。

クリストフ・ヴィリバルト・グルック(1714-1787)ドイツ生まれの作曲家。オーストリアで活躍したのち、音楽教師をしていたマリー・アントワネットの嫁入りに従ってフランスへ移住。オペラ改革を行なった
三浦環(1884-1946)日本のオペラ歌手。1914年の渡欧後、数々の歌劇場で2000回プッチーニの《蝶々夫人》を歌い名声を博す。プッチーニからも「あなたこそ最高の蝶々さんだ」と絶賛された

オルフェオには愛する妻を取り戻すチャンスが与えられました。ただし、一つだけ条件がついていたのです。それは現世に連れ戻すまで決して彼女の姿を見ないということ。夫に再会したエウリディーチェは最初は喜びで一杯でしたが、冥界から現世への長い道のりの途中で、「今は説明できないから黙って自分について来てくれ」と言う夫を信じられなくなります。「愛しい夫よ、なぜ私に目もくれないのですか?」とエウリディーチェ。もう耐えられない、もう一度死んだほうがましだ、というエウリディーチェの深い悲しみの声にオルフェオは思わず彼女の方を振り向きます。そのとき、哀れなエウリディーチェはその場に倒れて死んでしまいました。

フランスの画家ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(1796-1875)作「ユリディースを冥界から導くオルフェ」。「オルフェウスとエウリュディケ」は音楽だけでなく、さまざまな芸術作品に登場する

この場面で歌われるのが、オペラの歴史の中でも名高い表題のアリアです。今度こそ本当に失われてしまったエウリディーチェを前にオルフェオは「エウリディーチェなしで、僕はこれからどうすればいいのだ? 愛しい人なしでどこに行けばいい? エウリディーチェ、ああ! 返事をしておくれ、僕には君しかいないのだ」と嘆きます。

イタリア語は「Che何を farò するのだろう(fare=する という動詞の一人称未来形) senza〜なしで Euridiceエウリディーチェ」となります。

恋人などに言うセリフとしては「君なしでは僕は/私は何をしたらいいのか?Che farò senza di te?」(男性も女性も使えます)。「大人になったら何をしよう?」は「Che farò da grande?」となります。

もとのギリシャ神話では、愛するエウリディーチェを失ったオルフェオには、彼がこの後どんな女性にもなびかなかったので、トラキアの女たちに八つ裂きにされて川に投げ捨てられるという運命が待っていました。しかし当時のオペラのお約束はハッピーエンド。悲しみのあまりオルフェオが自殺しようとしたところに愛の神がふたたび登場しエウリディーチェを甦らせ、2人の喜びの歌で幕となります。

イタリア新古典主義の彫刻家アントニオ・カノーヴァ(1757-1822)作「オルフェオ」(右)、「エウリディーチェ」
デンマークの画家クリスティアン・ゴットリープ・クランツシュタイン=スタブ(1783-1816)作「オルフェウスとエウリュディケ」

グルックは当時全盛だったバロック・オペラの、込み入った筋、歌の技巧を聴かせることを目的とした装飾過多の音楽などを排除して、劇的表現を求めることによってオペラを改革した作曲家として有名です。《オルフェオとエウリディーチェ》は彼の、改革派としてのオペラ第1弾であり、グルックのオペラの中でも飛び抜けた人気がある作品です。台本作家のデ・カルツァビージが書いたストレートな感情をぶつけた歌詞に、グルックはシンプルこの上ない旋律を与え、その結果生まれた魅力的なアリアは今日でも私たちの心を揺さぶる力を持っています。

演出家ハリー・クプファーが1987年にベルリン・コーミッシェ・オーパーで上演した舞台では、オルフェオの物語を現代に置きかえた。カウンターテナーのヨッヘン・コヴァルスキーの歌と演技も素晴らしく、エポックメイキングになったプロダクション。英国ロイヤル・オペラハウスでの上演が映像になっている
井内美香
井内美香 音楽ライター/オペラ・キュレーター

学習院大学哲学科卒業、同大学院人文科学研究科博士前期課程修了。ミラノ国立大学で音楽学を学ぶ。ミラノ在住のフリーランスとして20年以上の間、オペラに関する執筆、通訳、来...

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