アートを聴く! Vol.3

印象派の絵画と音楽、あるいはルノワールと芸術の“進化”

読みもの
2018.06.06

『アート鑑賞、超入門!』『現代アート、超入門!』等の著作で、読者をアートの世界へ誘うアートライター・藤田令伊さん。毎回さまざまなアート作品から、「絵の中に音楽を聴く」楽しみをご紹介します。今回はルノワールの有名な絵画。ルノワールが印象派と訣別したことによって、何が生まれたのでしょうか。

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藤田令伊 アートライター
藤田令伊
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藤田令伊 アートライター
アートライター、大正大学非常勤講師。単に知識としての「美術」にとどまらず、見る体験としての「美術鑑賞」が鑑賞者をどう育てるかに注目し、楽しみながら人としても成長できる...

“原初的な絵画”と“進化型の絵画”

哲学者で美術評論家のエウヘニオ・ドールスは、絵画の「幅」ということについて語っている。ドールスによれば、絵画とひと口にいっても幅があり、芸術の進化に伴って、“原初的な絵画”もあれば、“進化型の絵画”もあるのだという。

ドールスは、芸術とは建築・彫刻から始まり、中間段階の絵画を経て、最終的には音楽や詩へと至る流れで進化すると考えていた。したがって、ドールスが“原初的な絵画”と位置付けるのは建築や彫刻に近いものである。それに対して“進化型の絵画”とは音楽に近いものである。音楽のように人間のエモーショナルな部分にも働きかけ、鑑賞した人の心を揺さぶり、感情を掻き立てるものが進んだ絵画だとドールスは規定した。

 

絵画と音楽の境界線上にある“印象派”

音楽的な絵であればあるほど進化した絵画だとすれば、思い浮かぶのは印象派の絵であろうか。モネら印象派は、しばしば音楽との関わりで論じられる。

1875年、初めて印象派の絵を見た批評家の感想がフィガロ紙に掲載されている。そこには「ピアノの鍵盤の上を歩く猫が奏でる音楽」のようだと書かれてあり、「猫が奏でる音楽」だからかなりの皮肉が込められているのだが、のちに印象派と呼ばれることになる一群の絵が音楽になぞらえられている点には興味が惹かれる。また、ドールスも印象派の絵の本質とは絵画と音楽の境界線上にあることだと指摘している。

クロード・モネ《Houses of Parliament, London 》(1900~1901、シカゴ美術館)
クロード・モネ《Houses of Parliament, London 》(1900~1901、シカゴ美術館)

実際、モネの絵とドビュッシーの音楽を比べてみると相通じるものがある。たとえば、どちらの表現も「ぼかし」が特徴的である。モネはモチーフの輪郭を明確には描かず、霧や靄、光によっておぼろとなった事物のありさまを好んで描いたし、ドビュッシー(※後述)は一つひとつの和音を明瞭にするよりも、それらを融け合わせるようにして独特の響きを生み出した。たしかに、印象派の絵画は音楽と親和性があるのであり、印象派の絵はまさに“進化型の絵画”なのである。

ルノワールの《ピアノを弾く少女たち》

ところで、ここで一枚の作品を提示してみたい。ルノワールの《ピアノを弾く少女たち》(1892、オルセー美術館)である。

ルノワールの《ピアノを弾く少女たち》(1892、オルセー美術館)
ルノワールの《ピアノを弾く少女たち》(1892、オルセー美術館)

一台のピアノの前に二人の少女がいる。一人は座ってピアノを弾いていて、もう一人は傍らに立ち、ピアノに肘をつきながらポロンポロンというピアノの音に耳を傾けている。一生懸命にピアノに向かう少女の様子は微笑ましく、見る者に幸福感を覚えさせる。全体に赤系と緑系が豊かな色彩のハーモニーを奏でており、温かみと厚みのある雰囲気がよく伝わってくる。まさに豊穣なる音楽的世界の表現といえるだろう。ルノワールの数ある絵のなかでももっとも“鳴っている”ことに、異を唱える人はほとんどいないことだろう。

ルノワールは印象派の画家といわれる。が、ルノワールは印象派の画家であって、印象派の画家ではない。

どういうことかというと、たしかに画業人生の初期にはモネのように原色の絵の具を細かいタッチでキャンバスに置く印象派の手法で描いていた。しかし、1883年頃からルノワールはスランプに陥ってしまう。「印象主義をとことんまで追いつめて行った結果、自分はもう絵を描くこともデッサンすることもできないのではないかという結論に達した」と語っている。ルノワールがスランプから脱するには印象派と訣別するほかなかった。ルノワールは古典的な描き方に戻ることによって、再び絵を描けるようになった。

この見るからに音楽的な《ピアノを弾く少女たち》も、そんな流れのうえで描かれた一枚である。これはもはや印象派の絵ではない。ルノワールはドールスのいう芸術進化の道のりとは異なり、印象派から古典様式へと回帰することによってスランプを脱し、もっとも音楽的な絵を残したのである。それがルノワールにとっての“進化”だった。

見てから定義しないで、定義してから見ていないか?

このことは示唆的である。印象派の絵画は音楽的といわれ、それは一面の事実ではあるだろう。しかし、ルノワールの“進化”を念頭に置くとき、その理解をもってすべてとするのは躊躇われる。すでに触れたように《ピアノを弾く少女たち》はルノワールが印象派の画法を捨てたことで生まれた絵である。けれども、きわめて音楽的である。印象派の絵だから音楽的というのは短絡的な見方なのである。むしろ、マニエリスムやバロックの絵画のほうがオーケストラの荘重な響きに近いかもしれない。

あるジャーナリストは、世の人々のものの見方について、「見てから定義しないで、定義してから見ている」と喝破している。もし、「印象派の絵だから音楽的」という見方をしていたならば、そのときは「定義してから見てい」ないかと自問したほうがよいのだろう。ルノワールのこの一枚は「あなたは誠実に対象と向き合っていますか?」と私たちに問いかけてくるのである。

ちなみに、ドビュッシーは「印象派の音楽家」とレッテルを貼られるのを嫌っていたという。その逸話も何かを物語っているような気がする。

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