リストは冗談ばかり言う先生だった!?——晩年の弟子ゲレリヒが残したメモから紐解く
偉大な作曲家で名ピアニスト、そして名指導者でもあったフランツ・リスト。その素顔は、弟子であり秘書も務めたアウグスト・ゲレリヒがメモした記録から窺い知ることができます。
ここでは、「おやじギャグ」のような冗談やユーモアあふれるレッスンの様子が満載の『師としてのリスト 〜弟子ゲレリヒが伝える素顔のマスタークラス』(ヴィルヘルム・イェーガー編/内藤晃 監修・訳/阿部貴史 共訳/音楽之友社)から、本書の翻訳と監修を担当した内藤晃さんが、エッセンスを抜粋して紹介します!
楽譜やCDの解説多数。フランツ・リストのマスタークラス記録『師としてのリスト〜弟子ゲレリヒが伝える素顔のマスタークラス』(ヴィルヘルム・イェーガー編、音楽之友社)を翻...
脱・音楽院、脱・ライプツィヒ、脱・マカロニ!?
- 《愛の夢 第1番》を51小節まで弾いてくれた。忘れがたい演奏だった。「音楽に陶酔して。現実世界から完全に離れ、あたかもピアノの前に座ってさえいないかのように。ライプツィヒ音楽院みたいに、1、2、3、4と数えながら弾いちゃだめだ」
(1884年6月20日、リスト:《愛の夢 第1番》のレッスン/生徒:グライベル)
- テーマを比類ないニュアンスで弾き、さらに神経質に拍をカウントする感じで、音楽院でありがちな稚拙な弾き方を面白おかしく真似てみせた。
(1884年6月11日、ショパン:バラード第3番のレッスン/生徒:ファン・デル・ザント)
- 「この作曲家は音楽院を卒業できなかったのが明らかだな!」
(1885年6月16日、リスト:《詩的で宗教的な調べ》より〈葬送〉のレッスン/生徒:アンゾルゲ)
- テーマの装飾音符は急いだ感じにならず、雄大に、表情豊かに弾くこと。そうしないとライプツィヒっぽく聴こえてしまう。
(1885年6月20日、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番《皇帝》のレッスン/生徒:ゾートマン)
- パッセージワークでは、スカスカの“マカロニ奏法”ではなく、流麗なフレージングを望んだ。
(1884年6月18日、リスト:フモレスケ〈それゆえ喜べ〉のレッスン/生徒:ライゼナウアー)
アウグスト・ゲレリヒ
1848年にヴァイマールの宮廷楽長に就任、宮廷オーケストラの指揮も務めつつ多くの交響詩を作曲。その後、ローマに移住し神学を学び、1865年にカトリックの僧籍に入る。ヴァイマール時代から弟子の育成に情熱を注ぎ、晩年はヴァイマール、ローマ、ブダペストの3都市を行き来しながら無償でマスタークラスを開いていた。
リストは音楽院を毛嫌いしていました。少年期にパリ音楽院に入学を拒否されたことをずっと根に持っていたのです。
そして、音楽院出身でない自分が、(保守的な音楽院の“先生”に聴かれたら眉をしかめられそうな)斬新な音楽を開拓していることに誇りを持っていました。「この作曲家(自分)は音楽院を卒業できなかったのが明らかだな!」というのは、自虐のように聞こえますが、実は、「音楽院なんかに行かなかったからこそ書けた斬新な曲だ!」というような自負をにじませた発言なのです。
また、リストは、拍のカウントに囚われたような堅苦しい演奏を「ライプツィヒっぽい」と言っていました。時に「音楽院っぽい」という言い方をすることもあり、「ライプツィヒ音楽院」というのは、そのような悪い例の最たるものでしょう。
バッハが活躍した地ライプツィヒは、保守的なイメージがあり、堅苦しさの象徴としてこの地名を使っていたものと思われます(ライプツィヒには、自身の交響詩がかつて受け入れられなかったという因縁もありました)。そして、ライプツィヒっぽくならないよう、装飾的な音符も、歌心をもって奏でることを求めました。
ところで、リストはマカロニが好物で、レンツの回想録にも「マカロニを食べに行きましょう」とリストに誘われる場面が出てきますが、生徒がパッセージワークなどの装飾的な音符群を表面的に演奏すると「マカロニ」と揶揄しました。これは、「マカロニの空洞のようにスカスカな音色だ」ということで、たとえ装飾的な箇所であっても、そこに歌心や生命力という中身を充填するということを求めたのです。
リストのピアノ指導の精神には、「脱・音楽院」「脱・ライプツィヒ」「脱・マカロニ」がつねにありました。
原曲の歌詞を引用しながら音楽のニュアンスを伝える!
- 師匠は〈アンダンテ・ラクリモーソ〉の前に印刷された詩を指し示して、「なにも思い浮かばない時は、どこかから詩をとってくれば万事解決だ。音楽そのものを暗中模索している状態から脱することができる。これがまさに標題音楽をやるということだ!」
(1884年6月9日、リスト:《詩的で宗教的な調べ》より〈アンダンテ・ラクリモーソ〉のレッスン/生徒:ジロティ)
- 「O lieb, so lang du lieben kannst(おお、愛しうる限り愛してください)のフレーズは、重苦しくならず淡々と。愛しうる限り、と言っても、そもそも愛とはそう長続きしないものだからね」
(1884年6月20日、リスト:愛の夢第3番のレッスン/生徒:グライベル)
- 冒頭は単にtraurig(悲しい)な弾き方ではなく、歌詞のように、ich weiß nicht, was soll’s bedeuten, daß ich so traurig bin(なぜだかわからないけれど、とても悲しい)という曖昧な感じで。
(1886年6月21日、リスト:ローレライのレッスン/生徒の名前は不明)
アウグスト・ゲレリヒ
リストは交響詩の創始者であり、標題音楽の推進者でした。
証言の1つめ、「なにも思い浮かばない時は……」というのは、冗談めいた発言に聞こえますが、文学からの霊感によって「音楽そのものを暗中模索している状態から脱する」というのは、紛れもなくリスト自身の実感でしょう。ちなみに、このときのレッスンを受けていたのはラフマニノフの師ジロティです。
リストは詩や文学に霊感を求めた作品を多く作曲していますが、自身の歌曲をピアノ曲にしている例も多く見られます。
2つめと3つめの証言は、原曲の歌詞を引用しながら音楽のニュアンスを伝えている場面で、ピアノを言葉のように語らせるリストの精神があらわれた、実に興味深い発言です。
それにしても、「そもそも愛とはそう長続きしないものだからね」というのは、女性関係の派手だったリストの発言だけに、妙な説得力がありますね。
リストの冗談やユーモアが満載!
- この若い女性は、常に身体を前後にぐらぐら揺らして弾いたので、「あのすばらしいクララ・シューマンですらこんな風に身体を揺らすんだ」と言って、面白おかしく真似をした。
(1884年6月3日、ショパン:ノクターン Op.48-1のレッスン/生徒:フィッシャー)
- 「常に鋭く、リズム感をもって。もたもた弾いたり、右手を鳥の声みたいにガチャガチャさせたら、台無しだ」。右手のパッセージで、鳥がさえずるかのような凡庸な弾き方をユーモラスに真似た。
(1884年6月5日、ショパン:木枯らしのエチュード Op.25-11のレッスン/生徒の名前は不明)
- 高いB♭音が絶えず叩き鳴らされる部分では、「いつも正しくビンタしてやらないとな」と言って、この高いB♭が鳴るたびに、真似できないほどぴったりの動きで、“エア・ビンタ”をした。
(1884年6月5日、ルビンシテイン:ワルツ・カプリスのレッスン/生徒の名前は不明)
アウグスト・ゲレリヒ
リストはユーモア溢れる人柄の持ち主で、悪い演奏を面白おかしく真似たり、冗談を言ったりして生徒たちの笑いをとっていました。1877年にロシアからはるばるヴァイマールのリスト邸を訪問したボロディンが、「リストと生徒たちの関わり方は、くつろいだ気のおけないもので、よくある教授と門下生の形式ばった関係とはかけ離れていた」と証言しています。
とりわけ、(かつてのライバル・ピアニストだった)クララ・シューマンの演奏スタイル(上半身をぐらぐら揺らして弾く)は嫌いだったようで、それを彷彿とさせる演奏を生徒がするたびに、クララの悪口が飛び出しています。
このほか、リストの口からはしばしばドイツ語の「おやじギャグ」が発せられ、訳出にひと苦労しました。ぜひ本で実際にリストのマスタークラスを「聴講」し、その面白く魅力的な人柄に触れてみてください。
レッスンの成果? 弟子たちの演奏を聴いてみよう!
リストの弟子たちによるピアノロール(ピアノ演奏を穿孔で記録した紙製のロール)録音を集成した、極めて貴重なCDをSpotifyで聴くことができます。ここに名を連ねているピアニストたちの多くは、本書のマスタークラス参加者として登場する面々でもあります。
リストの弟子たちによる演奏のピアノロール録音
とりわけ、ハンガリー狂詩曲での豪放かつ即興的な弾きぶりが聴きもので、ベルンハルト・シュターフェンハーゲンの第12番(トラック1)、アルフレート・ライゼナウアーの第10番(トラック11)は必聴の凄演。歌曲トランスクリプションにおける融通無碍な歌い回しも、師の奏でる魔法のようなピアノのDNAが息づいていることを思うと、興味は尽きません。
個人的には、絶妙なアゴーギクが醸し出す、枠にはまらない巨大さ——「ライプツィヒっぽさ」「音楽院っぽさ」の対極や、急速なパッセージにも宿る濃密な生命力——「マカロニ」の対極に、リストのDNAを強く感じます。
こちらは、エミール・フォン・ザウアーがフェリックス・ヴァインガルトナーと共演したリストの協奏曲です。ソリストと指揮者がともにリスト門下ということで、リストのDNAの息づいたきわめて資料的価値の高い録音です。
現在のピアニストの多くが速く弾き飛ばすようなパッセージの隅々まで輝かしい生命力——「マカロニ」の対極が充填されていることに瞠目します。
エミール・フォン・ザウアーのピアノによる、リストの「ピアノ協奏曲」
最後に、個人的に愛してやまないリストの名演をひとつだけ。
クラウディオ・アラウの奏でる〈孤独の中の神の祝福〉(リスト《詩的で宗教的な調べ》より)。アラウは、リスト門下のマルティン・クラウゼに師事していて、リストの孫弟子にあたりますが、ここに聴かれる音楽の包容力には、ただただ圧倒されます。
クラウディオ・アラウのピアノによる、リスト《詩的で宗教的な調べ》より〈孤独の中の神の祝福〉
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