読みもの
2022.12.10
ONTOMO作曲家辞典

メンデルスゾーンの生涯と主要作品

フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディの生涯と主要作品を音楽学者の星野宏美が解説!

音楽之友社
音楽之友社 出版社

昭和16年12月1日創立。東京都新宿区神楽坂で音楽の総合出版、並びに音楽ホール運営事業を行なっています。

フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ
(Jacob Ludwig) Felix Mendelssohn Bartholdy
1809・2・3 ハンブルク―1847・11・4 ライプツィヒ


この記事をシェアする
Twiter
Facebook

文―星野宏美(音楽学者)

続きを読む

メンデルスゾーンの生涯

ユダヤ系名門一族の長男として生まれる

ドイツの作曲家。指揮者,ピアノ奏者,オルガン奏者としても活躍した。

祖父モーゼス(1729-86)は著名な哲学者,父アーブラハム(1776-1835)はドイツ屈指の銀行の共同創業者という,ユダヤ系名門一族の第2子長男として生まれる。母方の曽祖父ダニエル・イツィヒ(1722-99)は,金融業者としてフリードリヒ2世の信望を得た宮廷ユダヤ人であり,その娘のファニー・フォン・アルンシュタイン(1758-1818)やザラ・レヴィ(1761-1854),つまりフェーリクスの大伯母たちは,バッハの息子たちやモーツァルトの重要なパトロンであった。

父は1804年の結婚直後から,ハンブルクにて銀行の拡大を図っていたが,11年,ナポレオン戦争の煽りを受けて,一家は故郷ベルリンに舞い戻る。ドイツ社会により良く同化するため,両親は,フェーリクスを含む4人の子供たちをキリスト教徒として育て,16年にプロテスタントの洗礼を受けさせた。22年には,両親もユダヤ教からキリスト教に改宗した。この頃から一家は,メンデルスゾーンというユダヤ系の姓に,バルトルディというヨーロッパ系の姓を付加し,メンデルスゾーン・バルトルディというダブル・ネームを用いるようになる。

9歳で神童ピアニストとしてデビュー

フェーリクス少年は,母レア(1777-1842)から音楽の手ほどきを受けた後,ピアノとヴァイオリンを専門的に学び,9歳で神童ピアニストとして公開演奏会にデビューした。11歳の時にツェルター主宰のベルリン・ジングアカデミー(市民愛好家による合唱団)に入団し,過去の作曲家の宗教曲を歌うとともに,ベルリンのマリア教会にてオルガンのレッスンも受け始めた。10歳頃から作曲をツェルターに学び,まもなく本格的な作品を生み出す。音楽だけでなく,文学や数学,地理や歴史,絵画やスポーツなど,彼は多方面にわたって高水準の教育を受けた。素描と水彩画の腕前は玄人並みであり,現存する約5000通の手紙は文才にあふれている。

メンデルスゾーンが描いたルツェルンの風景(1847)

17歳で《夏の夜の夢》序曲を作曲

1821年,メンデルスゾーン家恒例となる日曜音楽会が始まる。通常は彼と姉ファニー・メンデルスゾーン・バルトルディのピアノ演奏が中心となり,知人のアンサンブルが加わったが,時には宮廷楽士によるオーケストラも雇われた。公開演奏会でも彼の作品は23年頃からベルリンで,27年頃からはベルリン外でも取り上げられた。23年には,初の出版作品が発表されている。25年,16歳で作曲した弦楽八重奏曲 op.20と翌年の《夏の夜の夢 Ein Sommernachtstraum》序曲 op.21は,音楽史上の最高傑作に数え入れられよう。一方,25年作曲のオペラ《カマーチョの結婚 Die Hochzeit des Camacho》op.10は,27年の初演が不評に終わり,彼は大きな挫折を味わった。27年から4学期,ベルリン大学に在籍し,ヘーゲルの美学講義などを聴講している。29年3月,ジングアカデミーにてバッハ作曲《マタイ受難曲》の復活上演を指揮し,約100年間,一般に忘れ去られていたバッハの宗教曲を蘇らせた。

姉ファニー・メンデルスゾーン

「イタリア」交響曲の初演

メンデルスゾーンは,少年期より旅もよくした。1821年にはツェルターに連れられ,ワイマールのゲーテを訪問し,「最良の弟子」と紹介された。25年,父とのパリ旅行では,ロッシーニやリストらと知り合うとともに,大御所ケルビーニから才能を認められた。29年にはイギリスを単身訪れ,交響曲第1番 op.11などの自作を指揮するとともに,ピアニストとして華麗な演奏を披露した。夏のスコットランド,ウェールズ旅行を経て,12月に一旦帰郷した後,30年5月から32年6月まで,ドイツ,オーストリア,イタリア,スイス,フランス,イギリスの各地を巡る大旅行を行う。旅先の風土に触発されて「イタリア」交響曲 op.90などの着想を得る一方で,ルター派のコラールに基づく宗教曲やゲーテの詩による《最初のワルプルギスの夜 Die erste Walpurgisnacht》op.60など,ドイツ的な作品も多く手掛けた。異国で彼はドイツ人としてのアイデンティティを強く自覚したのだろう。

大旅行から帰郷後,ツェルターの後任としてベルリン・ジングアカデミーの指揮者の地位に応募するものの,1833年1月の選挙で敗退した。5月にはロンドンにて「イタリア」交響曲の初演を,引き続き,デュッセルドルフのニーダーライン音楽祭にて自作とヘンデルのオラトリオ《エジプトのイスラエル人》を指揮し,成功を収めた。33年秋,デュッセルドルフの音楽監督として招聘され,オーケストラと合唱の指揮,カトリック教会での音楽を任される。この地で,オラトリオ《パウロ Paulus》op.36の作曲に集中して取り組んだ。

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者に就任

1835年秋,伝統あるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者に就任する。年20回の定期演奏会のプログラミングを行い,練習を付け,指揮棒を振って本番を統率するという,近代的な指揮の在り方を確立した。楽団員の社会保障の充実に尽力するなど,音楽組織の近代化にも大きな影響を与えた。多忙な演奏会シーズンに対し,夏の休暇の間,彼は作曲に専念するとともに,ヨーロッパ各地へ演奏旅行に赴いた。プライヴェートでは,36年初夏,フランクフルトにて,フランス改革派教会牧師の娘セシル・ジャンルノー(1817-53)と知り合い,翌年結婚した。のちに5人の子供に恵まれている。恋に落ちた頃,歌曲やピアノ曲など,美しい小品の数々を手掛け,公私ともども生活が落ち着いた37-39年頃,3つの弦楽四重奏曲 op.44やピアノ三重奏曲第1番 op.49などの室内楽曲を作曲している。大作としては,ピアノのための協奏的作品(op.40,43)や詩編カンタータ(op.42,46,51)がまず続き,40年代に入ってから,交響曲カンタータ op.52と「スコットランド」交響曲 op.56が,彼の名声を確固たるものとした。

妻セシル

プロイセン音楽総監督に任命

1841年,プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世(在位1840-61)の要請を受け,ベルリンでの仕事を兼務するようになり,ライプツィヒとベルリンを頻繁に往復する生活が始まった。41年7月から42年11月までと,43年11月から44年4月までは,家族と共にベルリンに移住した。42年11月22日,プロイセン音楽総監督に任命される。しかし,プロイセンを一大文化国家にするという王の構想は具体化せず,不満を募らせたメンデルスゾーンは,44年にベルリンから退く。王の命により作曲された作品には,《夏の夜の夢》op.61など,ポツダム新宮殿における古典劇上演のための劇付随音楽,詩編曲(op.78,91他)など,ベルリン大聖堂聖歌隊のための典礼音楽がある。

ザクセン王室楽長に任命、ライプツィヒ音楽院を創設

ベルリン兼務を始めた頃,メンデルスゾーンはまたドレスデンのザクセン王フリードリヒ・アウグスト2世(在位1836-54)との結び付きも深めていた。1841年7月1日には,ザクセン王室楽長に任命される。同時期には,ヴァーグナーがドレスデンで出世を狙っており,2人は互いの存在を強く意識したに違いない。メンデルスゾーンは,ザクセン王から支援を得て,43年4月にライプツィヒ音楽院(現ライプツィヒ音楽・演劇大学)を創設した。教授陣にシューマンやダーヴィト,モシェレスらを迎え,自らも作曲とピアノを教えた。

1844年にベルリンを去った後,フランクフルトとその近郊バート・ゾーデンで1年間を過ごしたのは,公的活動に疲弊し,作曲に集中したいと考えるようになったからである。この静養中の代表作として,有名なヴァイオリン協奏曲 op.64,6つのオルガン・ソナタ op.65が挙げられる。

脳卒中の発作により急逝

1845年晩夏から,再びライプツィヒに定住する。この時から没するまでを過ごした住居が,1997年以来,「メンデルスゾーン・ハウス」という記念博物館になっている。オラトリオ《エリヤ Elias》op.70の作曲に打ち込み,1846年8月,バーミンガム音楽祭にて初演した。ゲヴァントハウスにも復帰するが,47年3月をもって勇退を決意した。47年4,5月に10回目のイギリス演奏旅行を行った帰途,最愛の姉ファニーの急逝の報に接し,大きな衝撃を受ける。バーデン=バーデン,そしてスイスでの夏の休暇中に作曲された3つのモテット op.69の澄み切った美しさ,弦楽四重奏曲ヘ短調 op.80の激しい感情の表出には,彼の新境地が感じ取られる。オラトリオ《キリスト Christus》op.97とオペラ《ローレライ Die Lorelei》op.98の作曲も始められたが,これらの大作は未完に残された。

ライプツィヒに戻った後,10月9日に突如,脳卒中の発作を起こして倒れる。10月末に危篤に陥り,11月4日に息を引き取った。7日にライプツィヒのパウロ教会にて行われた葬儀には,1000人以上が参列したという。遺体は,ベルリンの聖三位一体教会の墓地内,両親と姉の傍らに埋葬された。

メンデルスゾーンの肖像画(1847)

メンデルスゾーン研究の現在

幼少より過去の作曲家の作品に親しみ,通奏低音と対位法を基盤とした作曲レッスンを受けた彼の作品には,古典的な形式とロマン的な感性がバランスよく内在している。歌心にあふれた旋律とその展開法,色彩豊かな和声,そして,繊細な音色を紡ぎ出す見事なオーケストレーションは,ロマン派音楽のひとつの頂点であり,同時代および後世の作曲家に大きな影響を与えた。

最新の研究によると,38年の短い生涯において彼が作曲した作品は750曲を超える。そのうち,存命中に出版されたのは,op.72までの厳選された作品といくつかの小品にすぎない。彼の没後,遺族や知人が中心となり,さらに50曲,op.121までの作品を出版した。

1870年代に編纂された「リーツ版メンデルスゾーン全集(旧全集)」《Felix Mendelssohn Bartholdy’s Werke: Kritisch durchgesehene Ausgabe von Julius Rietz》(1874-77)には,op.番号なしで出版された小品も含め,156曲が収められている。一方,没後150年にあたる1997年に始まった「ライプツィヒ版メンデルスゾーン全集(新全集)」《Leipziger Ausgabe der Werke von Felix Mendelssohn Bartholdy》(1997-2047予定)は,彼の全作品を刊行する壮大なプロジェクトである。完結に先駆け,生誕200年の2009年にはラルフ・ヴェーナーによる《メンデルスゾーン作品総目録 Felix Mendelssohn Bartholdy: Thematisch-systematisches Verzeichnis der musikalischen Werke》(MWV)が出版され,計778曲の作品データ(断片や散逸作品も含む)が明らかにされた。08年にはヘルムート・ロースとヴィルヘルム・ザイデルを編集主幹とする《メンデルスゾーン書簡全集 Felix Mendelssohn Bartholdy: Sämtliche Briefe》の刊行も始まり,17年に完結した。

メンデルスゾーンの主要作品

MWVはヴェーナーによる目録で与えられた作品番号(AからZのジャンル別分類と,その分類内での作曲年代順の番号の組み合わせ)

【オペラ】

《カマーチョの結婚》 MWV-L5  op.10  1824-25改訂26-27 ; 《異国からの帰郷》 MWV-L6  op.89  1829 ; 《ローレライ》 MWV-L7  op.98  1847[未完] 

【付随音楽】

《ルイ・ブラス》 MWV-M11  1839 ; 《アンティゴーネ》 MWV-M12  op.55  1841 ; 《夏の夜の夢》 MWV-M13  op.61  1842-43 ; 《コロノスのエディプス》 MWV-M14  op.93  1842-45 ; 《アタリー》 MWV-M16  op.74  1842-45,その後改訂   

【交響曲】

弦楽のためのシンフォニア : No.1  C  MWV-N1  1821,  No.2  D  MWV-N2  1821,  No.3  e  MWV-N3  1821,  No.4  c  MWV-N4  1821,  No.5  B  MWV-N5  1821,  No.6  Es  MWV-N6  1821,  No.7  d  MWV-N7  1822,  No.8  D  MWV-N8  1822別稿22-23,  No.9  C  MWV-N9  1823,  No.10  h  MWV-N10  1823,  No.11  f  MWV-N11  1823,  No.12  g  MWV-N12  1823 ;  交響曲 : No.1[シンフォニア No.13] c  MWV-N13  op.11  1824一部別稿29,  No.2《賛歌》[→【その他の管弦楽付き宗教的声楽作品】に掲載],  No.3  a《スコットランド》 MWV-N18  op.56  1829-42別稿42,  No.4  A《イタリア》 MWV-N16  op.90  1830-33改訂34-35,  No.5  d《宗教改革》 MWV-N15  op.107  1829-30改訂32   

【序曲】

演奏会用序曲 : No.1  E《夏の夜の夢》 MWV-P3  op.21  1826,  No.2  h《ヘブリディーズ諸島[別名:フィンガルの洞窟]》 MWV-P7  op.26  1829-30改訂32,  No.3  D《静かな海と楽しい航海》 MWV-P5  op.27  1828改訂33-34,  No.4  F《美しいメルジーネの物語》 MWV-P12  op.32  1833改訂35 ; 《トランペット序曲》 C  MWV-P2  op.101  1825-26改訂33 ; 《ルイ・ブラス》 c  MWV-P15  op.95  1839 

【協奏曲】

2台のピアノのための協奏曲 : E  MWV-O5  1823,  As  MWV-O6  1824 ;  ピアノ協奏曲 : No.1  g  MWV-O7  op.25  1830-31,  No.2  d  MWV-O11  op.40  1837 ;  華麗なるカプリッチョ  h  MWV-O8  op.22(p, orch) 1832 ;  華麗なるロンド  Es  MWV-O10  op.29(p, orch) 1833-34 ;  セレナードとアレグロ・ジョジョーソ  h/D  MWV-O12  op.43(p, orch) 1838 ;  ヴァイオリン協奏曲  e  MWV-O14  op.64  1838-44  

【ピアノを伴う室内楽曲】

六重奏曲  D  MWV-Q16  op.110(vn, 2va, vc, cb, p) 1824 ;  四重奏曲 : No.1  c  MWV-Q11  op.1  1822,  No.2  f  MWV-Q13  op.2  1823-24,  No.3  h  MWV-Q17  op.3  1824-25 ;  三重奏曲 : No.1  d  MWV-Q29  op.49  1839別稿同年,  No.2  c  MWV-Q33  op.66  1845 ;  演奏会用小品 : f  MWV-Q23  op.113(cl, バセットhrn, p) 1832管弦楽稿33,  d  MWV-Q24  op.114(cl, バセットhrn, p) 1833 ;  ヴァイオリン・ソナタ : f  MWV-Q12  op.4  1823,  F  MWV-Q26  1838 ;  ヴィオラ・ソナタ  c  MWV-Q14  1823-24 ;  チェロ・ソナタ : B  MWV-Q27  op.45  1838,  D  MWV-Q32  op.58  1841-43 ;  協奏的変奏曲  D  MWV-Q19  op.17(vc, p) 1829 ;  無言歌  D  MWV-Q34  op.109(vc, p) 1845または47 ;  クラリネット・ソナタ  Es  MWV-Q15  1824 ;  夕べの鐘  B  MWV-Q20(hp, p) 1829 

【ピアノを伴わない室内楽曲】

弦楽八重奏曲  Es  MWV-R20  op.20(4vn, 2va, 2vc) 1825 ;  弦楽五重奏曲 : A  MWV-R21  op.18  1826,  B  MWV-R33  op.87  1845 ;  弦楽四重奏曲 : a  MWV-R22  op.13  1827,  Es  MWV-R25  op.12  1829,  f  MWV-R37  op.80  1847 ;  3つの弦楽四重奏曲  op.44(1.D  MWV-R30  2.e  R26  3.Es  R28) 1837-38 ;  弦楽四重奏のための4つの小品  op.81(1.E  MWV-R34  2.a  R35  3.e  R32  4.Es  R23) 1827-47  

【ピアノ連弾曲】

デュエット《アレグロ・ブリランテ》 A  MWV-T4  op.92  1841  

【ピアノ曲】

ピアノ・ソナタ : a  MWV-U8  1820,  e  MWV-U19  1820,  f  MWV-U23  1820,  g  MWV-U30  op.105  1821,  E  MWV-U54  op.6  1826,  B  MWV-U64  op.106  1827 ; 《無言歌集》: 第1集  op.19b(1.E  MWV-U86  2.a  U80  3.狩人の歌  A  U89  4.A  U73  5.fis  U90  6.ヴェネツィアの舟歌  g  U78) 1829-32,  第2集  op.30(1.Es  MWV-U103  2.b  U77  3.E  U104  4.h  U98  5.D  U97  6. ヴェネツィアの舟歌  fis  U110) 1830-35,  第3集  op.38(1.Es  MWV-U121  2.c  U115  3.E  U107  4.A  U120  5.a  U137  6.デュエット  As  U119) 1835-37,  第4集  op.53(1.As  MWV-U143  2.Es  U109  3.舟歌  g  U144  4.もうひとつの夕べの歌  F  U114  5.民謡  a  U153  6.A  U154) 1835-41,  第5集  op.62(1.G  MWV-U185  2.B  U181  3.葬送行進曲  e  U177  4.G  U175  5.ヴェネツィアの舟歌  a  U151  6.春の歌  A  U161) 1841-44,  第6集  op.67(1.Es  MWV-U180  2.fis  U145  3.B  U102  4.紡ぎ歌  C  U182  5.h  U184  6.E  U188) 1834-44,  第7集  op.85(1.F  MWV-U189  2.a  U101  3.Es  U111  4.D  U190  5.A  U191  6.B  U155) 1834-45,  第8集  op.102(1.e  MWV-U162  2.D  U192  3.子供の小品  C  U195  4.g  U152  5.子供の小品  A  U194  6.C  U172) 1841-45 ;  カプリッチョ  fis  MWV-U50  op.5  1825 ;  7つの性格的小品  op.7(1.e  MWV-U56  2.h  U44  3.D  U59  4.A  U55  5.A  U60  6.e  U61  7.E  U62) 1824-27 ;  ロンド・カプリッチョーソ  E  MWV-U67  op.14  1828 ;  3つの幻想曲またはカプリス  op.16(1.ばらとカプリス  A  MWV-U70  2.スケルツォ  e  U71  3.小川にて  E  U72) 1829 ; 《夏の名残のばら》による幻想曲  E  MWV-U74  op.15  1830以前 ;  アンダンテ  A  MWV-U76  1830 ;  幻想曲《スコットランド風ソナタ》 fis  MWV-U92  op.28  1833 ;  3つのカプリス  op.33(1.a  MWV-U99  2.E  U112  3.b  U95) 1833-35 ;  カプリッチョ風スケルツォ  fis  MWV-U113  1835 ;  3つの前奏曲  op.104a(1.B  MWV-U132  2.h  U123  3.D  U127) 1836 ;  3つの練習曲  op.104b(1.b  MWV-U117  2.F  U100  3.a  U142) 1834-38 ;  アレグロ《アルバムの綴り》 e  MWV-U134  op.117  1836または37 ;  6つの前奏曲とフーガ  op.35(1.e  MWV-U116[前奏曲],U66[フーガ] 2.D  U129,U105  3.h  U131,U91  4.As  U122,U108  5.f  U126,U106  6.B  U135,U128) 1831-37 ;  舟歌  A  MWV-U136  1837 ;  アンダンテとアレグロ《カプリッチョ》 E/e  MWV-U139  op.118  1837 ;  アンダンテ・カンタービレとプレスト・アジタート  H/h  MWV-U141  1838 ;  17の厳格な変奏曲  d  MWV-U156  op.54  1841 ;  変奏曲《アンダンテ・アッサイ・エスプレッシーヴォ》 Es  MWV-U158  op.82  1841 ;  変奏曲《アンダンテ・トランクイッロ》 B  MWV-U159  op.83  1841 ;  6つの子供の小品  op.72(1.G  MWV-U171  2.Es  U170  3.G  U164  4.D  U169  5.g  U166  6.F  U168) 1842   

【オルガン曲】

3つの前奏曲とフーガ  op.37(1.c  MWV-W21[前奏曲],W18[フーガ] 2.G  W22,W20  3.d  W23,W13) 1833-37 ;  6つのオルガン・ソナタ  op.65(1.f  MWV-W56  2.c  W57  3.A  W58  4.B  W59  5.D  W60  6.d  W61) 1829-45

【オラトリオ】

《パウロ》 MWV-A14  op.36  1832-36 ; 《エリヤ》 MWV-A25  op.70  1845-46改訂47 ; 《キリスト》 MWV-A26  op.97  1847[未完]

【その他の管弦楽付き宗教的声楽作品】

詩編カンタータ : 詩編42《鹿が谷川を慕いあえぐように》 MWV-A15  op.42(独唱, cho, orch, org) 1837,  詩編95《主に向かって喜び歌おう》 MWV-A16  op.46(独唱, cho, orch, org) 1838改訂39,41,  詩編114《イスラエルはエジプトを》 MWV-A17  op.51(cho, orch, org) 1839改訂40,  詩編98《新しい歌を主に向かって歌え》 MWV-A23  op.91(2cho, orch, org) 1843 ;  交響的カンタータ《賛歌》 MWV-A18  op.52(2S, T, cho, orch, org) 1840別稿同年 ;  アンセム《主よ,私を助けてください》 MWV-A19  op.96(A/Ms, cho, orch) 1842-43 ;  シオンよ,主をほめたたえよ  MWV-A24  op.73(独唱, cho, orch) 1845-46別稿46

 

【小規模編成の宗教的声楽作品】

3つの宗教曲  op.39(女声cho, org  1.主よ,来てください  MWV-B24  2.しもべらよ,賛美せよ  B30  3.羊飼いが復活された  B23) 1830-38 ;  レスポンソリウムと賛歌《主よ,われらのことを心に留めてください[晩課の歌]》 MWV-B26  op.121(男声cho, 通奏低音) 1833 ;  主よ,われらを憐れんでください  MWV-B27(無伴奏cho/org伴奏) 1833 ;  詩編5《主よ,私の言葉に耳を傾けてください》 MWV-B31(無伴奏cho) 1839 ;  3つの詩編  op.78(独唱, 無伴奏cho  1.詩編2《なにゆえ,国々は騒ぎ立ち》 MWV-B41  2.詩編43《神よ,あなたの裁きを望みます》 B46  3.詩編22《私の神よ,私の神よ,なぜ私をお見捨てになるのか》 B51) 1843-44改訂45 ;  6つの箴言  op.79(無伴奏cho  1.降誕祭に  MWV-B42  2.元日に  B44  3.昇天日に  B55  4.受難節に  B50  5.待降節に  B54  6.受難日に  B52) 1843-46 ;  3つのモテット  op.69(独唱, 無伴奏cho/org伴奏  1.主よ,今こそこのしもべを  MWV-B60  2.主にあって喜べ  B58  3.私の魂は主をあがめ  B59) 1847

【管弦楽付き世俗的声楽作品】

バラード《最初のワルプルギスの夜》 MWV-D3  op.60(独唱, cho, orch) 1830-32改訂40-43 ;  祝祭歌 :《グーテンベルク・カンタータ》 MWV-D4(男声cho, 2金管orch) 1840, 《芸術家へ》 MWV-D6  op.68(男声独唱, 男声cho, 金管orch) 1846 

【無伴奏混声合唱曲】

6つの4声の歌 :《野に歌う  第1集》 op.41(1.森で  MWV-F10  2.ハイネの詩による3つの民謡より第1曲  F4  3.第2曲  F5  4.第3曲  F6  5.5月の歌  F7  6.湖上で  F9) 1834-38, 《野に歌う  第2集》 op.48(1.春の兆し  F14  2.桜草  F16  3.春の祭り  F18  4.ひばりの歌  F13  5.朝の祈り  F15  6.秋の歌  F17) 1839, 《野に歌う  第3集》 op.59(1.緑の中に  F8  2.早春  F23  3.森への別れ  F20  4.夜鳴きうぐいす  F24  5.憩いの谷  F21  6.狩りの歌  F22) 1837-43, 《第4集》 op.88(1.新年の歌  F28  2.幸せ者  F27  3.羊飼いの歌  F12  4.森の小鳥  F25  5.ドイツ  F33  6.さすらいの楽師  F19) 1839-47 ;  4つの4声の歌 《第5集》 op.100(1.思い出  MWV-F29  2.春をたたえて  F26  3.春の歌  F30  4.森で  F11) 1839-44 ;  葬送の歌  MWV-F31  op.116  1845

【無伴奏男声合唱曲】

6つの歌  op.50(1.トルコ人の酒の歌  MWV-G23  2.狩人の別れ  G27  3.夏の歌  G19  4.舟旅  G17  5.恋と酒  G26  6.さすらいの歌  G28) 1837-40 ;  4つの歌  op.75(1.陽気なさすらい人  MWV-G34  2.セレナード  G24  3.酒宴の歌  G15  4.別れの宴  G33) 1837-44 ;  4つの歌  op.76(1.勇敢な男の歌  MWV-G16  2.ラインの酒の歌  G35  3.リヨンのドイツ人のための歌  G36  4.歓送  G38) 1837-47 ;  4つの歌  op.120(1.狩りの歌  MWV-G21  2.テューリンゲン合唱団の朝の挨拶  G37  3.南国にて  G20  4.ジプシーの歌  G5) 1820年代-47

【二重唱曲】

3つの民謡(1.民謡  MWV-J1  2.夕べの歌  J2  3.舟旅  J3) 1836 ;  6つの二重唱曲  op.63(1.わが願いはこの愛すべてを  MWV-J5  2.渡り鳥の別れの歌  J9  3.挨拶  J8  4.秋の歌  J11  5.民謡  J10  6.すずらんと花々  J7) 1836以前-44 ;  3つの二重唱曲  op.77(1.日曜の歌  MWV-J4  2.実りの畑  J12  3.《ルイ・ブラス》の歌  J6) 1836-47 

【歌曲】

 12の歌  op.8(1. 5月の愛の歌  MWV-K30  4.刈り入れの歌  K37  5.巡礼者の格言  K31  6.春の歌  K17  7. 5月の歌  K32  8.もうひとつの5月の歌  K33  9.夕べの歌  K34  10.ロマンス  K35  11.緑の中で  K36 [2,3,12はファニーの作曲]) 1824-27 ;  12の歌  op.9(1.問い  MWV-K39  2.告白  K41  3.ロマンス――待ちわびて  K42  4.春に  K52  5.秋に  K38  6.別れ行きつつ  K50  8.春の信仰  K51  9.遠いところ  K53  11.あきらめ  K54 [7,10,12はファニーの作曲]) 1827-30 ;  6つの歌  op.19a(1.春の歌  MWV-K56  2.最初のすみれ  K63  3.冬の歌  K72  4.新しい愛  K70  5.挨拶  K71  6.旅の歌  K65) 1830-32 ;  6つの歌  op.34(1.愛の歌  MWV-K80  2.歌の翼に  K86  3.春の歌  K89  4.ズライカ  K92  5.日曜の歌  K84  6.旅の歌  K90) 1834-37 ;  6つの歌  op.47(1.愛の歌  MWV-K97  2.朝の挨拶  K100  3.春の歌  K101  4.民謡  K102  5.花束  K73  6.ゆりかごのそばで  K77) 1832-39 ;  6つの歌  op.57(1.古いドイツの歌  MWV-K104  2.羊飼いの歌  K103  3.ズライカ  K93  4.おお若者よ,美しいばら色の時間よ  K106  5.ヴェネツィアの舟歌  K114  6.さすらいの歌  K108) 1837-42 ;  6つの歌  op.71(1.慰め  MWV-K120  2.春の歌  K119  3.遠く離れた人に  K126  4.葦の歌  K116  5.旅立ちに際して  K124  6.夜の歌  K125) 1842-47 ;  低声のための3つの歌  op.84(1.消失[私は木陰に横たわっている] MWV-K69  2.秋の歌  K99  3.狩りの歌  K82) 1831-39 ;  6つの歌  op.86(1.窓[木の葉が聞き耳を立てていた] MWV-K29  2.朝の歌  K123  3.恋する女の手紙  K66  4.夜ごとの夢に  K78  5.月  K122  6.古いドイツの春の歌  K127) 1826-47 ;  6つの歌  op.99(1.最初の喪失  MWV-K110  2.星が見ている  K19  3.好きな場所  K61  4.小舟  K109  5.別れ[ふたつの心が離れる時] K121  6.静寂  K112) 1824-45

音楽之友社
音楽之友社 出版社

昭和16年12月1日創立。東京都新宿区神楽坂で音楽の総合出版、並びに音楽ホール運営事業を行なっています。

ONTOMOの更新情報を1~2週間に1度まとめてお知らせします!

更新情報をSNSでチェック
ページのトップへ