音楽を奏でる絵#2 ドガの絵が伝える パリ・オペラ座の歴史的ドキュメント
西洋美術の歴史の中から音楽の情景が描かれた作品を選び、背景に潜む画家と音楽の関係、芸術家たちの交流、当時の音楽社会を探っていく連載。第2回はドガ。親友が楽団員だったことからパリ・オペラ座に通い詰め、作品の半数近くがオペラ座内を描いているといわれます。ドガの絵から、当時のオペラの舞台や音楽家の姿を想像してみましょう。
桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学ピアノ科(江戸京子氏に師事)を経て、コロンビア大学教養学部卒業(音楽、美術史を専攻)。マンハッタン音楽院でピアノ、イエール大学大学...
絵画作品は貴重な歴史ドキュメントであり、写真が普及する以前はとくにその意味合いが大きい。ドガの視点や画法を読み解きながら鑑賞し、当時の舞台公演や音楽家を想像してみよう。
エドガー・ドガ(1834-1917)は、ル・ペルティエ通りにあったサル・ル・ペルティエ(1821年開場、1873年焼失)とガルニエ宮(1875年落成)に頻繁に通い、作品の半数近くがパリ・オペラ座内を描いている。
1.「オペラ座のオーケストラ」~オケ・ピットに友人たち集合の肖像画
銀行家であったドガの父親は音楽愛好家で、自宅にプロやアマチュアの音楽家を招いて音楽の夕べを毎週催していた。そこで親しくしていたバスーン(ファゴット)奏者のデジレ・ディオーがオペラ座の楽団員であったことから、ドガのオペラ座通いが始まり、音楽家たちを描くようになる。ノートに「楽器と器楽奏者のシリーズ:ヴァイオリニストの手、腕、首の小刻みな動き;バスーン奏者、オーボエ奏者などの息を吹く頬」などを記録した。
絵の中央でバスーンを吹くのがディオー、左にチェロ奏者ピレ、右にコントラバス奏者グーフェ、その他フルート奏者のアルテス、歌手でギター奏者のパガン(ヴァイオリニストたちに混じってハープの右隣)、画家のピオ=ノルマン(ヴァイオリンを弾く姿で表されている)など、団員ではない友人たちまで描き入れている。左上の桟敷席から小さく顔を覗かせるのは、作曲家のシャブリエ。
登場人数から考えると、実際の団員数より少人数の編成になる比率の画面である。演奏に集中する各奏者の顔の表情や楽器を持つ体勢を緻密に捉え、集団における個々の肖像画とも言えるだろう。
最初は親友ディオー単独の肖像画を描くつもりだったこともあり、オーケストラの中では後部席に座る彼を、中央前列に配して構図を考え始めたのだろう。バスーン、コントラバス、チェロなど、低音に厚みを出して深く響かせる楽器を前列に、高音域の楽器を奥にして編成を大胆に並べ替え、「編曲」している。
手前に描いた黒や茶といったダークな色の音楽家集団から、パステル色の薄い生地の衣装で舞う踊り子の浮遊感を奥に配している画面。音の重量感の遠近法といった遊び心であろうか。
2.「歌劇『悪魔のロベール』第3幕のバレエ場面」~画家の目から見た大ヒット舞台
1830年の7月革命後に台頭したブルジョワジーが観客の中心になる頃、歌劇場ではグランド・オペラが花開く。4幕または5幕の大掛かりな構成、大規模なオーケストラや合唱、華麗なバレエ・シーン、凝った舞台演出など、壮大なスペクタクルが後のオペラ創作の流れに大きな影響を与えた。
マイヤベーアの最初のグランド・オペラ「悪魔のロベール*」は、1831年11月21日に初演されてから1893年8月末までに、パリ・オペラ座で754回(1869、1875、1880年以外毎年)上演されたヒット作。ベルリンで260回(1906年まで)、ウィーンで111回(1921年まで)など欧州主要都市の他、世界各地でも上演された当時の話題作だ。
*悪魔のロベール:マイヤベーアの5幕のオペラ。E.スクリーブとG.ドラヴィーニュのフランス語台本による。1831年パリで初演。13世紀パレルモでの、悪魔を父親にもったノルマンディ公ロベールの物語
▼マイヤベーア:悪魔のロベール
1832年から1880年の間に、160以上もの編曲が書かれたことも、その人気を物語る。編曲の中には、リストやタールベルクが鍵盤技巧で華やかに装飾した独奏曲、ショパンがチェロ奏者フランコムと書いた二重奏曲、管弦楽曲や吹奏楽曲も含まれて多種多様だ。
▼リスト:マイアベーアのオペラ「悪魔のロベール」の回想
▼ショパン=フランショーム:チェロとピアノのための「マイアベーアの『悪魔のロベール』の主題による協奏的大二重奏曲 ホ長調」※トラック11~13
オペラ鑑賞後に邸宅で一人、あるいは二人の合奏で余韻を楽しむ、歌劇場で鑑賞できなくても部分的に味わう、超絶技巧で楽器の可能性を聴衆に披露するなど、オペラを原曲にした編曲が流行した19世紀。「悪魔のロベール」は、数多くの作曲家が編曲、変奏曲、幻想曲、追想として書きたくなる作品だったのだ。
ドガが描いたのは、初演から40年以上経ちながらも再演が続いた「悪魔のロベール」第3幕第2場のバレエ場面。進歩した人工照明による演出効果や、明暗の対比で衣装が浮かび上がる幻想的な霊界シーンに絵心がそそられたのだろう。
修道院の廃墟で純潔の誓いを破った修道女たちが、悪魔に取り憑かれて墓から蘇り、主人公を踊りで誘惑する場面。フットライトが下から不気味に照らし、逆光で浮かび上がる建築物の影の背景。ヴェールを覆ったダンサーたちが死霊として踊る姿が、ぼかした筆致で描かれる。
白い衣装で舞う非現実的な世界は、白いチュチュやトウシューズの爪先立ちで踊る群舞が特徴の、ロマンティック・バレエの先駆けでもあった。光と影が織り成す幻想的な情景。オーケストラ席では譜面台ランプで照らされた楽譜が、舞台下で絵にアクセントを加えている。
これら3枚の素描画は、バレエの稽古やレッスン中の踊り子たちに伴奏を付けるヴァイオリニストを単独で描き出したもの。
踊り子や競走馬の絵を多く描いたように、ドガの素描画には鍛錬された動きへの彼の探究心が反映されている。これらの習作からは、奏者の姿勢や楽器を持つ左腕の位置に関する試行錯誤などが伺える。右手の運弓の敏速な動きなど、音を発する動きを注視しているのが分かる。
ドガはオペラ座で素早く描いたスケッチに、色彩や明暗効果などをメモした。「明かりによって鮮やかに照らされた馬の毛の弓」といった言葉づかいは、馬も多く描いたドガらしく、弦楽器の発音源を見つめる眼差しを感じさせる。
3.「コーラス」~「ドン・ジョヴァンニ」の歌手たちのリアルな描写
これはドガが描いたオペラ絵画のうち、踊り子が含まれていない唯一の作品。2009年マルセイユのカンティニ美術館における企画展に貸し出された際、盗難に遭った。しかし、2018年にパリ近郊の高速道路沿いで抜き打ち検査が行なわれ、税関警察がバスから9年ぶりに無傷で発見した経緯がある。
ドガが、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」の一場面を描いたパステル画である。
フットライトの強い光を浴びて並ぶ歌手たちの戯画化されたような顔の描写は、ドガも愛した風刺画家ドーミエの作風が引き合いに出されることがある。
当時の批評家は「あらん限りの声を発し、ぞっとするほどリアルではないか」と述べている。一人ひとりが懸命に開いている口や、手を客席に伸ばしたり胸に当てるジェスチャーからは、クライマックスへの高揚感が聞こえてきそうだ。
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly