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2025.12.24
音楽を奏でる絵 #10(最終回)

【音楽を奏でる絵】カンディンスキー「色彩の音楽」とシェーンベルク、同時代の作曲家

西洋美術の歴史の中から音楽の情景が描かれた作品を選び、背景に潜む画家と音楽の関係、芸術家たちの交流、当時の音楽社会を探っていく連載。最終回は、創作の根底に音楽の思索が流れるワシリー・カンディンスキー。パリで開かれた展覧会に沿って、同時代の音楽に大きな刺激を受けた彼の探求の道をたどっていきましょう。

野々山 順子
野々山 順子 音楽/美術ライター

桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学ピアノ科(江戸京子氏に師事)を経て、コロンビア大学教養学部卒業(音楽、美術史を専攻)。マンハッタン音楽院でピアノ、イエール大学大学...

カンディンスキー 「黄・赤・青」(1925年、国立近代美術館ポンピドゥー・センター所蔵)

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フィルハーモニー・ド・パリの音楽博物館で「カンディンスキー:色彩の音楽」と題した展覧会が企画され、2026年2月1日まで開催中だ。抽象絵画の騎手ワシリー・カンディンスキー(1866−1944)の創作の根底には、音楽の思索が流れている。世界有数のカンディンスキー・コレクションを有するポンピドゥー・センター(改修のため閉館中)との共同企画による本展では、絵画、素描、楽譜、レコード、書籍、アトリエの品など200品近くが展示。音楽と美術にかかわる両館の、共同制作による展覧会を訪ねてみよう。

フィルハーモニー・ド・パリの前(筆者撮影)

入館者に渡されるヘッドホンは、展示館内の位置を認識し、自動的に耳から聞こえる音楽が変わる仕組み。初めに、1896年にカンディンスキーがモスクワで聴いたワーグナーの《ローエングリン》より「第1幕への前奏曲」で迎え入れられた。

ワーグナー《ローエングリン》第1幕への前奏曲

回想録で画家は、1896年のモスクワでの二つの出会い、印象派展のモネの「積み藁」とワーグナーの《ローエングリン》から、芸術の力に感銘を受けたと述べている。30歳の彼は、法律の教職から美術に専念するためにミュンヘンへ移る。

1. 「インプレッションIII(コンサート)」 ~シェーンベルクの音楽に出会った衝撃

カンディンスキー「インプレッションIII(コンサート)」(1911年、レンバッハハウス美術館所蔵)

1911年1月2日ミュンヘンで、カンディンスキーは友人らとシェーンベルクの音楽会に行く。

1911年1月2日のシェーンベルク作品の演奏会プログラム(アルノルト・シェーンベルク・センター所蔵)

シェーンベルクが開拓する無調音楽に衝撃を受け、ただちに素描を書き絵画にしたのが「インプレッションIII(コンサート)」。聴衆を囲むような黄色とグランドピアノを連想させる黒色の対比が、斬新な音響の刺激と描き手の鮮烈な印象を伝えるようだ。

シェーンベルク「弦楽四重奏曲第2番 第1楽章」

それまで面識がなかった作曲家に宛てて、カンディンスキーは筆をとる。1月18日付けの手紙が展示されていた。

左にカンディンスキーの手紙、右にシェーンベルクの手紙

「……貴方の作品における各声部の、必然的に導かれる自律的な進行、独自の生気は、まさしく私も絵画の形で見出そうとしているものです……絵画や音楽における『今日』の不協和音は、『明日』の協和音に他ならないのです……私は同じような考えを貴方も抱いていることを知り、とても嬉しく思っています……」

1月24日付けの手紙で、シェーンベルクはカンディンスキーに応える。

「貴方の手紙をたいへん嬉しく読ませていただきました。私の作品はしばらくの間大衆の評判を得ることができていません、しかし私を理解してくださる貴き個々の人に確かに届くようです。異なる芸術の方が共通性を見出してくださることは、アーティストとして大きな喜びです。」

1911年にカンディンスキーがシェーンベルクに送った写真(アルノルト・シェーンベルク・センター所蔵)
1911年12月12日付、カンディンスキー宛てに送られたシェーンベルクの写真(国立近代美術館ポンピドゥー・センター所蔵)

ミュンヘンでカンディンスキーが1911年から主宰した前衛芸術家グループ「青騎士」の年刊誌に、シェーンベルクは曲、論文と絵を寄稿する。シェーンベルクは1911年に『和声学』を出版し、カンディンスキーは1912年に『芸術における精神的なもの』を上梓した。革新的な芸術の理論と実践の同志として、2人は具象から脱却した抽象絵画と調性から解放された無調音楽を追求し続けた。

「色彩は魂に直接的な影響を与える手段である。色彩は鍵盤、眼はハンマー、魂は多くの弦が張られたピアノである。画家はあれこれの鍵盤を弾いて、人間の魂を振動させる手である。」(『芸術における精神的なもの』より)

2. 「万聖節I」~終末論からの芸術的な再生

カンディンスキー 「万聖節I」(1911年、レンバッハハウス美術館所蔵)

カンディンスキーがモチーフの具象的な形態を排除し、鮮やかな色彩で精神性を表現するようになる1910年代の作品鑑賞を続けると、会場でスクリャービンの広大無辺な音楽が流れてきた。

スクリャービンは色と音の共感覚を説いた作曲家だが、カンディンスキーは彼の楽譜も所有し、関心を抱いていた。

▼スクリャービン「法悦の詩」作品54(1907)

20世紀初頭の混沌とした社会情勢の中で前衛運動は、聖書の黙示録で説かれる終末論の芸術的な破壊と再生、という象徴的な見方もされていた。

カンディンスキーが1910年からそのような題材も取りあげた作品集の中の一つが「万聖節I」だ。非具象の画風を強めた時期のキャンバス左上を見ると、天使がトランペットを高らかに轟かせている。画家が願う、破壊の後に来る新たな創造の讃歌を示唆するとも解釈される。

3.「フーガ」~音楽の有機的なダイナミズム

カンディンスキー 「フーガ」 (1914年、バイエラー財団所蔵)

「フーガ」のセクションでは、パウル・クレー、フランティセック・クプカなどの同タイトルの絵と並べた展示が行なわれていた。ほかの画家と比較して顕著なのは、カンディンスキーの主張が強く、躍動的な画面だ。

細胞のような形態が、明暗が対照的な色彩で並行したり絡み合ったりするように描かれ、遠近法とは違う三次元の効果を生み出している。主題が多様な声部で重奏的に再現されるフーガの、有機的なダイナミズムを彷彿させる。

展覧会企画者がここで選んだ音楽は、ウェーベルンがバッハ《音楽の捧げもの》の「6声のリチェルカーレ」(フーガ)を管弦楽のために編曲した「リチェルカータ」。

J.S.バッハ/A.ウェーベルン 音楽の捧げものBWV1079より「リチェルカータ(6声のフーガ)」(1935)

4. 「展覧会の絵」~舞台作品への試み

ムソルグスキー《展覧会の絵》舞台セットのデッサン 第16場:キエフの大門(1928年、国立近代美術館ポンピドゥー・センター所蔵)

カンディンスキーは1922年から33年まで教鞭をとりながら創作したバウハウスで、クレーをはじめ舞踏家など多分野の芸術家たちと親交を深めた。

1928年にデッサウで舞台化された、ムソルグスキー《展覧会の絵》のデッサンも展示。ムソルグスキーが友人の絵に触発されて1874年に作曲し、ラヴェルが1922年に管弦楽化したこの名曲で、カンディンスキーは舞台美術を試みたのである。

左の壁面に《展覧会の絵》舞台セットのデッサン集、右手前のスクリーンに映し出された「第16場:キエフの大門」
「第2場:小人」舞台セットの再現

▼ムソルグスキー:展覧会の絵(トラック1~15)

 

5. 「コンポジション」~交響曲的な構築を描く

カンディンスキー「コンポジションVIII」 (1923年、グッゲンハイム美術館所蔵)
カンディンスキー「コンポジションX」(1939年、ライン=ヴェストファーレン州立美術館所蔵) 

タイトルについてカンディンスキーは、「印象」は外的現象の印象からインスパイアされたもの、「即興」は内面の自発的な反応からのもの、「コンポジション」は入念な「交響曲的な構築」と述べている。「コンポジション」は1910年から39年にわたって10作品描き、シリーズ最後の3作が本展のフィナーレとなっていた。

同時代の音楽として会場で流れたのは、ベルクのヴァイオリン協奏曲《ある天使の思い出に》。バウハウスの創始者でもある建築家グロビウスの、18歳で早世した娘に献呈されている。

▼ベルク:ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」(1935)~第2楽章

抽象画の大家カンディンスキーが奏でる躍動感溢れるキャンバス。画家が芸術の本質と考えた「内なる響き」を、パリの来館者のように目と耳で鑑賞してみよう

「世界は響きに満ちている。

それは魂の行動から成るコスモス。」

 

(カンディンスキー『回想』より)

野々山 順子
野々山 順子 音楽/美術ライター

桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学ピアノ科(江戸京子氏に師事)を経て、コロンビア大学教養学部卒業(音楽、美術史を専攻)。マンハッタン音楽院でピアノ、イエール大学大学...

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