パリ・オリンピック2024 競技会場でフランス音楽史めぐり
2024年7月26日~8月11日まで開催されるパリ・オリンピック。パリでの開催は100年ぶり、3回目となります。競技会場にはパリの名所がズラリ! そこにはもちろん、音楽の歴史も息づいています。フランス音楽がご専門の井上さつきさんが、会場となった場所の歴史と所縁の音楽を教えてくれました。
愛知県立芸術大学名誉教授。東京藝術大学大学院修了。論文博士。パリ・ソルボンヌ大学修士課程修了。専門は近代フランス音楽史、万国博覧会史、日本の洋楽器受容史。著書に 『パ...
7月から始まるパリ・オリンピックでは、数々の歴史的文化遺産が競技会場となる。音楽史にも登場するスポットだ。そのいくつかを見ていこう。
【ヴェルサイユ】貴族のたしなみ 乗馬に音楽はつきもの
オリンピック競技:馬術、近代五種
まず、馬術や近代五種の会場として使用されるパリ近郊のヴェルサイユ宮殿。太陽王と呼ばれたルイ14世が17世紀後半に作った豪華な宮殿と広大な庭園だ。
ルイ14世は大の狩猟好きで、当時、乗馬は貴族の重要なたしなみの一つであったことから、馬の世話をする「エキュリ」という部署は宮廷でもとくに重要な位置を占めていた。
この部署には馬の世話をする要員のほかに、音楽家たちも所属していた。彼らの仕事は、原則として野外で行なわれる行事で音楽を演奏すること。狩りはもちろん、野外の祝典、それから、屋内で行なわれる演奏にも、礼拝堂でのグラン・モテ*の演奏やオペラ上演の際のオーケストラにも要請があれば協力した。
*グラン・モテ:旧約聖書の詩編を歌詞とした、独唱、重唱、合唱、管弦楽による劇的な教会音楽。宮廷のミサで演奏された
「エキュリ」の音楽メンバーにはトランペットや笛太鼓、オーボエやファゴットなど、音が大きく、屋外でも聞こえやすい楽器が選ばれていた。オトテール家やフィリドール家などいくつかの有名な一族がこの「エキュリ」のポストを代々継承していた。
▼ルイ14世に仕えた音楽家アンドレ・ダニカン・フィリドール:3つの高音部オーボエのための王の行進曲
【コンコルド広場】革命歌《ラ・マルセイエーズ》が響いた場所
オリンピック競技:自転車BMXフリースタイル、スケートボード、バスケットボール3×3、ブレイキン
ところが、2代あとのルイ16世の時代、1789年にフランス革命が起こり、王政は廃止される。それまで、教会では宗教に奉仕するもの、宮廷では人を楽しませるものだった音楽の役割はがらりと変わり、革命の理念を浸透させるために多くの革命歌が作られた。
現在のフランス国歌《ラ・マルセイエーズ》はその歌詞を読むと過激な表現にびっくりするが、もともと革命歌として作曲されたことを考えれば合点がいく。そうした革命歌が鳴り響き、数々の革命祭典が執り行なわれたのがパリの中心に位置する革命広場だった。
▼ルジェ・ド・リール作曲、ベルリオーズ編曲:「ラ・マルセイエーズ」
いまはコンコルド広場と呼ばれるこの場所は、オリンピックではスケートボードやバスケットボール3×3、ブレイキン(ブレイクダンス)などが行なわれるが、当初「ルイ15世広場」と呼ばれ、王の騎馬像が建てられていた。
革命後は、その騎馬像は撤去され、台座の足元に据えつけられたのが処刑台である。そこで、ルイ16世をはじめ、王妃マリー・アントワネットや多くの貴族の首がはねられた。ベルリオーズの《幻想交響曲》の第4楽章「刑場への行進」(とくに最後の部分)を聴くと、革命時代の広場の情景が頭に浮かんできてしまう。
▼エクトル・ベルリオーズ:《幻想交響曲》第4楽章「刑場への行進」
【アンヴァリッド】ベルリオーズ「レクイエム」が初演され、ナポレオンが眠る場所
オリンピック競技:アーチェリー、自転車ロードレース、陸上競技
一方、アーチェリー会場やマラソンのゴール地点、自転車ロードレースのスタート地点として使用されるのが、アンヴァリッド(旧・軍病院)の広々とした前庭。
アンヴァリッドはルイ14世が傷病兵を収容するために建てたもので、内部に軍事博物館やサン=ルイ教会、ナポレオン・ボナパルトの柩が置かれたドーム教会があり、《ラ・マルセイエーズ》の作曲者、ルジェ・ド・リールもここに眠っている。
ラ・マルセイエーズを初披露するルジェ・ド・リール大尉(上)
ベルリオーズの「レクイエム」といえば大編成の合唱とオーケストラで知られるが、1837年に初演された場所がアンヴァリッドのサン=ルイ教会だった。初演に当たって、ベルリオーズは本体のオーケストラや合唱・独唱は教会の中央に、4組の金管アンサンブルは四隅に配置した。
▼エクトル・ベルリオーズ:レクイエム(死者のための大ミサ曲)
【エッフェル塔~シャン・ド・マルス公園】パリ万博や三大テノールの会場になった「軍神の野」
オリンピック競技:ビーチバレーボール、柔道、レスリング
アンヴァリッドから少し歩くとエッフェル塔に着く。エッフェル塔は1889年のパリ万博の際に建設されたもので、電波塔としても機能しているが、その足元に広がるのがシャン・ド・マルス公園。
オリンピックでは、ここの仮設アリーナで柔道やレスリングの試合が行なわれる。シャン・ド・マルスは「軍神の野」という名の通り、かつての軍隊の練兵場で、1867年以降、パリで万博が開かれるたびに仮設会場が建設された。ここで、1998年、サッカーのワールドカップの決勝前夜に三大テノールのコンサートが開かれたことも思い出される。
【トロカデロ広場】旧トロカデロ宮殿でサン=サーンスやフランクが弾いた名オルガン
オリンピック競技:自転車ロードレ―ス、陸上競技
一方、セーヌ川をはさんでエッフェル搭の対岸にある半円状のトロカデロ広場は、自転車ロードレースや陸上の競歩会場として使用される。
トロカデロ広場に面するシャイヨ宮は1937年のパリ万博のときに建て替えられたもので、その前は1878年のパリ万博のときに建てられたトロカデロ宮があった。
この建物の中心は5,000席のコンサートホールで、カヴァイエ=コル社の大型のパイプオルガンが備えつけられ、ギルマンやサン=サーンス、そしてフランクなど、当代きってのオルガニストたちが演奏を披露した。このオルガンは紆余曲折を経て、現在はその一部がリヨンの劇場オーディトリウム・モーリス・ラヴェルのオルガンに使われている。
▼フランクの《英雄的小品》は、1878年パリ万博のトロカデロ宮におけるオルガン・コンサートで初演された
▼1920年にトロカデロ宮のオルガンで初演され、オーディトリウム・モーリス・ラヴェルに一部が移設された同オルガンで録音された、サン=サーンス:オルガンと管弦楽のための《糸杉と月桂樹》
【セーヌ川】音楽と関わり深い パリ万博の精神が息づく
オリンピック競技:開会式
さて、今回のオリンピックはセーヌ川で開会式が行なわれるが、1937年パリ万博ではセーヌ川で「光の祭典」と呼ばれる音と水と光を使った大規模なイベントが18回も実施された。
この万博は近代テクノロジーに重点を置いた博覧会だけに、「光の祭典」では数々の最先端の技術が使われた。セーヌ川には30メートルの高さまで水を噴き上げる190個の噴水が設置され、それと花火が連動し、さらに音楽がシンクロした。オネゲル、イベール、アンゲルブレシュト、メシアン、ロザンタールなど18人の作曲家が音楽を作曲した。
あらかじめレコードに録音された音楽は、光や水の効果に合わせて、各所のスピーカーから流され、そこでは新しい楽器であるオンド・マルトノ*が大活躍した。この「光の祭典」は平均して20万人近くの観客を集めた。
オンド・マルトノ:1928年にフランスで発表された電子楽器。メシアンほか、フランス系の作曲家がこの楽器のための作品を書いている。初期の電子楽器のなかでもっとも成功した楽器のひとつ
▼1937年パリ万博「光の祭典」で実際に使用された音源。オネゲル作曲「ソプラノ、テノールと4台のオンド・マルトノのための《千夜一夜》」(1937年録音)
今回の開会式でも、数多くの観客がセーヌ川沿いの祝典に参加できるように企画されているが、それと通じる精神が感じられる。
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