読みもの
2024.10.29
【Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画】ピーター・バラカンの新・音楽日記 29

マリの卓越したコラ奏者トゥマニ・ジャバテは歌の伴奏だったコラをソロ楽器として認識させた

ラジオのように! 心に沁みる音楽、今聴くべき音楽を書き綴る。

Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画として、ピーター・バラカンさんの「自分の好きな音楽をみんなにも聴かせたい!」という情熱溢れる連載をアーカイブ掲載します。

●アーティスト名、地名などは筆者の発音通りに表記しています。
●本記事は『Stereo』2024年10月号に掲載されたものです。

ピーター・バラカン
ピーター・バラカン ブロードキャスター

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...

イラスト:酒井恵理

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ハニバル・レーベルとの出逢いで始まったワールド・ミュージックという発想

1980年代初頭、ぼくがYMOの所属事務所の社員だったころ、その仕事の関係でフランスで開催される音楽業界の見本市MIDEMに出かけました。

会場に入るための名札には個人名、社名、そして参加国も書いてありましたが、入り口前に立っていると「おっ、日本から来ているのか、ちょうど日本で相談に乗ってくれる人を探したいと思っていた」とアメリカ人に呼び止められたのです。

その人の名札を見るとJoe Boydと書いてあります! ぼくが高校生の時によく聞いていたフェアポート・コンヴェンションやインクレディブル・ストリング・バンドなどのフォーク・ロックの名盤を手がけたレコード・プロデューサーとして憧れていた存在ですが、長年ロンドンを拠点にしていた彼がちょうど自分のハニバルというインディのレーベルを立ち上げて、各国で楽曲の管理をしてくれる音楽出版社と提携したがっていました。

弱小のわが社は無理だろうと思いつつ、しばらく音楽談義をしていたら馬が合う感じがあって、結局日本でハニバルの楽曲を預かることになりました。そしてちょうどラジオ番組の仕事を始めたばかりだったぼくにとってラッキーなことに、ジョーが作るレコードを全部送ってくれるようになりました。因みに1996年からインターFMで担当しているBarakan Beatのテーマ曲としていまだに使っているのはハニバルで発表したLenny Pickett & TheBorneo Hornsです。

ジョーは世界のさまざまな国のミュージシャンによる素晴らしい作品を次々と発売していました。ちょうど「ワールド・ミュージック」という発想が広がりつつあるころで(そのネイミングを決めた5人の会議にジョーも参加していた)、一般的には注目度が低いけれど、その斬新な響きがひじょうに刺激的でした。

コラを3人が弾いているように聞こえた さりげない名人芸

1988年にハニバルから届いたアルバムによってぼくの音楽人生が大きな衝撃を受けました。それはマリのコラ奏者トゥマニ・ジャバテの「Kaira」という作品です。

その少し前から西アフリカのユッスー・ンドゥール、サリフ・ケイタ、モリ・カンテなどの音楽に興味を持ち始めていましたが、西洋的な楽器編成のこれらと違って、「Kaira」は最初から最後まで静かなコラの独奏です。コラという楽器もこのアルバムで初めて知ったものです。

いつも西アフリカのハープという風に紹介されますが、構造的にハープの類いに入るとはいえ、同時にその演奏から受ける印象はちょっとギター的でもあります。トゥマニ・ジャバテの演奏はとくにそうかもしれません。

「Kaira」は伴奏もなければオーヴァダビングもない純粋な独奏なのですが、演奏者が3人いるような錯覚に陥ります。ベイス・ラインが一人、メロディが一人、そしてその上で即興を展開するもう一人がいるようですが、それをすべてトゥマニが一度に弾いている、とライナー・ノーツで読んでも「本当に?」と今一つ腑に落ちません。その演奏はとてもリズミカルで、しかも優雅さがあり、ジャンル的にフォークなのかクラシックなのかすぐには分かりませんでした。

運よくそのちょっと後にトゥマニの来日が決まり、うちから近い世田谷美術館で公演があるので見に行きました。しかし、彼のさりげない名人芸を目の前で見ても、これを全部一人のミュージシャンが弾いているとは信じがたいほどでした。

トゥマニ・ジャバテの演奏風景

70代に渡るコラ奏者の家系 開かれた感覚を持つヴァーチュオソだった

これはまだインタネットのない時代なので情報は限られていましたが、トゥマニのバックグラウンドについてある程度分かりました。

かつて西アフリカに広大な帝国を持っていたマンデ民族に生まれ、彼の家系はずっと昔にさかのぼってグリオという階層に帰属していました。このグリオたちは文字を持たない民族の歴史を記憶に刷り込み、冠婚葬祭などで音楽に乗せてそれを語ったり、指導者のことを褒め称えたりするのが仕事ですが、家族によって担当が分けられていて、コラだったり、ギターとバンジョーの中間のようなンゴニだったり、マリンバのようなバラフォンだったり、あるいは歌が専門の人もいます。

トゥマニのジャバテ家は70代以上にわたってコラ奏者だそうです。父親のシディキは名手といわれ、本来歌の伴奏を務める楽器だったコラをソロ楽器として認識させた本人でした。トゥマニはその父親や祖父の演奏を日常的に耳にしながら独学でコラを習ったのですが、1960年代生まれの彼はマンデの古典の他にジミ・ヘンドリックスのようなロックなども聴いて育った世代で、とても開かれた感覚の持ち主でした。

マリのグリオ同士の共演もある一方で、例えばスペインのポップなフラメンコを演奏するケタマというグループと共演したり、最近ではバンジョーの名人ベーラ・フレックとのデュオ・アルバムを作ったり、ロンドン交響楽団と共演したアルバムも作ったり、ヴァライエティも豊かでクオリティも極めて高い活動を続けていました。

トゥマニとロンドン交響楽団との共演作『Kôrôlén』

そのトゥマニ・ジャバテは子どものころに小児麻痺を患って、歩くのにずっと杖を使っていました。近年は健康上の問題があったようですが、2024年7月19日に彼が腎臓不全のため58歳で死亡したというニュースを見た時はショックでした。

音楽の世界に、ある楽器のヴァーチュオソと呼ばれる名演奏者がいますが、世界的な知名度は別にして、トゥマニ・ジャバテは間違いなくその中の一人でした。あまりにも早い死ですが、運よく傑作を多く遺してくれました。

ピーター・バラカン
ピーター・バラカン ブロードキャスター

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...

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