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2023.03.01
音楽ことばトリビア ~ポーランド語編~ Vol.10 最終回

ポーランド語のうた〜長き占領時代を支えた「ことば」と「聖母」

平岩理恵
平岩理恵 ポーランド語通訳・翻訳家

東京外国語大学大学院修士前期課程修了。ワルシャワ大学音楽学研究所に政府給費留学(2001~03年)。ポーランドの舞曲やモニューシュコを研究。訳書 『ショパン家のワルシ...

イラスト:本間ちひろ

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昨年秋から始まった「音楽ことばトリビア~ポーランド語編~」も、実は今回が最終回。音楽とことばを足がかりにお伝えしてきたポーランドの魅力やトリビア情報を皆さんにもお楽しみいただけたなら幸いです!

最終回ではちょっと真面目に、ポーランドの「ことば」の「音楽」について、お話してみたいと思います。

ポーランド語で書かれた《スターバト・マーテル》

ポーランドでは今、前回「トリビア」でご紹介したポンチュキ三昧の「脂の木曜日」を終え、「復活祭」前の節制の期間を迎えています。そして、そのクライマックスにあたる復活祭直前の一週間は「聖週間」(Wielki Tydzień)と呼ばれ、キリストの受難に思いを馳せつつ、復活祭の準備をしながら過ごします。

各種《受難曲》や《ミサ曲》、あるいは《メサイア》など、聖週間の頃によく演奏される音楽作品は色々ありますが、そのひとつに《スターバト・マーテル(Stabat Mater/悲しみの聖母)》があります。磔刑に処せられたわが子のもとに佇む母マリアの悲しみを歌うもので、ペルゴレージやドヴォルジャーク、ロッシーニをはじめ、古今東西の多くの作曲家が手がけています。ポーランドでは奇しくも近現代を代表する2人の作曲家、シマノフスキ(1925~26年作曲)とペンデレツキ(1962年作曲)が、この《スターバト・マーテル》を書いています。

カロル・シマノフスキ(Karol Szymanowski 1882〜1937)
クシシュトフ・ペンデレツキ(Krzysztof Penderecki 1933〜2020)

とりわけシマノフスキの作品について特筆すべきは、歌詞が「ポーランド語」だということなんです。宗教音楽はラテン語の典礼文をそのまま歌詞とすることが一般的な中、シマノフスキが歌詞に選んだのは生々しい言葉でドラマティックに翻訳された自国語版。スコアには理解の助けとなるよう外国人向けにラテン語も併記されていますが、あくまでもポーランド語で演奏されることが前提となっているのです。

声楽曲は、外国語の歌詞でももちろん十分に人々の心を動かすものですが、たとえば「pertransivit gladius」ではなく、「miecz przeszywał(剣が刺し貫いた)」という言葉が直接耳に飛び込んでくるとき、ポーランド人の心にどれほど強く響くかは想像に難くありません。

珠玉の知られざる無伴奏合唱曲

自分たちの言葉による表現。これはいつの時代でも、ポーランド人がアイデンティティを醸成し、保っていくためにとても重要なことでした。10世紀に国として成立したポーランドは、キリスト教を受容することでまずその立場を確かなものとしました。典礼で歌われる聖歌は時代とともに、ラテン語に代わりポーランド語を歌詞としたものが多く見られるようになり、唱和する同胞たちの帰属意識、連帯感を深めていったのです。

その中でも記念碑的作品といえるのが、ルネサンス期の作曲家、ミコワイ・ゴムウカの《詩篇》全151曲です。

ミコワイ・ゴムウカ(Mikołaj Gomółka ca1535~1609?)
1580年に出版されたゴムウカの『ポーランド語の詩篇のための音楽』

16世紀は、それまで支配的だったラテン語からの翻訳や、ポーランド語での創作が盛んに行なわれるようになった時代。ヤン・コハノフスキ(Jan Kochanowski ca1530~1584)というルネサンス期ポーランドを代表する詩人によって母国語に訳され、大変な人気を博したのが『ダヴィデ詩篇』でした。これをもとに作曲されたのが、この無伴奏四声のための合唱作品なのです。

ゴムウカは、ほとんどこの《詩篇》のみで知られる作曲家ながら、その作品・手法を見れば傑出した才能の持ち主だったことがわかります。聖歌や世俗歌曲の旋律、ポリフォニーや器楽曲の技法など、16世紀のあらゆる音楽の要素がちりばめられているのはもちろん、ポーランドに根ざす快活な舞曲のリズムもまたふんだんに用いられているのです。全151曲それぞれが個性的で、聴く者をまったく飽きさせません。

ゴムウカの「詩篇」

少しお聴きいただくだけでも、このゴムウカの《詩篇》の際立つ美しさを感じていただけるのではないかなと思います。これほどの宝石箱のような作品がまだ日本でほとんど知られず、演奏されたことがないのは本当に残念なことです…。新しいレパートリーをお探しの合唱団の皆さん、是非この詩篇、歌ってみませんか? 

ゴムウカの「詩篇」より第47番”Kleszczmy rękoma”(手を打ち鳴らそう)。《詩篇》はよく器楽アンサンブルに編曲され、また合唱と器楽との合奏で演奏されることも多い。

マリア信仰の根付くポーランド

ゴムウカからさらに遡った13世紀頃、現存するもっとも古いポーランド語歌曲である単旋律聖歌、《Bogurodzica(ボグロジツァ/神の御母)》が生まれました。

この芯の強さと包容力を感じさせる「マリア讃歌」は、ながらくポーランドの事実上の国歌であり、戦の前に騎士たちが歌い士気を高めるなど、国家の危機にあっても人々は声を合わせてこの聖歌を歌うことで心を一つにしてきました。

アンジェイ・パヌフニク(Andrzej Panufnik)、ヴォイチェフ・キラル(Wojciech Kilar)、クシシュトフ・メイエル(Krzysztof Meyer)といった20、21世紀のポーランドを代表する作曲家が、《ボグロジツァ》からのインスピレーションや引用を含む作品を書いていることや、映画監督アンジェイ・ワイダ(Andrzej Wajda)が作品中で効果的にこの歌を用いたことなどからも、いかにポーランドの文化・歴史の中で大きな影響力を持つ聖歌であるかがわかろうというものです。

ポーランドは以前も触れたとおり国民の9割以上がカトリックという国ですが、実は同時に、聖母マリアに対する信仰、敬愛の情がとても深い国でもあるのです。《ボグロジツァ》が800年近い歴史を通してポーランドを支え続けていることも、そこに根ざしています。

たとえば、「コレンダ」(ポーランドのクリスマス聖歌)にも、聖母マリアをテーマにしたものが多く見られます。各国のキャロルにも、幼児イエスを抱く聖母を客観的に歌ったものやマリア讃歌はありますが、彼女自身がわが子に歌い聴かせる子守歌の形で書かれているものはあまりないように思います。

そんな中、ポーランドのコレンダには、ショパンのスケルツォにも引用されたことで有名な、以前このトリビアでもご紹介した《Lulajże Jezuniu(おやすみ、イェス様)》をはじめ、マリア様目線で書かれたクリスマス聖歌がいくつもあります。

中でも代表的な《Gdy śliczna panna(愛らしい乙女が)》は、生まれたばかりのわが子をあやすマリアが、母としての喜びに満ちた思いを素朴ながらも愛らしい旋律にのせて歌う子守歌です。17世紀には成立していたとされるこの曲は、今でも親しまれ、よく歌われるコレンダのひとつとなっています。

《Gdy śliczna panna(愛らしい乙女が)》1番の歌詞と発音

Gdy śliczna Panna Syna kołysała,

グディ・シリチュナ・パンナ・スィナ・コウィサワ

 

Z wielkim weselem tak Jemu śpiewała:

ズヴィエルキム・ヴェセレム・タク・イェム・シピェヴァワ

 

Li li li li laj, moje Dzieciąteczko,

リリリリライ・モイェ・ヂェチョンテチュコ

 

Li li li li laj, śliczne Paniąteczko.

リリリリライ・シリチュネ・パニョンテチュコ

“Matko!” ――母よ、聖母よ、祖国よ!

先ほどの《ボグロジツァ》と並び、第二の国歌と称される聖歌に、《Gaude Mater Polonia(ガウデ・マーテル・ポロニア/喜べ、母なるポーランドよ)》があります。ポーランドの聖人スタニスワフを讃える歌で、殉教の後、ばらばらにされていた彼の身体が元通りとなったという奇跡物語が、分割されたポーランドの復活というイメージと重なることから、ポーランドの歴史の中の重要な節目にいつも歌われてきました。

「母なるポーランド」。これはいつの時代にも、ポーランド人たちが共有してきたイメージといえます。ポーランド語の「Matka」という単語は、「母」、そして「聖母」を表す単語ですが、同時に、「祖国ポーランド」を想起させる言葉でもあるのです。

特に18世紀末から20世紀初頭にかけての、ポーランドが国家としての独立を失っていた時代、「ポーランドよ!」「祖国よ!」(いずれも女性名詞)と声高に叫ぶことは許されていませんでした。聖母や母への呼びかけの言葉である「Matko!(母よ!)」は、ポーランド人が祖国を思いながら堂々と発することのできる、比喩的な表現でもあったのです。

19世紀、分割占領下にあったポーランドで書かれたモニューシュコのオペラ、《幽霊屋敷》でステファンが亡き母を想って歌うアリア《O ,matko moja!(おお、わが母よ!)》も、まさにこの例のひとつ。

ポーランド人たちは、国としての独立や自由を失っていた時代にも、音楽にのせた「ことば」のもつ力の中に、国や民族としてのアイデンティティ、復活への思いを保ち続けてきました。それが、123年にわたった亡国の後に独立を果たすための大きな支えとなったのです。

こうした伝統が脈々と流れていることを考えれば、ポーランドの20世紀の作曲家2人までもが《スターバト・マーテル》の作曲をしたことも、すっと腑に落ちるように思えます。それ自体には形のない音楽やことばというものが人々に与える力の偉大さに、改めて思いを巡らさずにはいられません。

復活祭にちなんだ、おまけトリビア

復活祭の時期によく演奏される曲のひとつに、マーラー作曲の交響曲第2番、通称《復活》がありますね。これをポーランドの楽団が演奏するとなると、そのポスターやプログラムにはこの《復活》がポーランド語で記載されることになります。その綴りはずばり――„Zmartwychwstanie”。なんという子音の羅列でしょう! これぞポーランド語の子音連続の真骨頂。

ポーランド語トリビア連載の締めくくりに、是非みなさん、舌をかまないようにこの愛すべきポーランド語の響きを発音してみてください!  〔ズマルトフィフフスタニェ〕!

期せずしてショパンの命日(10/17)の頃から彼の誕生日(3/1。2/22との説も)にかけての連載となったこの10本のトリビア。お読みいただき本当にありがとうございました! いつの日にかまたお目にかかれることを願いつつ、Do widzenia!〔ドヴィヅェニャ/さようなら!〕

シマノフスキの《スターバト・マーテル》を演奏会で聴くチャンス!
東京交響楽団定期公演

これまで片手の指で数えられるほどしか日本国内での演奏歴のないシマノフスキの《スターバト・マーテル》が、なんとこのほど日本でも演奏されることになりました。もちろん、歌詞はポーランド語で歌われます!

■2023年4月15日(土)18時開演@サントリーホール

■2023年4月16日(日)14時開演@ミューザ川崎

詳しくはこちらから

ポーランド語で歌ってみよう

日本でもポーランド語の音楽作品をポーランド語で演奏しようというグループがいくつかあります。

ご興味をお持ちの方は、これまでモニューシュコのオペラやコレンダなどの公演実績がある「多摩フィルハルモニア協会」や、ポーランド語歌曲を歌う合唱団「キヤンキ」をぜひチェックしてみてください!

平岩理恵
平岩理恵 ポーランド語通訳・翻訳家

東京外国語大学大学院修士前期課程修了。ワルシャワ大学音楽学研究所に政府給費留学(2001~03年)。ポーランドの舞曲やモニューシュコを研究。訳書 『ショパン家のワルシ...

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