牛田智大「音の記憶を訪う」 #1 連載開始にあたって。そしてポーランドの住まいのお話
人気実力ともに若手を代表するピアニストの一人、牛田智大さんの新連載がスタート!牛田さんがさまざまな音楽作品とともに過ごす日々のなかで、感じていることや考えていること、聴き手と共有したいと思っていることなどを、大切な思い出やエピソードとともに綴ります。
タイトルに込めた思い
皆さまこんにちは!今月からこの「ONTOMO」にて連載をさせていただけることになりました。音楽に関するさまざまなことを、時に自分の学びのためのプロセスも兼ねながら書いていけたらと思っています。
連載のタイトルは「音の記憶を訪う」にしました。じつは「訪う(とう、とぶらう、おとなう)」という言葉には、訪れる、問いかける、探し求める、追求する、弔う、慰問する、音がする……などさまざまな意味が含まれています。
かつてフランスの作家マルセル・プルーストは「失われた時を求めて」などの作品を通して、芸術という行為が人間にとってある種の「記憶装置」としての役割をもっていることを証明しようとしました。彼は「知性による記憶によって真の過去はけっして蘇らず、真実性のしるしを帯びることもない」と語り、芸術が、人間がこれまでに経験した『歴史』や『感情』を、言語や数値(=知性)を超え、より人間の本能に近いかたちで内包しながら、それをもって人間の心に干渉する力を持っていることを主張したのです。彼のいう芸術とはおもに文学を指すものでしたが、私はこの考え方はまさに音楽にこそ当てはまるものだと考えています。
もっとも代表的な例は「音楽が過去の歴史を記憶する」というものです(=「歴史の記憶」)。たとえばハイドンの作品には絶対君主制の非生産的な側面を揶揄するような要素がありますし、ショパンは言わずもがな革命音楽的な作品をたくさん手がけています。プロコフィエフやショスタコーヴィチの作品には、戦争の惨禍や独裁政治の恐怖を描いた歴史的遺産といえるものがたくさんあります。
すべての音楽がこういった「歴史の記憶」を持つわけではありませんが、その場合でも必ずあるのが「感情の記憶」です。プルーストの「無意志的記憶」という考え方がありますが、紅茶に浸したマドレーヌを食べて幼少期の家族の団欒のなかでそれを食べた記憶が蘇ることがあるように、音楽を聴くことで自分の内面になんらかの記憶や特定の感情が湧き起こる経験を持つ方は少なくないと思います。これは言い換えれば「音楽が感情を記憶している」ということであり、人間同士が言語や価値観の差に阻まれることなく同じ感情を共有できるということなのだと思っています。シューマンやベルリオーズなどの標題音楽的な作品は典型ですが、一方で古典派のソナタやブラームスの作品のような「絶対音楽(純粋に音の構築美・様式美を追求した作品など)」であっても感情の記憶はありますし、むしろこういった「作曲家が特別な狙いを明確にしていない」音楽のほうが、より強い感情を記憶する力を持っていることさえあるのではないかと考えています。
(歴史や感情の)記憶と音楽を結ぶプロセスには、たとえば下図にある「7要素」の相互作用をはじめ、音楽そのものを聴いたときの印象ほどには単純でない、複雑に絡み合ったさまざまな技術と法則があります。演奏家の仕事は、作曲家によって残された楽譜という断片をもとに「記憶」を復元し、聴衆にとってより共感につながるものとして再提示すること……今回のタイトルには、そんな矜持のようなものを込めてみました。
1回につき1000字くらいでとお話をいただいているので、今回はごあいさつまで(初回をどんな書き出しで始めるかを考えるのに、文才のない私は3夜を明かしてしまいました。結局1000字を大幅に超えてしまったわけですが……)。来月から具体的なことも含めて、自分の考えを整理しながら皆さまと共有していけたらと思っています。
留学先のポーランドで居心地のよい下宿に巡り合った
ところで話は変わり、私は2022年からポーランドで学んでいます。留学を始めてしばらくはホテル住まいでしたが、ご縁があって、昨年からピアノが弾ける下宿に住めることになりました。なんと15年も前から日本人留学生が代々住み続けてきた由緒あるところです!
入居したとき、なによりも嬉しかったのは家具や消耗品などがこれまでの留学生からそのまま引き継がれてきていたことでした。キッチンの引き出しには日本製のラップやアルミホイル、戸棚には箸や茶碗が当たり前のように置いてあり、一瞬そこがポーランドであることを忘れてしまいそうになるほど。先輩方が代々受け継いでこられたさまざまなものに囲まれて、まるで日本の自宅にいるような不思議な感覚で毎日を過ごしています。
そして家の向かいには地元料理のお店が。何度か通っているうちに、お店に入ると同時に「君の席は決まっているよ!」と、同じ席に通してもらえるくらいに馴染んできてしまいました。
1年間、はたしておもしろさを保った文章など毎月書き続けられるのかと正直不安ではありますが、どうかゆったりとお付き合いいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします!
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