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2018.10.08
飯尾洋一の音楽夜話 耳たぶで冷やせ Vol.7

オペラになったレムのSF小説『ソラリス』を、藤倉大×沼野充義の対談から読み解く

人気音楽ジャーナリスト・飯尾洋一さんが、いまホットなトピックを音楽と絡めて綴るコラム。第7回は、SFの古典であり世界中で読み継がれている傑作小説『ソラリス』について。2度映画化されている本作が、イギリスを拠点に活動する日本人作曲家・藤倉大さんの手によって、なんとオペラになりました。10月31日に東京芸術劇場で日本初演が行なわれます。
9月22日に開催された翻訳者・沼野充義氏と藤倉大氏のトークショーから、オペラの見どころをご紹介。密室における心理劇というサスペンス要素と、センス・オブ・ワンダーの要素を併せもつ本作を、どう音楽で表現しているのか? SFファン必見です!

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飯尾洋一
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飯尾洋一 音楽ライター・編集者

音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...

メインビジュアル:東京芸術劇場

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イギリスを拠点に世界的に活躍する作曲家、藤倉大の初のオペラ作品《ソラリス》が、10月31日に東京芸術劇場で日本初演される(演奏会形式)。このオペラはポーランドのSF作家スタニスワフ・レム(1921~2006)の代表作『ソラリス』を題材とした作品で、2015年にパリで初演された話題作。今年5月にはドイツのアウグスブルク劇場でも上演されている。

レムの『ソラリス』といえば、SFにおける古典中の古典であるばかりでなく、ジャンルを超えて、すでに世界文学の名作に仲間入りを果たしている名作といっていいだろう。最近、NHK Eテレの『100分 de 名著』でも取り上げられて、脚光を浴びた。どんなストーリーか、ご存知ない方のために原作のあらすじを簡単にご紹介しよう。

ソラリスとは惑星の名前。その表面は海で覆われ、海は自律的に造形物を作り出すことから知性をもつ生命体ではないかと議論されているのだが、人類の研究者たちはソラリスといかなるコミュニケーションを交わすこともできずにいる。そんなソラリスの観測ステーションを主人公クリス・ケルヴィンが訪れる。クリスはステーションで先任者である同僚スナウトらと会うが、様子がおかしく、研究者のひとりはすでに自殺していることがわかる。やがて、ステーションの内部にそこにいるはずのない人間が現われる。どうやらソラリスの海は人間の精神の内奥を覗いて、そこから人間(のような存在)を生成することができるらしい。その「お客」と呼ばれる存在は、各研究員のトラウマを刺激し、精神の平衡を脅かすような人物に実体化する。主人公クリスのもとには、亡き恋人ハリーが姿を現した。クリスは「お客」であるハリーと向き合い、いかに彼女と対峙すべきかに苦悩し、決断を迫られる……。

絶対的に理解不能な現象と出会い、知の限界に突き当たりながら、やがて人間存在の意味について問うというのが『ソラリス』の柱となるテーマ。1961年に書かれ、すでに40か国語以上に翻訳されているという傑作である。日本語では現在、沼野充義訳で読むことができる。

スタニスワフ・レム(著)、沼野充義(翻訳)
出版社:早川書房(2015/4/8)
文庫:432ページ

惑星ソラリス――この静謐なる星は意思を持った海に表面を覆われていた。惑星の謎の解明のため、ステーションに派遣された心理学者ケルヴィンは変わり果てた研究員たちを目にする。彼らにいったい何が? ケルヴィンもまたソラリスの海がもたらす現象に囚われていく……。人間以外の理性との接触は可能か?――知の巨人が世界に問いかけたSF史上に残る名作。レム研究の第一人者によるポーランド語原典からの完全翻訳版。

2度の映画化、そしてオペラ化。『ソラリス』の魅力に取り憑かれた人々

9月22日、その翻訳者であるロシア・東欧文学研究者の沼野充義と、オペラ《ソラリス》の作曲家、藤倉大の対談が、東京芸術劇場で開催された。開演前にすでに楽屋でひとしきり話が盛り上がってしまったというおふたりだが、原作のファンにも藤倉大ファンにとっても大いに興味深いトークショーとなった。

新訳を手掛けた沼野充義氏(左)と、藤倉大氏。『ソラリス』原作ファンと音楽ファンが一堂に会した。

沼野氏の話で注目されたのはレムの生まれたルヴフという土地について。
当時ポーランド領内であったルヴフは、時代とともにその帰属をドイツやソ連へと変遷させてゆく。ルヴフがソ連へ割譲されると、レムは大多数のポーランド系住民と同じくポーランドへ移住させられ、クラクフに住むことになる。レムの「すべては相対的である」という視点は、そのような背景から生まれてきたのではないかという。また、レムがホロコーストを免れたユダヤ系の作家であるという指摘は、「社会主義時代に成功した恵まれた作家」というレム像が一面的なものにすぎないことを教えてくれた。

ちなみに氏はテレマンを好むアマチュア・リコーダー奏者であり、名奏者フランス・ブリュッヘンに憧れていたと聞けば、音楽ファンにも親しみを感じてもらえるのではないだろうか。

ぜんまいじかけのおもちゃと一緒に、タイプライターの前に座るスタニスワフ・レム。© Jacek Halicki
ルヴフ(現ウクライナ)の旧市街の街並み © Lestat (Jan Mehlich)

オペラ《ソラリス》の誕生には、運命的といってもいい偶然の重なりが貢献している。
きっかけは、たまたまテレビで藤倉作品を知った世界的ダンサー・振付家の勅使川原三郎が、藤倉にオペラの作曲を打診したこと。藤倉は学生時代に読んだ『ソラリス』をその場で提案し、勅使川原も「それで行こう」と即答したという。台本は勅使川原が日本語で書き、これを藤倉が英訳したものを元に藤倉はオペラを書いた。

おもしろいのは、このオペラではクリス役にふたりの歌手が配されること。これはステージ上の歌手が歌うのと同時に、オフステージのもうひとりの歌手が別の内容を電気的に変調された声で歌うことを可能にするため。つまり、あるべき自分の姿を歌いつつも、本心では別のことを考えているといった、人間の裏表が同時に表現される。オペラならではの表現方法だ。

今回の公演では、ハリーを三宅理恵、クリスをサイモン・ベイリー(オフステージはロリー・マスグレイヴ)、スナウトをトム・ランドル、ギバリアンを森雅史が歌う。管弦楽は佐藤紀雄指揮アンサンブル・ノマド。演奏会形式なので舞台装置などはないが、もともと閉ざされた観測ステーション内の心理劇のような話なので、十分に作品を味わうことができることだろう。歌唱は英語だが、日本語字幕が付くので、原作を知らなくても不都合はない。

ハリー:三宅理恵
クリス・ケルヴィン:サイモン・ベイリー
スナウト:トム・ランドル
ギバリアン:森雅史
ケルヴィン(オフステージ):ロリー・マスグレイヴ

『ソラリス』といえば、タルコフスキーとソダーバーグという有名監督によって二度も映画化されているが、もっともレムの原作のテーマを忠実に反映しているのはこのオペラではないかという声もあるとか。レムも草葉の陰で喜んでいるにちがいない。

公演情報
東京芸術劇場コンサートオペラvol.6 藤倉大/歌劇『ソラリス』全幕 *日本初演・演奏会形式

日時:2018年10月31日 (水)19:00 開演(ロビー開場18:00)
会場:東京芸術劇場 コンサートホール
チケット料金: S席 6,000円/A席 5,000円/B席 4,000円/C席 3,000円/D席 1,500円/高校生以下 1,000円(全席指定)

出演
ハリー:三宅理恵
クリス・ケルヴィン:サイモン・ベイリー
スナウト:トム・ランドル
ギバリアン:森雅史
ケルヴィン(オフステージ):ロリー・マスグレイヴ
指揮:佐藤紀雄
管弦楽:アンサンブル・ノマド
エレクトロニクス:永見竜生[Nagie]

 

ナビゲーター
飯尾洋一
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飯尾洋一 音楽ライター・編集者

音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...

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